大型書店が何軒かあるこの地区は深夜にはまったく死んだように静まり返る。山形輝彦はそのうちのある三興堂という大型書店の夜間勤務の守衛である。彼はモニターの並んだ壁面の前の回転椅子に座って寝穢なく(イギタナク)座睡を貪っていた。深夜までやっている神田駅近くの志那蕎麦屋から出前で取り寄せた天津麺を食い散らかしたドンブリがテーブルの上にある。そのそばには缶ビールの空き缶が三本立っていた。大盛の天津麺の咀嚼に全血液、全筋肉、全消化液がフル活動に動員されていて、頭は停止状態だった。
突然の大音響で彼は意識を取り戻した。警報が鳴ったと思い反射的に慌てて立ち上がり、膝頭を嫌と言うほどテーブルの端にぶつけた。発報のランプはついていない。大音響は外の道路の自動車のエンジンの始動音であると気が付いた。爆音は自動車が発車したのであろう、だんだんと遠く小さくなっていって、やがて聞こえなくなった。「妙だな」と彼は時計を見上げた。寝過ごしたのかな、とびくびくして時計を見上げたが、時針は午前二時である。この町が始動するのは早くても八時過ぎである。こんな時間に営業車が走りまわることはない。近くには個人の住宅もマンションもない。彼はぼんやりと食い散らかした汚れたどんぶりを眺めた。
もう一度壁面のモニターテレビにようやく覚醒しはじめた視線を送った。左から右に画面を見ていくとなんだか変だ。がらんとしている棚がいくつかある。彼は確認するために守衛室を出ると店内に向かった。一階には異常がなかった。二階も無事だ。三階では政治、経済、時事、歴史の棚に本がない。書店では時々陳列を入れ替えることがある。そのために昨夜店員が整理を始めたのかな、と思った。四階は変化がなかった。五階はほとんどの棚に本がない。天文、物理、地理、生物の棚には一冊も本がない。六階の語学関係の陳列棚もごっそりなくなっている。
「こりゃあ、棚卸や陳列の入れ替えではないな」と彼は思案した。どうして俺の宿直の時に変なことが起こるんだ、と彼は呪詛の言葉をまき散らした。気が重い。警備会社に連絡しなければならない。おそらく警察もくるだろう。それから会社にも報告しなければならない。天津麺を処理中の胃腸がびっくりしたのだろう。腹の中で変な音がすると、にわかに抑えがたい腹痛に襲われた。