穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

55:住民自治というくすぐり言葉

2019-12-18 08:49:25 | 破片

三時をを過ぎて四時近くなると、こういう店は客足がとだえる。会社をさぼって来ていた連中もそろそろ事務所に戻って退社前に仕事に格好をつけておかないといけない。暇になった長南さんが話に加わった。彼女は大人の話には興味を示すのである。

「分譲した部屋を賃貸に出す人がいるわね。ああいうのはどういうカテゴリーに入るの」と聞いた。彼女はいまアリストテレスのカテゴリー論を研究しているのである。
「所有者にとっては分譲だろうが、借りるほうには賃貸だよ」と分かり切ったことを聞くな、と言うように下駄顔が決めつけた。
「まあそうなんだが、別にややこしいことがあるときもあるようだ。関係者が多くなるから当然だが」ともと不動産屋がとりなすように言った。

好みもありますよね、と第九が話した。「イメージでどうしても分譲で所有者になりたいという人もいる」
「そういう人は多いんじゃないですか」と女主人。
「規模が大きいほど管理組合は常識的になるものでしょうか」と第九は疑問を述べた。
「それが必ずしもそうではない。規模を大中小に分けるとね、大規模分譲だから住民の意識が高いということは全くないようですね。中規模、どのくらいをそういうのか定義もないが、まあ五十戸以上百戸位を中規模というと結構住民意識が高いところもある」
「どうしてですかな」
「そのくらいだと住民同士の牽制が働きやすいのでしょう。おかしなことを理事会が決めれば意見が出やすい。逆に数百戸とか千戸以上のマンションだと連帯意識が弱くなるようです。なにか他人事のように思うんですね」
「なかには数戸とか二、三十戸という小さなマンションもありますよね」
「これが一番問題でしょうね。管理組合のアクティヴ・メンバーが癖のあるバイアスのかかった人物だと歯止めが利かない。暴走する」
女主人がうなずいた。「自分の土地に等価交換でマンションを建てたりしているでしょう。だから自分の名義で数戸保有していたりすると、管理費の値上げとかなんか勝手に決められる。そのうえ地元の政治屋とつながっていることがあるみたいで」
「地元の政治屋って?」
「たとえば、地元の利害の周旋が専門のような市会議員みたいなのが。文句を言うとこわもてで表面に出てくる」
「恐ろしいわね」
「まあ、小規模のマンションはスルーしたほうが無難でしょうね。宣伝パンフレットにどんなに魅力的なことが書いてあっても」

「ようするにマンションの規模と管理組合の質の高さは相関しないということか」と第九は現下の妻と管理組合との対立を考えた。
「マンションの立地と管理組合の、何というかな、穏当さというか意識の程度の高さというか、は関係がありますか」
「たとえば?」
「銀座や六本木のど真ん中に建っているマンションと、都下とか**県の在のマンションとでは差があるものでしょうか」


しばらく考えていたが、「ないんじゃないですか」とクルーボックスが答えた。
「そうすると、良い管理組合に遭遇するのはまったくの運ですな」と卵型老人が総括した。

「大体、住民の自治意識をあてにするのは百年早いんだよ」と下駄顔が息巻いた。
「まあまあ。確かに場末のマンションでも管理組合が常識的なところもある」とかれは前に住んでいたマンションのこと考えながら言った。「管理組合も進化するんですよ。長い間やっているうちに意識が高くなる場合もある」