摩耶はあくびをかみ殺すと腕時計を見た。「コーヒーのお代わりをつくりましょうか」とT(高梁第七)に聞いた。
「いえ結構です。どうもありがとう」
「おじさんは」
「ぼくももういい」と平敷が断ると彼女は「どっこらしょ」と掛け声をかけると立ち上がり三人のカップを流しに運んだ。
「前にも話した記憶があるが、意識の三層構造と言うのがあってさ、パソコンに例えると分かりやすいが、基板、OS,アプリケイションとあるわけだ」
「そういう風に分けるのはあまり聞いたことがないな」
「そうだろうな、俺の独創だからな。だけど意識の下に(なんとか)意識があるというのは諸説があってね。無意識とか下意識とかエスだとか超自我なんてのもある」
「なんだかフロイトが言いそうなことだね」
「フロイト先生が言っているのさ、今の分類はね。仏教なんかじゃもっとすごいぜ。阿頼耶識(アラヤシキ)とか言ってさ、意識下の階層が何百とある」
「本当か」と平敷は疑わしそうな視線を向けた。
「ハハハ、それは大げさだが、とにかく沢山あるというのだ。無意識なんてフロイトみたいに簡単に片づけないところ仏教の貫禄だな。たしか七つくらい階層があったと思うな。それに特化した学問が仏教にはあってさ、唯識とかいうんだ」
「それじゃお先に失礼します」と摩耶が挨拶をした。平敷が「ああご苦労さん」と答えると彼女はドアを開けて外へ出た。
「君がいま調べている理由なき大量殺人だけどね」と高梁は続けた。「精神鑑定で壊れていれば現代の社会では責任能力がないとして訴追されない。そうだろう。だけど例の三つの件はいずれも犯人には責任能力があると精神鑑定の結果が出ている。これはもっとも政治的な判断だという説もある。責任能力なしとして精神病院に収容されてしまえば被害者の遺族は納得しない。責任能力ありとして断罪しないとおさまりがつかなかったという意見もある」
「なるほどね」
「責任能力があるということは機械としては壊れていないということだ。そこでどのレベルでそう言えるのかということだ。少なくとも最下限の基板レベルでは壊れていないということになる。とすると壊れているのはOSかアプリケイションかということになる」
「それで君はどう思うんだ」
「特殊なアプリケイションの可能性がある。あるいはOSでプラグインのような付加的な部分だな」
「なんだか神秘理論みたいになってきたな」
「モーゼの十戒というのがあるだろう。そのなかに殺すなかれというのがあるのは知っているよね。ということはだよ、モーゼ以前には、殺すなかれ、なんていう戒律がなかったことだ。つまり家族部族を含めて人間を殺してはいけないということは原始的な基板にはなかったということだろう。仏教ではお釈迦様が殺生してはいけないと諭された。つまり原初の基板にはそういうことはプログラムされていなかったということじゃないか。つまりOSかアプリケイションでそう書き込まれたということだよ」