穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

1-3:幽霊土地

2018-07-04 08:20:57 | 妊娠五か月

 岡山行きの便の待合所にはすでに人が溢れていた。Tは昨年岡山県北部の自治体から土地の相続書類に署名捺印しろと脅迫状が届けられたのである。まったく心当たりのない物件である。添付された書類を見ると所有者の名字はTと同じだが名前は林右ヱ門となっている。まったく心当たりのない名前である。剣呑な書類である。本当に自治体が発行した書類であるかどうか疑わしい。ひょっとすると原野商法かなにかの詐欺事件かもしれない。

  彼はあまり親戚付き合いはしていないが、林右ヱ門なる人物が何者なのか、名字が同じであるから遠い親戚なのかもしれないと思い、日ごろ疎遠な親戚にも問い合わせてみた。その結果彼の叔父が林右ヱ門なる人物は自分の祖父である教えてくれたと。つまりTにとっては曽祖父にあたる。この時に叔父の話を聞いて彼は初めて彼の祖先は岡山県の出身であることを知ったのである。

  そこで自治体から添付された書類を改めてみてみると謄本の作成日は大正10年とある。林右ヱ門は当然死亡しているだろうが、その土地はだれにも相続移転されることなく百年近く放置されていたらしい。一体この百年間固定資産税はだれが払っていたのだろう。危なっかしい話だな、とTは慎重に考えて返事を出さなかった。ところが今年また同じところから同じ書類が届いたのである。それには昨年はなかったことも記されていた。土地を確定測量するから来月A日午前10時に現地に来いというのである。そして草刈りをする道具も持ってこい、というのである。どうも話が尋常ではない。

  今後のこともある。役所というのはしつこいから毎年類似の督促が来るかもしれない。といって指定された当日に行くのは危険だ。相手のペースにはまってなんらかの書類に署名捺印させられるかもしれない。Tは岡山県の地図を買って、どんなところだろうと調べたが、山の中の県道沿いの土地ということが分かっただけで見当もつかない。それで向こうが指定する日にちの前に現地の様子を見てみようと岡山行きを決めたのであった。

  旅行の前に大学時代の友人でフリーランスのノンフィクションライターをしている男に話したら、原野商法ではないだろうという。百年もほったらかしてあったのは役所の怠慢ではないのかというのだ。どうして今頃と彼が聞いたら、友人は一番可能性があるのは、最近はやりの町村合併かなにかで古い書類を突き合わせていて、書類の不備に気が付いて、慌てて合併前に書類のお化粧をしようというのではないか、というのだ。

  友人はもう一つ別の可能性も示唆した。彼の祖先がうっかり相続手続きをしない間隙をぬって誰かが、たとえばその土地の管理を任されていた人物が長年詐取していたのではないかという。それが何代か続いていたが、最近になって、たとえばその一家が都会に移り住んで無住の地になった可能性である。

  「まあ、可能性としてはほかにもあるけどね」と友人は言った。「最近所有者不明の土地が全国で増えているとかいう報道があるだろう。政府もそういう土地の所有者を確定できないと、たとえばそこに道路を通したり、公共工事をするときに支障が出るだろう」

 そういうニュースが最近はよく報道されるな、とTは頷いた。とにかくその土地の実情がどうなっているか、独自に調べてみようとTは考えたのである。

 

 


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