阪神大震災から23年。被災地は昨晩から続く冷たい雨の中、朝を迎えた。遺族らは「あの日」のことを今も昨日のことのように思い返し、故人との果 たせなかった約束を忘れることができないでいる。各地の追悼会場では、今年も大切な人をしのびながら、祈りをささげる姿がみられた。

 「ごめんね。天国で元気でいますか。妹を見守ってあげてね」

  阪神大震災で長女希(のぞみ)さん(当時5歳)を亡くした小西真希子さん(58)=神戸市灘区=は17日朝、東遊園地(同市中央区)で「あの日」を思い、 静かに手を合わせた。これまで被災体験を手記集に綴(つづ)ることで、「多くの人に希は命の大切さを教え続けている」と感じてきた。消えぬ親心、守ってあ げられなかった後悔。23年がたち、「28歳」になった娘と、これからも一緒に年を重ねていく。

 全壊した自宅で、希さんはピアノの下敷き になり、震災翌日に亡くなった。小西さんは、住民票などあらゆる記録から娘の名前が消えていくことに焦った。「なんとか生きた証しを残したい」と、衝動と 涙で数行ずつ書いた文章を、「阪神大震災を記録しつづける会」の被災者手記集第1巻に応募した。そこには「お母さん、幼稚園でハートの凧(たこ)を作った の。明日凧上げするの、おやすみなさい」と、希さんが最後に話した言葉を記した。

 震災から10年の2005年、第10巻への掲載を頼ま れ、次女理菜さん(24)の成長の喜びを綴った。「姉思いの娘は、何かあると必ず仏壇に手を合わせて希と話をしています。彼女の成長の中に必ず希がいま す」。3度目の寄稿は、震災から20年の2015年の第11巻。真希子さんの手記集を朗読した人が「希ちゃんは(手記を通して)命の大切さを伝える活動を している」と話していたというエピソードを聞いたことが、執筆へ背中を押した。希さんを通じた人との出会いに「生きる意味と喜びを教えてくれた」と記し、 感謝した。

 希さんは小西さんの心の中でずっと成長してきた。「20歳」になった時、毎日、希さんに供えていた食事作りをやめた。「もう毎日、家で食事をする年齢じゃないから」。好物を作った時やおせち料理、誕生日のケーキなど“記念日”には食事を供えた。

 命日に手を合わせに来てくれる希さんの幼稚園時代の友人には、負担を心配しつつ、会うのが楽しみでもある。

  「大きくなった希の顔は浮かばないが、私の中で確実に年齢を重ねている」。希さんは今、「28歳」。真希子さんが結婚した年齢だ。「もうケーキも卒業か な」。「風化させたくない」と手記に書いた時期もあった。震災当時を思い出すと、涙が出る。でも、昔より悲しみは穏やかだ。「希はちゃんとそばにいる」 【井上元宏、道岡美波】

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 ◇小西さんの手記(抜粋)

 ◇震災が憎い 1995年5月

 あなたを奪った大震災がお母さんは本当に憎いです。今、お母さんもお父さんも死ぬことを怖いと思いません。天国にいるあなたに会えるまで頑張りますね。のんちゃん、見ていて下さいね。

 ◇がんばっていく 05年1月

 この10年いろいろな人との出会いがありました。希が会わせてくれた人たちです。「おかあさん頑張れ」と言ってくれているのかもしれません。2人の娘に支えられ、出会いを大切に、これからも「家族4人」でがんばっていこうと思っています。

 ◇自分のために 15年1月

 20年たってもあの日のことがつらく、悲しいことに変わりありません。大人になった2人の娘が今も私の宝物であることも変わりません。ただ、これからは少し自分のために生きていこうと思っています。

 

阪神淡路大震災で、お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。