穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

7-1:死を経験した者はいない

2018-09-06 07:40:28 | 妊娠五か月

 平敷は猿江神社の近傍にある仕事場から今にも雨の降りだしそうな灰色の空を見上げながら考えていた。たしか誰か哲学者がだれも死を経験しないとか言っていなかったかな。死ぬときは意識がないから死を体験しない。だから死と言うのは概念であって実在しない。要するに死とはフィクションであるというのだったかな。人間はフィクションを発明し操る動物であるという言葉もあったような気がする。死という概念もフィクションということになるのか。

  無差別大量殺人事件を種にしてなにかうまくまとまりそうだという最初の思惑が外れてどうも見通しがたたなくなった。そんな状態で袋小路に入り込んだような状態の時にふとそんなことを思い出したのである。死がフィクションだとすると、その概念的バージョンは無数にあるはずだ。人間の数だけあって当然かもしれない。しかし人間の脳のメカニズムと言う外的制約があるから、無数というわけにはいくまい。おのずからいくつかのパターンに別れるのではあるまいか。

  Big killerの立場に立って考えてみる。彼は死にたいと思う。概念的には死とは個人的でも集合的でも同じである。もしそれがフィクションであれば。未熟な若者の常として、出来るだけdemonstrativeに(つまりワイドショー的に)、ゲームのように派手にやりたい。マスコミでの効果を味わうためには自分が主演するワイドーショーを繰り返し後から見たい、自殺してしまっては効果を確かめられない。だからその場で自殺せずにつかまる。日本の警官は滅多に犯人を射殺しない。あるいは自首する。逃げおおせる気はない。

  そうすると、アメリカなどの類似の事件はどうなるか。たいていは犯人がその場で自殺しているらしい。アメリカは銃社会だし、警官は犯人を制圧するときに躊躇なく射殺するから射殺される前に自殺するのだろうか。そういえば摩耶に頼んだ外国のノンフィクション本はどうなったのだろう。

  彼は電話機を取り上げるとTに電話して、いま思いついたアイデアを話した。

Tは笑い出した。「どうだい、あまりに荒唐無稽かな」

一拍あって、Tは「いやそうでもないかもしれない。すこしいじくってみればなにか面白いものが出来るかもしれない」

「方向性としてはあり、かな」

Tはしばらく電話の向こうで考えていたが、「宗教団体の中にはハルマゲドンなんていうフィクションで脅かすのがあるだろう。ハルマゲドンというのは全人類の滅亡ということだ。キリスト教のヨハネの黙示録なんてのもハルマゲドンの脅迫だしな。考えてみれば仏教のコウという考えもハルマゲドンだぜ。全チャラにして最初からやり直す、今の若者にわかりやすい言葉で言えばもう一度ビッグバンからやり直す、つまり全世界滅亡(つまり全人類の死を当然に含意する)ということだからな。

「なるほど、うまくまとまるかすこしやってみるか。ところである意味でこれは非常に哲学的なアプローチだろう。なにか理論武装するために援用できそうな参考文献はないかな」と平敷は聞いた。

「そうねえ、色々あると思うよ。読み方によってはね。さしあたり中世の神学界で大きな争点だった普遍論争なんてのが参考になるかもしれない」

 Tのアドバイスに礼を言って電話を切ると摩耶からの電話が着信履歴にあった。コールバックするとチカチカドンドンという着信音のあとで摩耶の声が聞こえた。「いま駅に着いたから」というと返事も聞かずにいつものように電話を一方的に切ってしまった。平敷は手の中の受話器を眺めて苦笑した。

 


6-5脱色された戦争の語り部

2018-09-03 09:27:43 | 妊娠五か月

 受付のあたりで嬌声が沸き上がった。振り返ると先日も見かけたギンギラギンの老婆である。今日はもうひとり老婆を伴っている。ひび割れた子宮が共鳴するような声があたりを圧した。ワンテンポ遅れて窒息させられそうな脂粉の臭気が押し寄せてきた。綾小路老人ははやくも腰を浮かせた。綾小路老人があいさつに行くと「今日はこの人と打ちます。どうぞそのまま」と老人に言っている。

  席に戻ってきた老人にTは「ずいぶん派手なご婦人ですね。碁がよほど好きと見える。強いんですか」と聞いた。

「まあ、強いほうでしょうな。あの人の旦那さんがべらぼうに強くてね。それで打つようになったんですよ」

「よほどお金持ちなんでしょうね。指輪なんかにすごい石を嵌めている」

「旦那さんはだいぶ前になくなっているんですがね。実業家と言うよりかフィクサーというんでしょうな。政商ですよ。怪物みたいな人でね。だけど碁が本当に強かった。呉清源にも二子を置けば絶対に負けないと言っていたそうです」

「アマチュアなんでしょう。呉清源に二子というとどのくらい強いのかな」

「まずアマチュアではトップクラスでしょう。全日本選手権で優勝する実力たったでしょうね」

「そうすると彼女は旦那さんの残した資産で楽隠居ですかね」

「どうかな、それは知らないが、彼女は霊媒なんですよ。筑波山のふもとに道場をもっていて、宗教団体の教祖です」

「へえ、そうなんですか」

「生前は旦那さんといいペアだったらしいですよ」

「いまでも政治家に食い込む連中には自称霊能者が多いそうじゃないですか」

 ところで、と老人は矛先をTに向けた。「あなたはなにをしていらっしゃるのですか」

 老人の疑問ももっともといえる。まだ定年退職して年金生活を始めるような年齢でもないのに、平日の昼日中に碁会所で時間をつぶすのは一体どういう人だろうと思うのは自然である。Tはよく聞かれる質問なので答えはよどみなく出てくる。

「市中徘徊者です」

「ハイカイ?俳句でもつくるんですか」

「いや目的無く街中をうろつくんです。徘徊と言うのは後期高齢者ばかりではないんですよ。ただ違うのはね、毎日自分のうちに帰ってこられるところです」

「徘徊と聞くとびっくりしますね。逍遥とでもしゃれたらいいでしょう」と老人はアドバイスした。そうか、市中逍遥者に職業を変えようか、とTは考えた。

 「ところであなたのお仕事は?」と80歳を超えたと思われる相手に尋ねた。「戦争の語り部ですか」

「あ、いや。そう今日はそうでしたね」

 老人の記憶は、世間の取り澄ましたなんの役にも立たない(戦争の語り部)と違いオキシフルで脱色していないところが貴重だとTは思った。