外出自粛、本でも読むかと思ったが食指が動く対象もない。久しぶりに書評めいたものを書くか、という次第である。
サイエンス・フィクションなる分野がある。あまり読まないがそれでも百冊以上はよんでいるかもしれない。例外なく「砂を噛むような読後印象」しかない。内容を覚えているものはない。もっとも、和書は読んだことはないから翻訳物のことである。翻訳がまづいのか、原文がつまらないのか分からない。
この間早川で「書架の探偵」ジーン・ウルフというのを読んだ。途中までだが。それで気が付いたんだが、SFというものは最初の仕掛けが非現実的というか幻想的というか未来的なんだね。びっくりして、それじゃ小説で書くと登場人物はどう動くのか、どうなるんだ、と買ってみる。
そうすると、そういう未来的な仕掛けの中で動く人物は当今の人間と行動様式も考え方も使命感も同じなんだね。なんだ、これは、と思うわけ。金を返せ、とね。
それも紙芝居的、小学校低学年向きの作文だから最後まで読めるわけがない。つまり現代と同じ人間が紙芝居をやっているわけだ。読むに堪えない。
私が読んだなかでは、これもSFのジャンルらしいが、ハックスレーの「すばらしき新世界」が唯一内容もサイエンス・フィクション的で未来的であった。つまり外面的なこけおどしのギミックだけではなくて、人間のOSまで様変わりして書いてあるから成程と思わせる。
これはSFではないが、人間のOS(内面、あるいは行動規範)まで変わった世界を見事に描いたものにカミュの異邦人第一部がある。ちょっと、断っておくがカミュというとカフカがおまけでついてくるが、カフカは外面、つまり世界のOSが違ってくる(壊れていると現代人は考える)世界をえがく。これはこれで工夫があるから最後まで読める。
純文学(おどろおどろしい言葉だから一般小説家としよう)の分野ではノーベル賞作家のカズオ・イシグロの「私を離さないで」はクローンを画いてSF的なところがある。さすがに並みのSFのような紙芝居の域は脱しているが、どうも迫力不足に感じる。