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内務官僚の終焉<本澤二郎の「日本の風景」(4000)
- 2021/02/20 12:18
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内務官僚の終焉<本澤二郎の「日本の風景」(4000)
<渡辺一太郎氏に人生をかけた石井正子さん逝く!>
最近になって、ようやく携帯電話のSMSで連絡を取ることが出来るようになった。つながった相手の一人から「石井さんが亡くなった」という意外な知らせに愕然。彼女はまだ若い。場所が千葉県船橋市だ。コロナか?と不安が頭をよぎる。彼女は、戦前の内務官僚・渡辺一太郎さんの秘書になって、結婚もしないで、人生のすべてをかけた。灘尾広吉を筆頭に中曽根康弘や町村金吾・後藤田正晴・秦野章・奥野誠亮・古井喜美らがよく知られている内務官僚出身政治家だ。戦後政治においても、保守党内で特異な戦前派の世界を死守していた。
国民の人権に対して、猛然と襲い掛かった治安の内務省ゆえに、敗戦後に廃止されたが、それでも戦前のエリート官僚たちは、不死鳥のごとく戦後も官界の元王者として結束、その多くが政界入りした。石井さんを通しての会話から、内務官僚が与党を中心に集結、戦後も結束を図り、定期的に会合をもって、水面下で大きな政治力を行使していたことを知った。国民は全く知りようがなかったが、彼らが靖国の国家護持(国家神道)や教育勅語、はたまた元号や日の丸・国旗や改憲軍拡に主導的な役割を果たしてきた。
彼らの政治後輩たちが、森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三らだ。
右翼の牙城といってもいい。
灘尾を中心に台湾との関係も深く、政権与党の右翼勢力をまとめ上げてもいた。奥野もその方面のリーダー格だった。いわゆる戦前の国家主義下、その実行部隊として国民生活にも関与、特に自由主義者や共産主義者の監視や拘束に異常な力を発揮、人々に恐れられていた。
<ハマコー逮捕に情熱を傾けた気骨のある内務官僚>
渡辺さんとの交流は、彼が参院議員時代に、問題の元号法の制定について、特別委員会の委員長をしていたことからである。そこで秘書の石井さんとも。
彼の千葉県警本部長時代は、やくざ県議のハマコー逮捕に情熱を傾けた、と本人から聞かされて、俄然親しくなった。「田中さんに近づいてきた時は、危ないから接触するな、と本人に注意した」というやくざ追放の正義心に感心させられたものだ。昨今、やくざとつるんでいる政治屋が多いと聞く。第一、ハマコーの倅でさえも、公明党創価学会の支援を受けてバッジをつけている。清和会OBは「ハマコーの運転手も今、千葉県選出の参院議員だ」と指摘、ことほど千葉県はやくざ跋扈の風土なのだ。
やくざ強姦魔に殺害された美人栄養士は、木更津市の住人である。千葉県警・木更津署は、この殺人事件に対して捜査をする気配を見せない。「公明党創価学会の圧力」との疑惑も浮上している。さらには「菅義偉の子分のような創価学会副会長が60歳定年を理由に更迭されたが、この殺人事件でも、背後で彼が糸を引いていた可能性を否定できない」とする見方も浮上している。
<日中友好の古井・護憲リベラルの後藤田>
内務官僚もそれぞれ個性がある。中国嫌いの台湾派が大方の相場だが、古井喜美は違った。日中国交正常化の立て役者・大平正芳の手足となって汗をかいた人物は、鳥取県の古井喜美だ。
中国外交部きっての日本通の肖向前さんは、古井から大平の知られざる苦闘の歴史を知った。以来、彼は「大平さんが日本を代表する国際政治家」と筆者に何度も語った。大平の活躍を、中国外交部の日本通から学んだというのも情けない。
後藤田正晴は、田中の指示を受けて中曽根内閣の官房長官に就任したが、筆者もメンバーだった在京政治部長会が、中曽根後藤田の二人を向島の料亭に招いたとき、後者に「首相を目指してはどうか」と水を向けてみた。「もう年齢が許さんよ」といって手を左右に振った。彼の真骨頂は「わしの目が黒い間、決して中曽根改憲は許さない」と内務省先輩として中曽根にドスを突き付けて、けん制したものだ。彼は平和軍縮派・宇都宮徳馬さんの旧制水戸高の後輩である。
<中曽根の金庫番について教えてくれた渡辺秘書>
金庫番というと、決まって女性である。理由は「裏切らない」ためであるという。永田町の有名人は佐藤昭さんだ。田中角栄の金庫番で知られた。
中曽根にも金庫番がいた。むろん、女性である。普通の中曽根取材をしていると、彼女に出くわすことはない。普段は男性の上和田が秘書連の総大将だったが、一枚めくらないと、彼女の存在は見えなかった。
だが、石井さんは内務官僚政治家の関係で、彼女の友達だった。国会議員が元内務官僚同士だったからだ。「私も昭さんのようになって見せる」と豪語していたという。石井伝聞である。政治家と金庫番は、体も心も一体なのである。
佐藤昭さんとは、高鳥修代議士の紹介で一度会ったことがある。確かにやり手の金庫番だ。残念ながら中曽根の金庫番に会う機会はなかった。今どうしているだろうか。元気なら石井正子葬儀に顔を出したはずである。一昨年亡くなった中曽根は、金庫番に何を相続したものか。多少は興味がある。
<渡辺氏の一大成果「天皇は朝鮮族」の遺言!>
日本敗戦の大混乱の時期、渡辺さんは天皇が参詣する伊勢神宮のある、三重県の警察本部長に就任した。そこで、彼は重大な事実を見つけた。彼の人生最大の成果であろう。しかし、それを誰にも言い出すことが出来なかった。
彼は歴史の証言者として、親しいジャーナリストの筆者に託した。いわば遺言である。
「天皇は朝鮮族である」と当時は驚愕するような証言した。さすがの新聞記者も度肝を抜かれてしまった。
いまでこそ岸信介や安倍晋太郎、晋三や小泉純一郎など清和会には、朝鮮半島をルーツにする政界関係者は、少なくないことが分かってきている。彼らは、密かに政界への階段を用意している?そうだとしても「天皇家も」となると、心穏やかではない右翼は少なくない。が記者が記事にしようとしても、会社が許すはずもない。戦前の雰囲気が今も継承されているような天皇報道である。
渡辺の説明では、毎日のように伊勢神宮の内部に分け入って、多くの資料その他を調べつくした結論である、といって胸を張った。当分の間は、伊勢神宮の秘密をつかんだ最初で最後の人物なのだ。
歴史家が証明する時が、必ず来るだろうが、それがいつなのか?
<「ツウサンを帰化させて」に前田勲男法相に直訴=彼女への返礼>
内務官僚政治家秘書から、一度重い陳情を引き受けさせられてしまった。彼女の知り合いの中国人留学生・ツウサンを「帰化させてほしい」という途方もない用件である。だいたい帰化などということも理解できない政治記者だったのだから。
しかし、渡辺さんの秘書からである。幸運なことに、当時の法相はよく知る前田勲男さんだ。ともあれ直訴してみた。まるで奇跡が起こったかのように、スイスイと帰化できた。
<「日中平和交流21」の南京盧溝橋平和行脚実現に貢献>
もう20年以上前のことである。そのころ日中友好活動を活発化させていた。日中平和友好21なる形だけの組織を立ち上げ、ここを基盤に中国への友好訪問を始めようとしていた。
ツウサンの中国大使館や旅行社の人脈を、存分に利用させてもらった。1995年の戦後50年、南京と盧溝橋へと50人を引率、平和行脚を敢行した。ツウサン夫妻が事務局を引き受けてくれた。
朝日新聞千葉版の記者が取材、大きく記事にしてくれた。おかげで大学教授・高校歴史教師らのほか、宇都宮徳馬秘書(現在太田区長)・亀田病院事務長・農協職員・JR職員・家庭の主婦なども。
実は、この時にやくざ強姦魔に殺害された戦争遺児もいた。彼女は次女とその恋人も同行させた。戦後50年記念の南京・盧溝橋の旅は見事成功した。
<新疆ウイグル自治区への観光実現=千葉県警幹部夫人同行>
ツウサンには、もう人肌脱いでもらった。石井秘書が、旅先としては安全とは言えなかった中国西方のシルクロード方面の新疆ウイグル地区の旅を計画したのだ。
この度には、渡辺さんの配下のような千葉県警幹部の夫人連が多く参加した。水口・唐鎌両氏夫人が、石井さんに従った。旅先でバスを止めて、山のようなおいしいハミグワを食べたことが忘れられない。
その後、何度も北京で新疆のウリを食べたが、旅行先の熟れた味を見つけることはない。
その後、ほぼ20年ほど石井さんとは、音信不通が続いた。 「石井死去」を知らせてくれたのは、いくつか千葉県警の署長を歴任して、第二の人生を歩んでいる唐鎌さんだった。
書き終わってみると、途中から夢を見ているような、内務省のことと、渡辺さんの天皇朝鮮族証言、石井さんとの日中交流話になった。とはいえ人生は無情なり!
2021年2月20日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)