少し早めに「しずか」に出勤した。妻から五時までに帰宅するように厳命されたのである。彼女が帰宅する時間は不定で早い時には七時過ぎに帰ってくるが深夜に帰ってくることも多い。なにしろキャリア・ウーマンだから忙しいのだ。昨日遅く帰宅したことを怒っている彼女は五時には電話してチェックするというのだ。
第 九は近くのファミリー・レストランでスパゲッテイを掻き込んで昼前に自警団勤務についた。あれ以来ビルの防災センターの守衛が一時間おきに店を見周りに立ち寄る。お巡りさんも午前と午後に立ち寄る。あの騒ぎからそろそろ一週間になるが、ピカソ女もデコボコ組も現れない。
「仕返しにも来ないですね。そろそろ自警団を解散してもいいんじゃないですか」と彼は下駄顔老人に言った。
「そうだねえ、まだ分からないな。しかし、あなたは専業主夫だから毎日出張るのも大変でしょう。家事もあるだろうし。私たちはどうせ毎日来るんだからしばらく続けますが、あなたはもう結構ですよ。ご苦労様でしたな」
「しかし、女性差別なんて言いがかりだね。もっと酷い差別に我々は苦しんでいるんだからな」と禿頭老人が会話に加わった。
「女性差別なんて因縁をつける連中は自分たちが差別することには一向に自覚がありませんからな。老人差別の実態なんて酷いからね」
「七十歳をすぎたら運転免許証を返納しろなんてな」
「しかし、現実に事故を起こしているからしょうがないんじゃないですか」
「ま、東京にいれば車を運転する必要もないからね。自動車事故は他人を巻き込むから何らかの対応は必要かもしれないな」
「ひどいのは、老人に金を自由に使えないようにすることですよ。社会主義の国じゃあるまいに」と禿頭老人が息巻いた。
「あれはひどいな。あんなことがまかり通るようじゃ世も末だな。いまどき自分の金なのに銀行に金を下ろしにいっても、十万円を超えると写真付きの免許証をみせろとか、すがれた婆あ行員に命令される。あんなことを許していいのか」の下駄顔が憤った。「自分の金だよ。預金通帳というのは万能のバウチャーだろうが。それを裏付けるために印鑑がある」
禿頭が相槌を打った。「振込なんかの時にもそんなことを言われるね。写真付きの免許証なんて言っても、こっちは免許証も持っていないしな。そういうと写真付きの何か証明書がありますか、なんて言いやがる。大昔に会社に勤めていた時には社員証なんかには写真が貼ってあったがな。退職した今はそんなものは持っていない。大体約款にはそんなことを要求する文言があるのかな」
「通帳の裏に印刷してある約款はわざと利用者に読めないように細字で印刷してあるからな」
「NHKもひどいね。振り込め詐欺防止のためなんていっているが、余計なお世話だよ。あれは幼児のような頭しか持っていない警察のキャリア官僚か、財務省の役人が銀行に指導するんだろうな。それを銀行が錦の御旗にして客を客とも思わない態度をとるんだ」
「政府は経済の活性化なんて騒ぎ立てるが、自分の金を自由に運用できなくて経済が発展すると思っているのか。あきれた話だ」