穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

117:ヘーゲルの文章は何とかならんのか 

2020-07-08 09:04:29 | 破片

 ゲーテと言えば、同時代人じゃなかったっけ、とCCが聞いた。

そうだね、と立花さんが思い出しながら答えた。だいぶゲーテのほうが年長だが確か死んだのは1,2年しか違わなかったと思うな。

 じゃあ、ゲーテに兄事したということか。

「まあ、そういうことでしょう。ヘーゲルは子供をつれてゲーテの家に遊びに行ったりするような関係だったらしい。ゲーテにはそのヘーゲルの子を詠んだ詩があるはずだよ。しかしね、そのゲーテが、あるときにヘーゲルもいいがあの文章はなんとかならんのかと言ったという」

「明晰で美しい文章を書くゲーテなら言いそうなことだ」

「ヘーゲルは詩人ではないから美しい文章はともかく、明晰な文章は書くべきだよね。哲学者なんだから」

「日本でも翻訳が何種類かあるらしいが、どうなんですか」

「てんでんばらばらだね。驚くのは英訳でも全然別の表現になっているところが多いね。たしかカール・レーヴィットだったと思うがハイデッガーの翻訳が出来たら奇跡だといったが、それでもハイデッガーは訳者によってガラリと印象がかわることはない。大体、意味は通じる。ヘーゲルに至っては訳者によって大分異なる」

「大体あんな書き方をする必然性があったの」と長南さんが意見を述べた。

「そうだね、ヘーゲルの文体はどこから来たのかな。スコラ哲学かもしれないな」

「そうなんですか」

「憶測だがね、彼はチュービンゲンの神学校を出ている。もっとも、ここは新教のルター派の学校だからスコラ哲学を教えてはいなかっただろう。しかし、彼の哲学史を読むと、かなり中世のキリスト教哲学に紙面を割いているから相当研究していたに違いない」

「あれはスコラ風なの」

「責任のあることは言えないが、いかにもわざと分かりにくくするところなど、いかにもと思わせるじゃないか。あの表現でしか彼の哲学が記述できなかったとは考えられない。あの表現と彼の哲学の内容に必然性の繋がりはないように思われる」

 不思議なのはあの奇妙奇天烈な文章を書くヘーゲルが学生に人気があったということだね、と下駄顔が言った。

「学生というのは分かりもしないのに、先輩が崇拝しているとか、仲間が感心しているとか、世間の評判だけで無暗に大学教授を崇め奉るからな」

「日本なんかでも同じですね。学生がうっとりするから読んでみると食えたものではないものが多い」

「ヘーゲルと言えば、ショーペンハウアーがヘーゲルと張り合って同じ時間帯に講義の時間を設定したことは有名だね。ところがヘーゲルの授業は満員なのに、ショーペンハウアーの講義には二、三人しか学生が来なかったという。ショーペンハウアーは怒って大学を辞めたという逸話があるね」

「講義というのは著作とはまた異なるんでしょうね、彼はひどいシュワーベン地方の訛りが生涯抜けなかったというが、それが一つの要因かもしれない」

「東北弁で意識的に人気を取る政治家が日本でもいるからね」

「べつに訛りだけじゃないかと思うけど、話はうまかったんだろうね。もともと彼がベルリン大学に招聘されたのは当時の学生運動を抑える目的だったと言われる。彼の学生操縦の腕を見込まれたのだろう。ところが晩年には逆に彼の学生がまた過激化して当局を警戒させたらしい」

「本当に」

「彼がコレラで急死した後の葬儀で学生たちが隊列を組んで葬送の行列に加わろうとしたら、当局は禁止したのだ。今日でいえば香港の民主化デモが当局への抗議の暴動に発展することを恐れたのに似ている」

「そうかなあ」

「勿論、表向きはコレラの感染が広がるかもしれないという理由をつけたらしいがね」

 しかし、死後十年もたたないうちに青年ヘーゲル派が分裂して無政府主義思想のはしりといわれるシュティルナーが出現したり、共産主義者のマルクスが登場したのを見るとあながち不当な恐れともいえないのではないか」

「フォイエルバッハだってかなり急進的ですからね。とにかくプロイセン王国が究極の絶対知を実現している理想郷なんて考えを継承しているのはいないのはたしかだな」

 レジのほうが賑やかになったと思ったら夏目第九が入ってくるところだった。

「久しぶりだね。外出自粛の自主的延長をしていたのかな」と卵頭が聞いた。

「どうもご無沙汰をしまして。実は引っ越しが急に決まりましてね。いろいろ雑用が多かったものだから」

「やはり四谷の例のところに決めたんですか」

「いえ、いろいろと折り合いがつかなくて、四谷は四谷なんですが大久保寄りの余丁町のマンションになりました」