穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

太宰治『津軽』

2012-04-28 14:58:18 | 太宰治書評

当ブログの書評カテゴリーを見て対象の雑多なことに驚かれるであろう。活字依存症なのと、適当な読書指導者がいないのだ。

さて、津軽、を読んで丸谷才一の文章読本を思い出した。その心は東北人がおどけた文章を書こうと落語をまねたところだ。

田舎者には落語をまねることが難しい。昔は言葉に訛りがあると言うので田舎者は弟子に取らなかったということは知られている。今は落語と言っても田舎者の真打ちもいるし、活字になっているから田舎の人もまねたくなるんだろうが。

訛りの問題よりも何よりも、エスプリ、この言葉も死語だろうが、が生得のものでないと妙に聞こえるだけだ。

ま、簡単に言えば都市最下層民の意地っ張りのやせ我慢と批判精神、反骨精神ということだろうが、これはまねられない。やせ我慢というところが特に大事だ。

太宰治は旧制高校卒業まで青森にいたのだから田舎漢(デンシャカン)といって差し支えあるまい。田舎の人がまねるなら浪花節がいい。講談もいい。もっとも太宰は高校時代女義太夫のお師匠さんの所に稽古をつけてもらいにいっていたそうだ。津軽、に書いてある。

津軽、には他にも意外だった点があるが、以下次号。