穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

私の読書法(1)

2021-05-20 08:52:23 | 書評

 第一は作者のスピードを超えないということである。そのスピードと言うのはネットではなくてグロスである。作者の執筆スピードと言うのはいろいろだろう。流行作家で興奮剤や覚醒剤(許された)を飲んで書きまくるものもいるだろうし、遅筆もいるだろう。そんなことは読者には分からないが、ま、見当をつけた言い方である。

 今は執筆速度を表すのは何かネ。昔は一時間に原稿用紙何枚と言う表現だったが、今はパソコンつまりワープロ(ソフト)で書くだろう。いまワープロ機で書く人はいないかもしれないが。そうするとどうなるのだ。A4用紙でプリントしてもフォントの大きさでも違うし、アメリカのように字数で言えればいいのだが、なかなか日本では馴染めない。

 それとあとさきになったが、ネットでなくてグロスで、というのはインターバルを挟んでということだ。パソコンに向かっていない時でも頭の中でプロットを練っている時間もある。アイデアを発酵させる時間もある。それも入れて執筆時間と言う。

 で、よく分からんのだが、一応一日平均文庫本の標準字組で5ないし10ページかな、と勝手に決めている。だから原則として一日10ページ読んだらやめる。だけどそれじゃ時間を持て余す。だから通常一度に7,8冊の本を読みまわす。机に上には数冊の読み止しが放り出してある。

 作者の執筆速度を超えないというのは作者に対する敬意である。