穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「赤い館の秘密」について

2015-07-27 20:53:16 | 本格ミステリー

詩人(イギリスの狂詩のようなものらしい)でありジャーナリストである作者が余技で書いたものであり、筆力は保証されている。

しかし、創元文庫の翻訳の日本語には意味の通じない訳が多数ある。原文が訳しにくいのかどうかは検証出来ないが、通読した印象では翻訳の問題ではないかと思われる。また、意味がおかしい云々でなく日本語としておかしいところもある。若い娘の母親の会話に「なになにじゃわい」というような訳文がある。侍社会の後家言葉でもあるまいし妙だ。 

こういうものこそ、今はやりの言葉で言えば「新訳」が出てもいいのではないかと思われるのだが。

解説は中島河太郎氏である。一時代前の人のようだが、彼の解説は安心して読める。その解説の中でチャンドラーがこの作品を批評した文章が有ると書いている。私は読んだことはないが、この二人は面識があったのではないか。チャンドラーは1888生まれで青年時代はイギリスでシリアスな詩を発表していたというし、「赤い館の秘密」の著者ミルンは1882年生まれであり、詩人としてスタートしている。しかもふたりともアイルランド人である。機会があったら読んでみたいものである。 

探偵の立ち位置であるが、出来心で探偵になった定職なしのギリンガム青年である。田舎の豪邸に食客として滞在している友達を訪ねた先で殺人事件に遭遇する。警察との関係だが、まったく没交渉である、最後まで。最後に警察に先んじて真相を解明する段階で友人に「警察にも言う必要が有るかな」てなことを漏らすくらいのものである。ユニークといえよう。

ギリンガム青年は一度視覚に入った物はデジタル写真みたいに意識にのぼらなくても、すべて思い出すことが出来るという「超能力」をもっている。これって数年前話題になった「ミレニアム」の女主人公の設定とおなじである。作者が応用したのかな。

これも一人二役物である。イギリス人はシェークスピア以来この仕掛けが好きらしい。最後の謎解きは犯人が手紙で自白するのだが、迫力なし。盛り上がりなし。平板である。

 



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