まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

お疲れ様

2014-06-23 | 暮らし

旦那は6月20日の株主総会で退任し、仲間の皆さんより花束をいただいた。見事な薔薇だ。この花束を見る限り、少なくとも嫌われてはいなかったと思う。

車での金沢往復が心配でついて行った。まだ杖を頼りに歩くので、目は離せない。外で時間をつぶし、会社へ迎えに行くと、従業員の方々が外まで見送って下さったので、思わず雅子妃殿下状態で手を振るところだった。ここはこらえて頭を下げた。

その後、営業所と兼六園下の組合に寄ったが、そこまでが限界で、外も暑く時間も1時過ぎたので、食事をして帰ることにした。出来れば、ゆっくりと静かに過ごせるところということで、卯辰山の松魚亭へ寄る。

五段弁当を注文し、食後のコーヒーも飲んでゆっくり。いつも食欲がなくて、いろいろ工夫しなくてはならない旦那が完食。いつも、わたしの料理にため息をつくのは、病気のせいではなく、単に技量のせいだったのでは。料亭料理なら食べられるのだ。それなら、私は料亭料理を学ぶべく、時折料亭で食事をすることを提案した。妻の口は肥えなくてはならない。口が肥えると、体も肥えるが、幸いこのところ太る暇がない。食べ歩きの条件にうってつけだ。しかし、わたしの提案を旦那は聞こえないふりをしている。

食事の条件が変わった。多種、少量、高級。勉強のため派遣要請を。


仏壇が来た

2014-06-23 | 暮らし

新しい仏壇が来た。正確には、婆さんが「古い仏壇を買い替えたい。」というので注文した仏壇が出来あがって運ばれてきた。伝統工芸を駆使した新作だという。

前の仏壇は古く掃除した時に、何かのはずみで金箔が剥がれた。扉もぼろぼろになっていた。しかし、仏壇も私たちの年代で終わるのではないかと思えてしまう。娘たちの建てた家は座敷がない。座敷がないので床の間はない。当然、仏壇の場所はない。そのような若者のために、三角コーナーに飾り棚のように置ける仏壇があった。今風である。

さて、墓とか仏壇とかは誰のためにあるのか。亡くなった人が忘れないでほしいという願いの為にあるのか、生きている人の心の拠り所としてあるのか。

どちらにしろ、うちの年寄り爺さん、仏壇が替わっても何も反応もなく、いつものようにちんちん鳴らしてお参りしていた。最近、やたら歩き回るので、婆さんも落ち着かない。今朝も5時から仏壇に向かおうとしていたらしい。ひところ、何回もお参りしていたことがある。

92才の爺さんは、長く生きたことを辛いという。人は長生きしたいというが、思うように体が動かないと辛いのだろう。それは、自分がその時になるまで分からない。
実家の父も不自由なことが出てくると「未知の世界や」という。そして「あの世も、未知の世界や」というので、「あの世は読み切れんし、黄泉(よみ)の国やろ」というと、なるほどと、変なところで関心された。