穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

118:ヘーゲルへのサイドノート 

2020-07-12 08:56:53 | 破片

 それでマリー・アントワネットのベッドも持っていくんですか、と下駄顔が聞いた。
「それが問題でしてね。どうにも置く場所がないんですよ」
「オークションにでも売りに出しましたか」と早合点したように言った。
「とんでもない。日本の大工に写真を見せて作らせたものですからね。本物なら何億という値段がつくでしょうがね」
「じゃあ、どうするんです。粗大ごみにでも出すんですか」
さすがに、これには第九もむっとした表情で「トランクルームを借りました」
「そんなに大きなものも預けられるんですか」とCCが無邪気に聞いた。
「そのままじゃ無理ですよ。業務用の倉庫を借りるんなら別ですがね」
で、とみんなが首をひねった。
「分解して預けるんですよ」
「ああ、なるほど」

 立花さんはふと思いついたように、店の紙ナプキンを一枚とるとボールペンを出して「分析的知性に関する傍注」とメモを記した。かれは山手線読書の成果としてヘーゲル論を書こうかな、と思ったのであった。分析的知性とか悟性的分析というのはヘーゲルが論敵をやっつけるときに使う常套の殺し文句である。殺し文句であるから理屈などないのであるが。彼は忘れないように備忘のメモをとると、財布を出して畳んだメモをしまった。

「それにしても急に決まりましたね」と立花さんは話に加わったのである。
「ええ、昨年の武蔵小杉の高層マンションの大停電に恐れをなして前から台風シーズンの前にとせかされていたんですが、最近の九州の集中豪雨の被害の報道で彼女がすぐにでも引っ越すと言い出しいたものですからね。バタバタと決まりました。彼女も世間離れのした条件を出していたのですが急にどこでもいいから早く手配しろと言われてね」
「それでタワーマンションのほうは売れたんですか」
「それがねえ、なかなか決まらなくてね。賃貸に出そうとしたんですが、なかなか条件が折り合わなくてね。そちらのほうはペンディングです」
「あなたもなかなか大変ですな」と下駄顔が同情した。