穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

Invisibleとは

2019-07-11 07:41:40 | ポール・オースター

前回の補足、Invisibleについて

 前回の最後で触れた日本語ガイドからの英文の引用であるが、考え直してみるとどうもしっくりとしない。そこで英文で読んだ。faber and faber版89ページにある。前後の文章をよんで腑に落ちた。この文章は作中登場の作家(オースターに擬されている)が青年時代に体験し後悔しているインシデントの回想記を書く段になって行き詰ったと昔の友人である作家に相談した個所である。

  友人の作家ジムは返事で自分のことを書くときは三人称のほうがいい、と勧告している。一人称で書くと、いろいろと心理的な規制が働くから問題を正確にとらえられない、つまり書けなかったと自分の体験を述べている。つまり「invisible」とは一人称で書くとテーマを判然と自分で表象できない、あるいは捉えられない、表現できないという意味なのである。これならわかる。

 それにしても、オースターは一作おきに分かりやすい作品を書くみたいだな。