穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

いい女を犯人とするのは英米小説史上はじめて?

2015-05-19 08:52:20 | マルタの鷹

諏訪部氏「マルタの鷹22講」によると、ヒーローに愛される女性は善良である(悪事を行わない、犯人ではない)、というのは根強い通念であったそうである。大学で英米文学を講ずる先生であるから、少なくとも18世紀以降の英米小説はめぼしい所はすべて読んでいるだろうから本当なのだろう。 

だからブリジッドが犯人というのは新機軸だそうである。私が再三ブログで言って来たことだが、ハードボイルドの際立った特徴は良い女(すなわち魅力的な美女)が実は犯人であったという展開である。私はこれがハードボイルド小説の特徴であると思っていたが、別にHB作家の独創だとは思っていなかった。

ヒーローあるいは探偵に愛されるかどうかは別として、草創期のHBの代表作はすべてといっていいくらい、いい女>>殺人犯である。諏訪部氏の言う通りだとすると、HBを以後特徴付けるパターンは「マルタの鷹」が嚆矢となる。ハメットの作品でも他にはいい女=毒婦*という図式はない(私の記憶)からマルタの鷹は以後のHB(チャンドラー、スピレーン)の方向を決定した画期的な作品と言うことになる 

*  正調日本語のお勉強:

美女という言葉は明治の文士が作ったことばらしい。「いい女」という表現が日本語プロパーである。悪女というのはブスという意味である。現代日本語で使われている悪女という意味の言葉は正調日本語では毒婦という。ブリジッドは悪女ではない。毒婦である。また、毒婦の条件はいい女である。ブスでは男を手玉にとって悪事をはたらくことは難しい。もっとも木島某女のようにデブ系、ブス系でも毒婦がいるが、きわめて稀である。

 



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