『 還暦を迎えた男性が夜の海を2時間、泳ぎ切った-。岡山県笠岡市沖の瀬戸内海で26日夜、漁船が沈没し、海に飛び込んだ男性が近くの島まで泳ぎ、一命をとりとめた。この男性は、香川・多度津町で渡海業を営む大川一夫さん(60)で、家族の話によると人口115人の佐柳島に住む男性のなかで最も若く、「子どものころは島で一番泳げたが、30年ぐらい泳いでいなかった。火事場のくそ力だ」と話しているという。水島海上保安部によると、大川さんは26日午後8時すぎ、用事で立ち寄った岡山・笠岡市の白石島を1人で出港。自宅がある多度津町の佐柳島を目指したが、約1時間後、真鍋島沖で船が岩にぶつかり、浸水し始めたため、海に飛び込んだ。 その地点から佐柳島に向かうのが最短距離だったが、大川さんは「潮の流れに逆らわない」と瞬時に判断。灯台の明かりを目指し、午後11時すぎに、真鍋島から直線距離で5・5キロ離れた同市の六島に無事到着した。そのまま歩いて海岸近くの民家に行き、助けを求め、風呂などに入れてもらった。 大川さんは電話で妻・和子さん(54)に「六島で風呂に入っとるから心配せんでええ」と伝えた。一夜明けたこの日、大川さんは船の捜索に出向いた後、元気に自宅に戻ってきた。和子さんによると、大川さんは佐柳島で育ち、小さいころはよく海で泳いでいたという。同海上保安部は「これだけの時間泳いで助かったのは、あまり聞いたことがない」と驚いていた。』スポーツ報知
本当に助かって良かったですね。諺で昔の人は昔とった杵柄、きねづかと言いますが。以前鍛えた腕前ですね。以前水練学校の先生が、海で泳ぎを覚えて人は、ブールでの泳ぎを覚えた人の二倍は実際に泳げると言われていましたが。激戦地になった沖縄戦の時、兵庫県西宮市香炉園浜の水練学校の生徒が、日本海軍に入り本土の島まで泳いで伝令の役目を果たした逸話を話して下さいました。小さい子供頃から海で育った人のたくましさを感じますね。火事場の馬鹿力は、アメリカでもトラックの下敷きになった自分の子供を助けたお母さんもいるそうですからね。人間必死になれば、いざと言う時には、常日頃持っている力以上の力が発揮出来ると言われている証明です。大川一夫さん今後ともご自分健康に注意されて、皆さん方の為に頑張って下さい。これからの還暦の「海の子」の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げます。日本は海洋王国の筈です。「われは海の子」の歌も忘れられている昨今です。四面海に囲まれた島国の日本です。日本の伝統あるたくましい海の子を育てることも大切では有りませんか。日本男児、男らしい大和男の復活を期待します。 日本の海や川が汚れ、近くの海や川で子供達が自由に泳げなくなっているのも問題です。海は人間の源、祖先です。海から学ぶ大切さも有ると思います。地球環境保護と日本の自然を守る為に今新型インフルエンザの感染問題で修学旅行の延期が問題になっていますが゛。夏休みに海の近くの林間学校と言う修学旅行も小・中・高等学校で実施したらどうでしょうか。都会の観光名所や有名な遊園地より、自然に親しむ大切さや自然の空気のおいしさや涼しさを満喫するのも良いと思います。子供達が自然の中で過す修学旅行も良いと思います。教科書間中だけで学ぶのではなく、自然の中に入り親しむ、その中から学ぶことが環境教育の本当の勉強では有りませんか。今年は蜂がぶんぶん飛んでいません。自然環境の異変としか言いようが有りません。果物や野菜の生産の農家の方々に影響が出ていると聞きます。理科離れも自然を大切にし、自然から学ぶことを忘れては科学教育の原点を忘れているのでは有りませんか。子供の頃から図鑑や百科辞典から親しみ学んで試験で良い点数が取れても身に付いていません。理科の体験学習と実習や実験をないがしろにした理科教育では、日本を背負って立つ未来の素晴らしい科学者は産まれません。今こそ日本人が、自然に帰る大切さを考えるべきです。われは海の子の歌詞を下に書かせて頂きました。
『「われは海の子(われはうみのこ)は、童謡のひとつ。文部省唱歌。作詞宮原晃一郎 (未編集)宮原晃一郎(本名、宮原知久)(1882年 - 1945年)(芳賀矢一(1867年 - 1927年)が作詞・または改作とする説もある)、作曲は不詳。オリジナルの曲名は我は海の子(われはうみのこ)である。 ちなみに、歌詞のモチーフとなった海は、鹿児島県の鹿児島湾(錦江湾)だといわれており、そこに面する鹿児島市祇園之州町の「祇園之州公園」には、この唄の歌碑が建っている。
歌詞 ( 1995年宮原没後50年経過による死去による著作権消滅を確認済み)
☆ 「われは海の子」
宮原晃一郎:作詞、不詳:作曲。明治四十三年。尋常小学唱歌。この唱歌は戦後、歌詞が軍国主義的と批判され教科書から削除され たが、昭和三十三年復活した、しかし三番以降の歌詞の内容に問題があるとされ歌われること無く、現在音楽の教科書等では第四番から五番の歌詞が省略されている。
- 我は海の子、白波の
さわぐいそべの松原に、
煙たなびくとまやこそ、
我がなつかしき住家なれ。 - 生まれて潮にゆあみして、
波を子守の歌と聞き、
千里寄せくる海の氣を
吸ひてわらべとなりにけり。 - 高く鼻つくいその香に、
不斷の花のかをりあり。
なぎさの松に吹く風を、
いみじき樂と我は聞く。 - 丈餘のろかい操りて、
行手定めぬ波まくら、
百尋(ももひろ)・千尋(ちひろ)海の底、
遊びなれたる庭廣し。 - 幾年こゝにきたへたる
鐵より堅き腕(かいな)あり。
吹く潮風に黑みたる
はだは赤銅さながらに。 - 波にたゞよふ氷山も、
來らば夾れ、恐れんや。
海卷き上ぐる龍巻も、
起らば起れ、驚かじ。 - いで、大船を乘出して、
我は拾はん、海の富。
いで、軍艦に乘組みて、
我は護らん、海の國。 』 ※出典: フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より一部引用