穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

フォークナー「サンクチュアリー」

2022-12-03 14:43:43 | 書評

  当書を途中まで読んでいる。フォークナーの作品は「八月の光」というのを大分前に読んだ記憶がある。残っている記憶は「退屈」だったという印象だけで「筋書」というか「内容」は残っていない。最近サンクチュアリーをヒョンなことから読み始めた。すごく読むのに時間がかかるのは前と同じだが、主として手法というか、書き方に興味をひかれた。
 つまり、映画的なのだ。どう映画的か。映画的といっても色々想像されるだろうからもう少し具体的に言うと、映画の一場面で背景、日差しの推移、人物の様子、発言を一秒おきに描写する。その上、内心の動きや感情まで描写する。映画では二、三秒ですむ場面を数ページに書く。普通の文章で書けば百分の一か千分の一ですむ。
 それがやたらと長い割には登場人物の紹介は全くない、最初に登場した時にはである。それなのに最初から個人名で登場するから、訳が分からない。あるいは事件と言うか場面の紹介がないから、それがもぐりのバーなのか葬儀会場なのかそうとう読み進まないと分からない。
 そして、それはもぐりの賭博場を急ごしらえで酒の密造業者の親分の葬儀場にしていると分かる。参加者はみんな飲んだくれている。日本でも通夜の席などは酒がつきものだが、ギャングスターの葬儀では酔っ払って喧嘩が始まる。棺がひっくり返されて死体が転がり出る。面白いといえば面白い。
 そういう書き方が全編にみなぎっているから、これは作者の意図的な操作であることは間違いない。ある意味で面白いと思った次第である。