明くれば五月五日は端午の節句である。いよいよ今日だ。彼は四時から目を覚ましていた。五時にはむっくりとベッドから起き上がった。ペガサスはどういう風にして現れるのだろうか。病室で待っていていいのだろうか。ペガサスは体高一メートル五十センチ、体重五百五十キロの巨体である。どうやってここまで来るのかな、と考えると彼は不安になった。そうか虚体化しているから塵みたいにどこからでも入れるのか。それとも、あらかじめ実体化する余裕を見込んで来るのか。そうするととても窓から入ってくることは出来ない。エレベータで昇ってくるのか。いやこれもありそうもない。病院の外まで出て、前庭で待っていたほうがいいのかな、と考えた。
やがて看護婦が朝食を運んできた。「大分顔色がよくなってきたわね」
「いよいよ今日だな」と彼はつぶやいた。
「えっ?」
「いや、あの洗濯ものは今日戻ってくるんでしたね」
彼女は妙な目で彼を見たが、「下着がそんなに気になるなら催促しておきましょう」と言った。
午前十時医者が回診にきた。「退院は何時になりますか」
医者は彼の様子を見て「二、三日中に出来ますよ」と答えた。今日は退院させないつもりらしい。
昼食後洗濯ものが戻ってきた。彼は下着から上着までいつでも外出できるように身に着けた。どうしたものだろうか、病室でペガサスを待っていたものだろうか。やはり外で待ったほうがいい、と彼は何度か迷った末に立ち上がると一時過ぎには病室を出た。廊下に出てエレベーターに乗る。二階でエレベーターの扉が開くと、待合室から人々が興奮して発している騒音が彼の耳朶を襲った。見ると待合室の真ん中に尾花栗毛のペガサスが凝然と立ち、大流星がはしる顔をめぐらして当たりを睥睨している。待合室の患者たちは総立ちになって遠巻きにこわごわと馬を見てたち騒いでいる。なんだ、もう着ていたのか、と彼も驚いて時計を見た。一時二十分だ。少し早めに来て主人を待っていたのか。まてよ、俺が昨日時計のダイヤルを合わしたときにまちがえたのかもしれない、と彼は考えた。
ペガサスは殿下を見つけると嬉しそうに嘶いて遠巻きにしている人間たちを蹴散らして近づいてきた。彼はたてがみを掴むと馬の背に飛び乗ろうとしたが、体が持ち上がらない。脚力は戻ったが、腕に全然力が入らない。それと察した利口なペガサスは前足を折ると姿勢を低くして彼が乗りやすいようにした。
彼が馬の背に落ち着くのを確認するとペガサスは悠然と二階の出口を出て前庭に下りる階段を何事もないかのように下りた。馬にとって階段の上り下りは非常に危険なものだが、まるで愛宕山の階段を下りる曲垣平九郎の乗馬のようにいとも軽々と降りたのである。
ペガサスは騎乗者を気遣うかのように軽く数歩ダクを踏むとやがて短い助走で空中に浮かびあがりたちまち雲間に消えたのである。