2015年02月11日
外務官僚の情報収集能力のなさ、無能さについては、今度のイスラム国人質事件をきっかけに、ひろく国民の知るところになった。
そんな中で追い打ちをかけるように、ジャーナリストの木村太郎氏が2月8日の東京新聞「太郎の国際通信」で、自らの体験にもとづく要旨次のようなエピソードを紹介していた。
すなわち今から40年ほど前の事だという。中東の某国で内戦が激化した時、日本大使館は在留邦人にいつまでたっても退避勧告を出さず、日本人は企業ごとに独自に情報収集し、判断をして、一社また一社と引き揚げていったという。
木村太郎氏ら日本人記者たちは忙しく取材に努めたが、ある日反政府側が丘の上にある大統領官邸を砲撃するという情報を得た。
その大統領官邸の隣に日本大使の公邸があったが、日本大使が避難した様子はない。
そこで木村氏が、近く大統領官邸が砲撃されるという情報があるが避難しなくて大丈夫かと電話で伝えたら、その大使は、「えっ、本当か」と絶句して、急いで公邸を脱出し、そして二度と公邸には戻らず、ホテル暮らしを続けたという。
この古いエピソードを紹介しながら木村氏は言う。
二年前のアルジェリア邦人人質事件といい、今回の邦人二人の人質事件といい、政府は必ず事件後に、「在外邦人の安全確保に全力をあげる」、「現地での情報収集能力の向上に努める」と言うが、本当かと。
多少なりとも海外で生活してきた経験から言わせてもらうと、日本の外交官たちは必ずしも「邦人保護」を本来の仕事とは考えていないのではないか、と。
この木村太郎氏の観察は正しいが、外務省に気兼ねしてまだ批判は甘い。
断言してよい。
日本の外交官は邦人保護など自分たちが行う本来の仕事とは思っていないのだ。
そして木村太郎氏は、外務省に配慮して、このエピソードはどこの国の事か明示していない。
だから代って私が教えよう。
これはレバノンの話だ。
大統領官邸のある丘に、官邸と隣り合わせにあったのが在レバノン日本大使公邸であった。
内戦とは、1975年に始まり、1989年まで続いたレバノン戦争の事である。その規模の大きさから第5次中東戦争とも呼ばれている。
そして、木村太郎氏も知らない、私しか書けないエピソードを披露したい。
大統領官邸や日本大使公邸のあった丘は激戦地となり多くの兵士がそこで犠牲になった。死体が山積みされた。
それから十数年ほどたって平和がもどり、日本政府がレバノンの日本大使館機能を再開しようとした時、その土地を売り払って他の場所に大使公邸を新築しようかという話も出たが、結局その土地にそのまま新しい日本大使公邸を建設することになった。
ところがこの新築されたレバノン大使公邸に住んだ日本大使が公邸に幽霊が出ると言い出したのだ。
激戦地の後に建てたから、兵士の亡霊が出るというわけだ。
ある日その大使は、夜な夜な出る亡霊に耐えられず、職場放棄して、誰も知らない間に突然帰国してしまった。
その後に任命されたのが私だった。
もちろん私には亡霊など出て来なかった。
まともな仕事をしていたら亡霊などに出くわす暇などないのだ。
木村太郎氏の記事を読みながら、私はこのエピソードを読んで、日本の外交官の不甲斐なさを思い出したのだった(了)