穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「フラニーとズーイ」を買った理由と読む理由

2015-12-04 08:36:24 | 村上春樹

新潮文庫で村上春樹訳のサリンジャー「フラニーとズーイ」が書店徘徊中目に入った。新潮文庫用に新たに「訳し下ろされた」ものだという。平成26年3月発行同五月二刷と奥付にある。彼の訳してはあまり売れないようだ。そのせいか、初めて気が付いた。

表紙のコピーによると、フラニーが妹でズーイが兄だという。サリンジャーには「ライ麦畑で捕まえて」というのがある。どこの進学校にいっても、すぐに放校処分を受ける突っ張り少年のニューヨーク三日間の放浪記である。全編が16、17歳の突っ張り少年のモノローグである。冗長であるが、リズムを刻んだ文体でとにかく読ませる。 

それだけで終わればそれだけのことだが、少年が最後に行く所がなくなり、金もなくなり、深夜こっそり家に戻る。そして妹の寝ている部屋に入る。10歳くらいの少女である。この少女が目を覚ましたあとの話が実に良い。

兄、妹を描いた小説は他にもあるだろうが、これほど印象に残る小説には出会わなかった。社会に対して、学校に対して突っ張り続けた少年がにわかに妹に慕われる兄として描かれている。この〆が無かったらこの小説はピッピーのバイブルに留まっていただろう。

この記憶があるから、文庫のコピーで兄と妹物語だと書いてある点に注意を惹かれた。今度はどういうバージョンかなというわけである。とりあえず買っておいた訳であった。

まだ読んでいない。サリンジャーは訳者に解説をつけることを禁じているが、ひょっとしたらこの本には村上氏の解説があるかな、と頁をパラパラとめくっていたら折り畳んだチラシ様のものが出て来た。読むとこれが村上氏の解説なのである。現著者(亡くなったらしいが)あるいは版権者から解説をつけることはやはり禁止されているらしい。それで村上氏が工夫したようだ。かなり長い文章であるが、それでも書き尽くせないので続きは新潮社のウェブで見て欲しいとある。http://www.shinchousha.co.jp/fz という訳である。

これを読んで驚いた。村上氏の入れこみ方が尋常ではない。かれはすぐれた後書き作者(あるいは書評家、批評家)であるが、ときには手放しの賛辞になることはあっても、なんというかdetachedな客観性がある。ところがこの文章の書き方は彼の書評では初めて読んだ。記述は抽象的で最大級の形容詞を連ねている。

ちょっと、興味をそそられるではないか。まだ読んでいないが、読もうと思う理由である。

 



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