冷蔵庫を開けた。なにもない。ミルクもなければヨーグルトもない。卵もない。もちろんパンも切れている。土曜日である。明日は外出する時間がない。朝からG1レースの馬券検討で買い物に行く暇がない。二日間湿気たジャンクフードの残りと水道水で凌ぐ手もあるがぞっとしない。それで原則として家族連れで盛り場が雑踏する週末は外出しないのだが、買い出しに行くことにした。
相変わらず盛り場は政府の子育て優遇政策のせいで乳母車(しつれい、ベビーカーでしたね)を押す二人連れが群れている。買い出しは帰りにすることにして碁会所によった。土曜日の午後と言うことだろう。どこかの会社の社内囲碁大会が開かれていた。トーナメント方式らしく壁に対戦表が張り出してある。若い社員から初老のサラリーマンまでが盤を囲んでいる。若い女性もいる。綾小路老人はいたが社内囲碁大会で相手がいない。高梁が部屋に入ると早速そばに来てやりましょうという。会場は貸し切りでもないらしい。
「週末にお会いするのは珍しいですね」と老人が口元をゆがめて笑いながら話しかけた。
「週末には市中逍遥はしないことにしているんですがね、週末の餌がなくなってしまって買い出しに出てきたんですよ」
「なるほど、一人暮らしでは買い物は厄介ですね」と言うと無精ひげの生えた顎の下を撫ぜた。「だいぶ腕を上げられたから今日から二子で打ちましょう」
「大丈夫かな」と言いながら高梁は石を対角線上に置いた。
「ところでお友達のお仕事のほうは進んでいるんですか」
「いやどうもはかどらないようです。そうそう先日は津山三十人殺しのことでご教示を有難うございました。早速彼に伝えておきました」
「ははあ」と彼は手を止めた。相手が定石外れのところに間違って石を置いたのをみて考えていた。
「問題はなんですか。難問と言うのは」
「犯人の自殺願望がなにも関係のない人を道連れにして大量殺人に発展する過程が説明できないようです」
「ふーん」と再び老人は手を止めた。打つ手を考慮しているのか、彼の言ったことを考えているのか分からない。