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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



日本サッカー協会顧問の村田忠男さんが亡くなったという記事を今朝の新聞で知った。

村田さんとは面識はなかったが、一度インタビューをしたいと思いながら、2年がたってしまっていた。最近、あるきっかけがあり、インタビューのお願いの手紙を出そうと思っていた矢先だった。残念ながら、もう話を聞くことはできない。

ぼくが聞きたかったこととは……。

ビバ!サッカー研究会の仲間とともに出版した「ビバ!サッカー探求」という本のなかで、ぼくは、ワールドカップが日本でどのように伝えられてきたか、を書きまとめている。

そのなかで、日本でのワールドカップの試合のテレビ中継は、1970年メキシコ大会からと書いたのだが、その後、1966年イングランド大会の決勝戦が放送されていることを、サッカーライターの大住良之さんから聞いた。

調べてみると、確かに、延長120分間の試合が、1時間のダイジェストとして放送されていることがわかった。なんとも恥ずかしい調査不足の極みである。

そして、大住さんによれば、この試合の放送権を買ったのが、当時、三菱商事の英国支店に駐在していたと思われる村田さんだった。1968年に「ダイヤモンドサッカー」が始まる2年前のことだ。

ワールドカップの放送権を購入したのはなぜか。いくらだったのか。どんな苦労があったのか。聞きたいことはたくさんあったが、もう遅い。

村田忠男さんのご冥福をお祈りします。


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TOYOTA presents FIFA CLUB WORLD CUP
浦項 2対1ムゼンベ
2009/12/12 NTV

知性対感性、あるいは戦術対身体能力、あるいは組織対個人。浦項(韓国、アジア代表)とムゼンベ(コンゴ、アフリカ代表)は、それぞれの地域を象徴するような内容だった。

個人能力を十分に発揮できる攻撃面では、ムゼンベは意外性のあるプレーでチャンスをつくるも、いい加減な守備の裏を何度もつかれ、ピンチを招くう。それを、GKキディアバのスーパーセーブでしのぐ。一方、前半28分にロングシュートで失点した浦項は、その後、ムゼンベの守備の裏をつくプレーを執拗に繰り返し、後半に2点を奪い、逆転勝ちした。

先制したムゼンベが、浦項の戦術を理解し、対処していたら、逆転があったかどうか。しかし、何度も裏を狙われているのに、おおらかに自分たちのサッカーを続けていたムゼンベは、ある意味、アフリカ代表らしかった。

この試合、ワールドカップの日本とカメルーンの対戦を重ねて見ていたが、同じアフリカのチームとはいえ、ムゼンベとカメルーンはまったく違っていた。一昔前だったら、おそらくもっと似ていたはずだ。カメルーン代表も、よく言われるアフリカの黒人特有の身体能力を前面に押し出すサッカーをやっていた。しかし、今は違う。カメルーン代表のほとんどはヨーロッパのクラブの中心選手である。戦術や組織力を身につけている。

そう考えると、日本がいるEグループは、日本とヨーロッパの3カ国からなる、まさに「死のグループ」と言える。浦項の快勝を見ながら、南アフリカで、日本代表がグループリーグを突破するのは、やはり難しいだろうなと思った。



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