今回は又吉直樹氏の「劇場」を取り上げます。小川榮太郎氏の採点は86点。
私が最初に又吉氏の名前を知ったのは2015年に彼の「火花」が芥川賞を受賞した時です。文芸春秋の誌上で読んだがほとんど印象は残っていない。其のころは芥川賞の選考委員の評を同時に取り上げていたので、単行本ではなくて雑誌で読んだ。これが二段組みで細い活字でしかも活字が小さい。インクが薄い。私は案外そういう媒体の状況に読後感が左右される。そのせいか、無理やり飛ばして読んだために印象が薄いのかもしれない。小川榮太郎氏の評価は84点で極めて高い。いずれ機会を見て読み直してみましょう。
又吉という人は別人で1995年に受賞者がいる。又吉栄喜氏の「豚の報い」です。極めて珍しい姓ですが、沖縄県浦添氏のあたりに多い苗字らしい。勿論二人は親戚でもないようですが。
努力賞というのがあれば、努力賞をあげたい。大相撲でいえば敢闘賞です。勿論作者の努力が大変だったろうな、と察しられるからです。しかし、読者がこの200ページ余りの中編を読み終えるのにも大変な努力を求める作品です。ここで志賀直哉を引用するのはどうかと思いますが、かれも遅筆で彫琢に大変な労力を注いだとして知られますが、読むのに難渋はしない。ま、努力家にもいろいろなタイプがあるということです。
文章の問題もありますが、一つの理由は、この小説に様々なスタイルが混在していることでしょう。たとえば冒頭の長いモノローグ。モノローグは何回か不連続で出現しますが、ほとんどの場合街を長時間さまよいながら、となっています。この小説のキモはサキという東北から出てきた洋裁学校の生徒との交渉ですが、前半部分ではとくに、漫才のボケと突っ込みを思わせるかみ合わない会話の投げ合いがあります。この辺は作者の経験が生きているのでは。かと思うと部外者にはほとんど意味をもたない演劇志向の若者の思弁的にはしる演劇論が延々と続く。
女との同棲生活ではセックス描写は一切ないのもいい。同棲しながら、男女の関係を一切持たないケースを排除しない。読んでみると流れのなかでそんな「コンビニ人間」風の状況ではないと思われる。小川榮太郎氏の評によれば
『現代の作家が無反省に濫用する性描写を極力用いない。、、、』と評価している。
作者のあとがきで断っているように「自分の体験ではない」のだろうが、「僕」が語る二人の生活は「四畳半の貸し間」が舞台の昭和の私小説の臭い(かおり)がする。
落ちはハッピーエンドに安易に結びつくのではなくて、かといって破局で終わるのでもなくおさまりがいい。