党内で「政党ブロック」について議論しています。
2か月ほど前に書いた雑文ですが、ご参考まで
ブログでも掲載させていただきます。
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政界再編は「政党ブロック」で
新党をつくって政界再編しかないのか?
昨年の衆院選と今年の参院選で明らかなのは、野党がバラバラに戦えば自民党を利するだけということである。そこで出てくる議論のひとつが、民主党、日本維新の会、みんなの党等の志を同じくする議員を糾合し、自民党に対抗できる二大政党の一角を担う新党をつくるという発想である。実際にその目的と思われる超党派の議員グループもできているようだ。
90年代以降の政治改革論議では、「小選挙区制とセットの二大政党制こそが望ましい」という論調が多く見られた。しかし、欧州諸国の多くもそうだが、日本でも二大政党制は根付かなかった。小選挙区と比例代表を併用する衆議院の選挙制度と、参議院の複雑な選挙制度を考えれば、二大政党化が進まないのは当然である。二大政党制発祥の地の英国でさえ、現状は二大政党とは言いがたい。しかも、ここ数年のできては消える新党の数々を見た国民は冷めている。この時期に新党をつくっても「新しさ」はない。
また、新党をつくったところで政権交代可能な枠組みがすぐにできるとは限らない。かつての新進党は、日本新党、民社党、公明党等の議員が集まり結成されたが、わずか3年で党内権力闘争に疲弊して解党に至った。民主党は新党を結成して政権獲得に至った成功例と言えるかもしれないが、さまざまな政党出身者の寄り合い所帯の民主党は党内権力闘争が激しく、政権獲得まで10年以上かかった。10年先まで自公政権が続いたら、日本の未来は危うい。悠長に10年かけて新党を育てる余裕はない。複数の政党の議員が集まって新党をつくると、どうしても党内権力闘争に多大なエネルギーを浪費する。元党首が3~4人いても、新党の党首には1人しか就けない。元幹事長が5~6人いても、新党の幹事長は1人だけである。政党の数が減れば、ポストの数も減り、ポストをめぐる党内の争いは激化する。党首や幹事長といったポストをめぐる新党内の権力闘争は熾烈を極め、党内融和どころでなくなる。新党を結成して政権交代を目指すというのは、手っ取り早いやり方ではないし、余計な権力闘争にエネルギーを割くことになりかねない。そろそろ二大政党制の呪縛から逃れ、「新党をつくって政界再編」よりもスマートで現実的な方法を考える時期ではないだろうか。
「政党ブロック」の可能性
政治学者の小堀眞裕立命館大学教授の言葉を借りれば、「単独政党による過半数奪取の機動戦」ではなく、「中小政党を巻き込み安定的な連立を形成する陣地戦」というのが、日本の政治の実情である。比例区や中選挙区制の下では中小政党にも活路はあるが、小選挙区制(衆議院と参議院1人区)では中小政党に生き残る道はなく、政党間で連携して「陣地戦」を戦うのがもっとも合理的である。実際に自民党と公明党は10年以上前から「陣地戦」を戦ってきた。他方、民主党は単独で「機動戦」を戦い敗退した。2009年衆院選では民主党も国民新党や社民党と協力して「陣地戦」らしきものを戦ったが、事前の政策のすり合わせが不十分であったために、陣地が十分に堅固ではなく、政権獲得後に対立が表面化してもろく崩れた。
このまま野党側が「陣地戦」の用意をしなければ、引き続き自公の「政党ブロック」から各個撃破され、「第2の五十五年体制」を許すことになりかねない。「陣地戦」を戦うために協力する複数の政党を「政党ブロック」と呼ぶなら、自公政権はすでに「政党ブロック」化が進んでいる。自公政権の独走を止め、政権交代を実現するために、野党側の「政党ブロック」を築いてくことがこれからの課題である。
異なる政策を掲げる複数の政党が連携するためには、大きな障害がある。それぞれの政党が自らの政策を声高に訴えて原理主義的にふるまい、自分たちの政策が100%認められないなら協力できない、という姿勢を示せば、「政党ブロック」は絶対できない。自公政権の永続化阻止という共通の目的のために、各党が歩み寄り、妥協しながら、政府与党に対抗していかなくてはいけない。各党がバラバラに声を上げても、政策の多くは実現できず、単なるガス抜きスピーチコンテストにしかならない。声高な主張をしてテレビで目立ったとしても、実現しない政策は単なる自己満足でしかなく、支持してくれた人たちの利益にはならない。支持者の願いをかなえるために、何としても政権入りを目指すのが、国政政党としての当然の行動原理である。正論は吐くが、小さくまとまって何も実現できない政党は、支持者の期待に応えられず、存在価値がない。衆参を制した自公連立政権に対抗するためには、小異を捨てて大同につくしか手はない。自民党圧勝を許したのは、野党がバラバラに政策を主張し、マスコミが「争点がない」と評したように、野党としての明確な対立軸を示せなかったせいではないだろうか。
「スウェーデンモデル」に学ぶ
日本の実情にあった「政党ブロック」に向けて、参考になるのはスウェーデンの例である。スウェーデンは比例代表制による多党制の国であるが、2006年選挙で中道右派4党による連立政権が誕生し、政権交代が起こった。勝因は中道右派4党の選挙共闘だった。2002年当選した議員の任期半ばの段階で、保守党、中央党、自由党、キリスト教民主党の4党が、「スウェーデンのための同盟(同盟)」を名乗り、団結して政権奪取を目指すことを表明した。4党合同の共通政策の作成にあたっては、各党で担当分野を決め、各党党首が各分野のとりまとめの責任者になり作業を進めた。この作業のプロセスを経て、最大野党の党首が首相候補になった。他の政党からも人を出して「影の内閣」を組織したかのようなイメージができ、明確な政権像を有権者に示すことにつながった。4党の党首はメディアにもそろって出演し、良好な関係をアピールすることで、「野党はバラバラでまとまらない」という批判を封じ込めた。なお、EU政策等の各党間で意見が異なる政策についてはムリに共通政策に含めなかった。
さらに2010年選挙では、中道右派4党の「同盟」に対して、左派・環境政党3党の陣営が挑む構造となった。中道右派4党が勝利し、2期連続して政権を担うこととなった。スウェーデンでは「政党ブロック」同士の選挙という色合いが強くなっている。両ブロックともに共通政策を掲げたが、同時に党ごとの選挙公約も用意した。選挙前に連立政権の枠組みを提示して共通公約を掲げるのは、スウェーデンだけではなく、「オリーブの木」で有名なイタリア等もある。しかし、選挙の2年前から共通政策を入念に準備して政権を獲得し、その次の選挙でも再び勝利し政権を維持している点で「スウェーデンモデル」から学ぶものが多い。なお、選挙が終わった後に政党間で連立工作を始める国もあるが、それでは国民の負託を受けたとは言いがたく、選挙前に共通の首相候補と共通政策を示す「スウェーデンモデル」がより望ましいことを指摘しておく。
政権交代のための「政党ブロック」づくり
野党共闘のための「スウェーデンモデル」を日本で実現するためには、「小選挙区制と二大政党制が善である」という発想を捨て、ヨーロッパに多い「ゆるやかな多党制」という前提で選挙戦略を再構築していくことが必要である。野党が「陣地戦」の必要性を認識し、野党間の協力を深めることが大切である。まずは国会対策や議員提出法案の共同提出等の日常的・具体的な協働作業を通じて信頼を醸成していく。将来本気で政権を担うつもりなら、自分たちが政権与党になった場合のことまで考えて、国会の不合理な慣行を改める国会改革案を野党で共同提案するのもひとつの手であろう。国会審議のスケジュールがあまりにも行き当たりばったりで「日程闘争国会」とも呼ばれている現状は、与野党の立場を超えて変えるべきだろう。
将来的に連立政権を組むことができるという雰囲気が出てきた段階で、いくつかの野党の党首なり幹事長なりが協議を始め、共通の首相候補、共通の閣僚名簿(「政党ブロック」としての影の内閣形成)、共通の政策(選挙公約)、共通の選挙戦略(選挙区調整や共同キャンペーン等)、を決めていく。政党間で政策をすり合わせ、妥協し合って、場合によっては対立する点を棚上げにし、衆院選後の4年間に絞り込んで、共通政策をつくっていく必要があるだろう。
異なる政党が100%同じ意見のはずはない(もし同じならすぐにでも合併できる)。従って、共通政策とは別に、各党が独自政策を用意することも認める。各党で折り合えない政策については、外交用語で「agree to disagree」と表現される状況、つまり意見が一致しない点を確認した上で「棚上げ」することも認めるべきである。政党間で合意できない政策については「棚上げ」した上で、①政権獲得後の4年間で実現すべき政策と、②その次の選挙で政党ごとに民意を問うべき政策、に区別しておく。例えば、社民党は普天間問題への対処を理由に民主党との連立政権から離脱したが、事前に合意できない点を明確化しておけば、連立離脱までは至らなかったかもしれない。
選挙に際しては、小選挙区では「政党ブロック」の統一候補を立てて選挙戦に臨むことで、有権者に有力な受け皿を認識してもらう体制をつくる。「スウェーデンモデル」と名づけたが、選挙制度が比例代表制のスウェーデンよりも、小選挙区制の割合が多い日本の方が、本来は政党間協力が容易なはずである。さらに「政党ブロック」としての共通広報戦略や共通パンフレット、共通ロゴ等も用意できれば、有権者の期待感を高められるだろう。圧倒的な議席数の自公連立政権に対抗していくためには、「政党ブロック」こそが有効な手段であろう。