穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

112:必勝法

2020-06-29 08:46:13 | 破片

 しばらく下駄顔老人はエスプレッソ・シェイクの吸い上げ方の慣熟に集中した。ようようのことで中身を半分ほど吸い上げたところで店内に大音量でファンファーレが鳴り響いた。なにごとかと卵頭も顔を上げた。「緊急地震速報かな」なんて寝ぼけたことを呟いた。四人組のフィクサー男が懐をまさぐるとスマホを取り出して耳に当てた。「はい、わかりました。これから参上いたします」なんて最上級の敬語を使いながら見えない電話の向こうの相手にお辞儀をしている。

 おとこは皆を促して立ち上がり店を出て行った。段取りをつけた相手にカモの男性を引き合わせるらしい。彼らが去ると店内は急に静かになった。入れ替わりに元パチプロの立花氏が入ってきた。彼らの席に来ると「いやどうも、ご無沙汰していまして」とあいさつをした。
「どうです。新しい商売は」と卵頭が聞く。
「いや、まだ調子が出ませんね。まぐれのあたりはあるんだが、狙った目はなかなかとれない」
彼は昼飯になにかからい物でも食べたのか、酒でも飲んできたのか、真っ赤な顔をしている。汗も拭きだしている。紙おしぼりで汗をぬぐいながらコップの水を一気にあおった。

 競馬に必勝法はあるんですか、と下駄顔が尋ねた。
「あるものですか」と立花氏は即座に断定した。「必勝法が出来れば競馬は即座に成り立たなくなる」
「なるほど、そうでしょうな」
「しかし、競馬新聞なんかを見るとデータはおびただしくあるが、あれは全然意味がないですか」
「そう言ってしまえば身もふたもないが。参考にはなりますね。しかし、利用の仕方は人さまざまですよ」
「データがあれだけあると、確率的にはかなり近似値がでるでしょう」
立花氏はすでに使ってくちゃくちゃになって、破れつてしまったおしぼりを広げると首の後ろをぬぐった。
「どうですかね、スーパーコンピュータの富岳を一年間火の出るまでぶん回しても無理でしょうね」と断定した。

銀色の冷凍ボックスを持った診療所まわりのCCが店に入ってきた。立花氏を見ると「おや、おめずらしいですね」と声をかけた。「どうですか、競馬のほうの調子は」と聞いた。「皆さん、競馬の話をしていたんですか」
「うん、必勝法があるかどうか、という議論をしていたのさ、立花さんは絶対にないというんだな。とこころで若いから君は競馬もするんだろう」

「まあ、ぼちぼちですね」

下駄顔は立花氏のほうを向くと、さっきまぐれ当たりはあったというが大穴でしたか」と話題を振った。
「へへへ、大穴も大穴、一度も取ったことのない馬券でしたな」というと唇をまげてウフフと気持ちの悪い笑い方をした。

若いCCが早速食いついた。「配当金はいくらです」と立花氏を睨むように見据えた。
「ええまあ、百円券が百万円になりました」
「三連単ですか」と競馬の知識のあるCCが確認した。
はい、と彼は頷いた。
「もちろん、流したんでしょうね」
「ええ、フォーメイションで30点ほど」
「そりゃ、ますますすごい。マニアには穴をねらって人気のないところからべた流しする人はいるが、最低でも100組は買いますよ。いや、200枚や300枚も買う人がいるが、30枚で百万円馬券を当てる人はまずいないな」
「だからまぐれだと言ったでしょう」

それが理屈も根拠もなかったというから大したものだ、と下駄顔が言った。
「本当ですか」とCCが問いただした。
「まあそうですね、強いて言えばお稲荷さんのご利益でしょうね」

 



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