妻が嵐のように怒鳴り散らして旋風のように仕事に出かけると、第九は彼女が床一面に投げ散らかしていった不動産会社の資料を整理し始めた。妻と言ったが正確には「専属主夫雇用契約上の雇い主」である。二人はちゃんと契約書を交わしている。契約書では「谷崎洋美(以下甲という)」と言及されている。だから結婚したわけではない。長たらしいから妻というのである。
彼女は出がけにマンションの電気設備が書いてある資料を探し出しておくように厳命していったのである。不動産会社が入居の時に配った資料はおびただしい量にのぼる。受け手の読みやすさとか理解しやすいようにとか、そんなことは全然顧慮しない。とにかく、あることないことビラのようなメモを整理もせずに押し付けるのである。それで何か問題が後で起こっても、ちゃんと説明資料をお渡ししてあるでしょうと住民を突き放すのである。私たち(会社)には責任はありませんよ、というわけである。
だから受け取った住民は自分たちでそれらの資料を内容別に調べて種分けをして要らないものは捨て、必要と思われるものは自分たちでしかるべき問題別に区分けをして保存しなければならない。第一どれが将来重要になる資料なのかなど住民にはわからない。おまけに妻はそんな面倒なことは嫌いであるから、受け取った説明書とか資料はそのまま収納棚とか本棚に押し込んである。同居人として第九も入居以来はじめてそれらの書類に目を通しながら種分けという厄介な作業をした。
いったいどこの不動産屋でもおんなじなのだろうか。毎年四、五回も引っ越しをしたチャンドラーほどではないが、彼も何回か引っ越しをしたが、こんなに資料の紙攻勢を受けた記憶はない。タワーマンションとなると、いろいろと住民に周知することが増えるのであろうか。大体、このマンションの売主はあまり住民目線では配慮しないようである。会社は旧財閥系で日本屈指の不動産会社であるが、商業用建物が歴史的にもメインな分野のようで、マンションのような民生用の商売は経験がまだ浅いのか不得手のような印象が随所で感じられた。
それには良い面も悪い面もある。いい面では引っ越しのサービスがものすごくよかった。大体個人が引っ越し業者を自分で手配すると満足なサービスは得られない。これが企業向けの引っ越しサービスを普段している会社だと、受注の規模が個人とは比較にならないほど大きく、かつサービスで手を抜くとたちまち将来の商売を失う。だから個人向けとはサービスが全然違う。
悪い面ではいわゆるお上の仕事的なところがあり、細かい点に無神経であり、かつまたずさんである。例えばキッチンがちまちましていてまるで会社の給湯室のようにせせこましい。風呂場の蛇口の位置とかシャワーホースの位置が無神経であるなど、あまり入居者フレンドリーではない。
求めている資料は昼までに見つからなかった。床にはまだパンフレットが散乱している。第九はあきらめて作業を中断した。昼飯を食わなければならない。彼は作業を中断して外出した。