穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

異音

2022-12-11 09:02:38 | 小説みたいなもの

  その夜はサッカーの国際試合のテレビ中継を観ていた。彼はほとんどテレビを見ない。天気予報と民放のニュースくらいしか見ない。見ると言っても「ながら見」で新聞で言えば見出しを読み飛ばすくらいの注意しか払わない。
 スポーツ中継は数少ない彼の見る番組である。それでも野球やボクシングは見ない。イニングの途中などで不愉快なコマーシャルが大音響で流れるからである。しかもコマーシャルの時には放送局は一段とボリュームを上げる。スポーツ中継のコマーシャルは彼の最も嫌うものだ。サッカー中継の場合はハーフタイムのコマーシャルだけ我慢すればいい。かれが久しく映画館にいかなくなったのも映画館の気違いじみた予告編の音量のためである。

 彼のテレビは古い。したがって画面が小さい。ノートパソコンの大きさとオツカツである。サッカーなどだとテレビから離れるとどこにボールがあるかわからなくなる。彼は画面から一メートルの距離まで椅子を持っていく。テレビのコマーシャルはサッカーの場合ハーフタイムしか入らないが、そのかわりウェーブとか太鼓とかの応援の騒音は相当なものだ。こいつの音量を絞ると解説の声が聞こえなくなる。ほとんどサッカーのドシロウトである彼はやはり解説を聞かないと試合についていけない。それで観客の騒音は我慢している。

 なんか耳の後ろで異音が混じっているように感じた。太鼓や笛の音でもない。声援の絶叫でもない。ジリジリ、ビリビリと響く。彼は尿意が我慢できなくなってトイレにたった。電話機がチカチカしている。異音はこれだった。受話器の呼び出し音だったのだ。かれは電話の前に立ち止まって思案した。いまごろ 誰だ?いまごろかけてくるのは特殊詐欺かインチキ商品の勧誘に決まっている。かれは受信音を無視して放尿に行った。
 戻ってくるとまだ電話が鳴っている。応接するとながく粘られそうだと思った彼は受話器を持ち上げてすぐに切ろうとしたが、ちょうどその時にしつこい電話は鳴りやんだ。

 試合が終わってテレビを消すとまた電話が鳴っている。しょうがないから受話器を取り上げるとちょうど相手は電話を切るところだった。