テンジョウテンゲ・ユイガドクソンですよ、と明智博士は煙の隙間から声を押し出した。長尺ものの葉巻は一時間ほどで半分ほどになっていた。
「あのお釈迦様が生まれた時に発したという、、」と立花記者は確認したのである。
「そう」と博士は頷いた。
エログロ実話雑誌記者の立花は彼の雑誌の有力な寄稿者である「とんでも博士」の異名を持つ明智理学博士を取材していた。
今年に入ってから世上通り魔事件としてひとくくりにされる事件が毎日のようにマスコミをにぎわしている。とにかく世間全体が発狂したようにおかしくなっている。人々は外を歩くときには金属バットをぶら下げている。いつ襲われても対処できるように用心しているのである。
足の速い実話雑誌では早速特集を組むことにした。こういう時に出てくる頼りにしている常連が「とんでも博士」なのである。
「通り魔がお釈迦様だということですか」
「そう、お釈迦様がポポジなら通り魔はネガだな。構造的には全く変わらない」
「そこのところをもう少し分かり易く噛み砕いて実話雑誌向きに解説してもらえませんかね」
膝の上にポトリと落ちた葉巻の吸滓を右手の甲で払い落すと、博士は分かり易く説明するにはどうしたらいいかな、と瞑目して沈思するていであった。
「どちらも独我論なんですよ、唯我論といってもいいが」
「・・・・・」
お釈迦様は自分だけが尊いというわけだ。これはお釈迦様の生まれる何千年も前から古代インドにあるウパニシャット哲学の『梵我一如』の思想からきている。梵というのは宇宙の原理だ。宇宙の原理と自分は一体だというわけだね。つまりブラフマン(宇宙の原理)とアートマン(自分)は同じだというわけだ、と博士は説いた。
「それで、通り魔と同じだというのは?」
分からないのかな、とじれったそうに博士は首を振った。
「宇宙と自分はひとつなら、人類と自分も一つでしょうが」
「博愛主義ですな」
「ようするにそれがポジなんだよ」