Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

笑う蛙

2021-02-18 | 映画(わ行)

◼️「笑う蛙」(2002年・日本)

監督=平山秀幸
主演=長塚京三 大塚寧々 國村隼 南果歩

会社の金を横領して逃亡中の主人公は、身を隠そうと妻の実家が所有する別荘に行くが、そこで妻とバッタリ。自首を勧められるが、離婚届にサインすることを条件に1週間だけ納戸に匿ってもらうことになる。次々に訪れる人々と妻との会話。親族だけでなく、夫の浮気相手や、夫の行方を追う警察もやって来る。そして妻の恋人も現れる。主人公は二人の情事を壁一枚を隔てて聞くことになり、再び妻への思いが高まっていく。

狭い舞台で静かに進む物語。そこで描かれるのはちょっとおかしな人間模様と人生の悲喜劇。年齢を重ねてからの方が、身に染みて楽しめる映画かもしれない。

主人公を演ずる長塚京三は、昔からテンパってドギマギする表情が上手い人。会社の飲み会後に、部下の女性にドキッとすること言われるサントリーのCM好きだったな(古い…年齢バレそう💧)。ここでも男の単純さ、意思の弱さが見事。大塚寧々の演技は淡々としているけれど、むしろ彼女のキャラクターあってのこの妻役かと思う。脇役には雪村いづみ、ミッキー・カーティス、國村隼、南果歩、きたろうと芸達者を揃えているのが飽きさせないうまさ。シリアスな話なのかと思いきや、映画の後半はジワジワと可笑しさが増していく。

雨が降ってきたので洗濯物を取り込もうと納戸から出てきた夫の目の前に、妻の恋人が現れる場面は、サスペンスとコメディが融和したような名場面。恋人との情事を夫が覗き見している場面では、妻が夫に聞かせる為にベッドでわざと大きな声をあげる。緊張感とニヤリとする可笑しさが同居する場面が随所にあって好感。

ラストの大塚寧々が見せるしたたかさ。ネタバレ防止のために詳しくは書かないが、実は夫を思っての言動ともとれるだけに、その微妙な感じが、不思議な余韻を残す。そして最後にナレーションで語られるその後の出来事。映画館ではあちこちから笑い声が聞こえていた。



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若おかみは小学生!

2020-06-07 | 映画(わ行)






2008年頃。講談社の青い鳥文庫をうちの子はよく読んでいた。「ちち(注・"ちち"と呼ばれている)も読んで!」と言われて、この「若おかみは小学生!」や「黒魔女さんが通る!!」シリーズを読んだよな(懐・詳しくはこち)。「黒魔女さん」の感想をブログにアップしたら、コメント欄に小学生からの書き込みが相次いでリアクションに困ったことも(笑・こち)。ともかく、「若おかみ」シリーズは当時小中学生女子を中心に絶大な人気作だった。




その「若おかみは小学生!」の劇場版アニメ。京アニ作品で知られる吉田玲子の脚本は、ロングセラーの児童文学を、単なる頑張り屋さん女子の話にとどめず、全世代に刺さる感動ポイントを散りばめる。温泉郷に受け継がれていく古き良きものと変わりゆくものの対比は見事だし、世代の違う登場人物が心を通わせていく様子は何より心温まる。「神から与えられた湯は何者をも拒まない」というポリシーが物語の最後まで貫かれて、観ている僕らの予想を遥かに超えた過酷な状況さえも幸福な感動をもたらしてくれるのだ。涙腺直撃。




主人公おっこがなぜ老舗旅館で働くことになるのかが語られる衝撃的な冒頭から、登場人物の性格描写までとにかく無駄がない。また、途中出てくるPTSDの描写やクライマックスの心理描写にも逃げがない。おっこと仲良しになり成長を支えてくれる幽霊たちや、大旅館のピンフリ令嬢(水樹奈々さすがの好演)なども、アニメだからできる素敵なキャラクターたち。




一見明るい物語に「死」に向かい合う現実が織り込まれて、大人の鑑賞にしっかり耐えるだけの秀作。幽霊たちのファンタジー色があるからといって、ナメてはいけない。こういう作品があるから、アニメ観るのをやめられない。



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私を抱いてそしてキスして

2019-09-27 | 映画(わ行)


◼️「私を抱いてそしてキスして」(1992年・日本)

監督=佐藤純彌
主演=南野陽子 赤井英和 南果歩 三浦友和 吉行和子

エイズへの理解がまだ深まっておらず、厳しい偏見や差別を生んでいた1990年代初め。家田荘子のノンフィクションを、南野陽子自身が東映に企画として持ち込み製作された意欲作。この役の為に減量して挑んだ我らがナンノ(この呼称が通じるのも世代限定)の、並々ならぬ意気込みが伝わってくる。

元交際相手がエイズ検査陽性だったと告げられた主人公圭子。不安になった彼女は検査に行き、自分も陽性だと告げられる。ショックに打ちひしがれそうになる中、たまたま出会って優しい声をかけてくれた男性アキラと関係をもってしまう。しかし事実を告げたらアキラは圭子から去ってしまった。圭子は検査に行った保健所で会ったジャーナリスト美幸に再び声をかけられる。美幸はエイズによる偏見や差別をめぐる記事を書く為に取材をしていた。初めは美幸を拒絶していた圭子だが、次第に彼女に心を許していく。

エイズに対する正しい理解を促すことが、前面に押し出された映画になっている(日本初の厚生省推薦映画)。かつては「野性の証明」「新幹線大爆破」など骨太のサスペンスを撮っていた佐藤純彌監督が、教育映画かと思うくらいに真摯に題材に向き合っている。街頭インタビューを挿入し、一般の人々がエイズをどう理解しているのかを示したり、三浦友和扮する医師がエイズについて説明するシーンも過剰に感情を込めず、むしろ淡々と演じさせる。それだけに、アイドル女優が頑張ってる映画というよりも、残るのはすごく生真面目な映画という印象。説教くささを感じないギリギリの線だけに、今観ると一般的な感動作としては物足りないかも。

フレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったのはこの映画が公開される1年前。まだ病気についての知識が世間では浸透していない。いや、今でもそうかもしれない。そんな時期に製作されたことは評価されるべき。日常生活を共にするくらいなら感染しない。頭ではわかっていても圭子が差し出した飲み物を受け取る手が震える場面。職場の健康診断を前に退職を願い出る圭子の辛さ。病気の恐ろしさはもちろんだが、感染者に向けられる視線や差別意識が圭子の精神を痛めつける様子こそが怖い。話題になったベッドシーンは、圭子が誰かにすがりたいという、強く切実な気持ちが伝わる。赤井英和の肩越しに見える、南野陽子の何とも言えない切ない表情が心に残る。



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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

2019-09-07 | 映画(わ行)


◼️「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド/Once Upon A Time In Hollywood」(2019年・アメリカ)

監督=クエンティン・タランティーノ
主演=レオナルド・ディカプリオ ブラッド・ピット マーゴット・ロビー カート・ラッセル

うーん…確かに楽しい。タランティーノ映画に挿入されるオマージュ描写や小ネタが大好きな僕にとっては満足度は高い。でも絶賛したいとは思わない。

こんなこと書くと「これを高評価しないなんて、お前の映画愛はその程度なのか?」「ブラピとレオ様の共演に感激しないの?」とか言われそう。僕は"バイオレンス嫌いのタランティーノ好き"という屈折した映画ファンなので(笑)、この映画にも惚れるポイントとそうでないポイントがある。それだけだ。ともかくこの映画をリトマス試験紙のように扱わないで欲しい。手放しで絶賛はしないけど、素敵な映画なんだもの。

タランティーノが1969年を舞台に選んだのは、自分が幼い頃の時代の空気を再現したかったんだろう。みんなが映画館で歓声をあげ、テレビ番組に夢中になれた時代。「デスプルーフ」の前半には70年代テレビドラマの話題が盛り込まれていたが、本作ではもっと前の時代、「FBI」「グリーンホーネット」「バットマン&ロビン」「コンバット」などの名前が登場する。親が見ていた外国ドラマだっよな。当時撮影現場でアクション指導をしていた無名時代のブルース・リーが登場する場面は、この映画でも好きな場面のひとつ。ここでブラピは彼を「カトウ」(「グリーンホーネット」でブルースが演じた役)と呼ぶ。あー、好き好きこういうネタ。マーゴット・ロビー演ずるシャロン・テートが映画館で出演作「サイレンサー/破壊部隊」を観る場面も好き。映画やテレビの身近なエンタメが主人公だけでなく多くの人に愛されていたと感じさせる素敵なシーン。

僕は「キル・ビル」(特にvol.2)や「ジャッキー・ブラウン」のグッとくるラストには、ブルースギターの"泣き"フレーズのように感激してしまう。落ち目スタアを演ずるレオナルド・ディカプリオが悪役で出演する西部劇撮影現場の場面もよかった。
「今までの人生でサイコーの演技だったわ」
って、8歳の子役に言われるのは笑うしかないんだけど、そこに励まされているディカプリオになんか人生を感じるじゃない。そしてスタントマンとして彼を支えるブラピのひと言。
「お前はリック・ダルトン様だ。忘れんな」
短いながらも相手を理屈抜きに認めている台詞。これ実生活で言えたらカッコいいよなー、とつまらないことを考える。そんな二人が映画の最後に交わす言葉。
「オレたちいい友達だろ」「努力してる」
短い会話に二人のビミョーな関係が感じられる。タランティーノ映画の魅力って、脚本だな、台詞なんだな、と改めて感じた。

なかなか人が死なないな…と思ったら最後の最後に大暴走。バイオレンス描写はタランティーノ映画には付き物なのでいいんだけど、「イングロリアス・バスターズ」以来久々にドン引き(汗)

これまでタランティーノは愛する映画たちを演出や台詞の中にうまく引用してオマージュを捧げてきた。でも今回は本編映像をサンプリングしている。権利関係をクリアするのに裏側の苦労もあったのでは…と思う。「サイレンサー/破壊部隊」、シャロン・テートのアクション場面は、この映画で実際に見られるからこそ興味をそそられるし、ブルース・リーがあの時代にいたんだと感慨深くしてくれる。

主人公リック・ダルトンが「大脱走」でスティーブ・マックイーンが演じた役の候補だった、というエピソードが出てくる。今までなら台詞で済ませていたし、それで十分に彼がビッグだったことは伝わるだろう。でも今回は本編映像でレオ様の顔をコラージュして使った。悪いな、タランティーノ。このおふざけはやり過ぎだ。「ローグワン」でピーター・カッシングとあの人を蘇らせた技術が今のハリウッドにはある。あれはストーリー上のつながりの必要からだろうし、効果絶大だった。でも、スティーブ・マックイーンの顔をすげ替えるだと?監督もリスペクトしているはずの「大脱走」をイジるだと?それは愛なのか?僕はこの場面に感じたイライラを結局最後まで引きずった。

結末には唖然…。でも、これは映画という名の御伽草子。
むかーしむかし、ハリウッドで…
で始まる大人の童話なのだ。


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ワンダーストラック

2019-06-10 | 映画(わ行)
◾️「ワンダーストラック/Wonderstruck」(2017年・アメリカ)
 
監督=トッド・ヘインズ
主演=オークス・フェグリー ジュリアン・ムーア ミシェル・ウィリアムズ ミリセント・シモンズ
 
トッド・ヘインズ監督は時代の空気をスクリーンの中に再現する名手だ。「エデンより彼方に」にしても「キャロル」にしても、風景だけでなく道行く人に至るまで時代の様子を垣間見ることができる。「ワンダーストラック」は1927年と1977年の二つの物語が並走する構成だけに、その手腕は見事に発揮されている。27年のローズの物語はモノクロとサイレントで、77年のベンの物語は赤みがかったカラー映像に個性ある音楽が重なる。話は交互に映されるのだが、頻繁に画面は転換し、しかも同じような危機に陥ったり、自然史博物館で同じものを見ていたりと対比が面白い。そして二つの物語がどう融合するのか、ドキドキさせられる。
 
ヘインズ監督作品では、社会的な少数者に向けられた視点もよく見られる。今回は聴覚障害者が主人公。特にローズのパートはサイレント映画の演出なので、文字として示される数少ない場面があまりに雄弁。憧れの女優の映画を観て映画館を出たら、トーキーに移り変わることを伝える幕が張られる。聴覚障害があっても、好きな映画だけは他の人々と同じように楽しめていたのが、決定的なハンディを負う残酷さ。また彼女らが筆談することで示される紙に記された台詞が、観客に初めて人間関係や新事実を突きつけるから目が離せない。
 
ラストですべての謎が解き明かされる場面。ジオラマの手作り感が素敵で想像していた展開ではなかったから感動的。しかし、映画冒頭、壁にピンナップされた文章についてその後語られることはないし、デビット・ボウイのSpace Odittyももっと意味ある使われ方をしているのかと想像していた。ほっこりした気持ちで迎えるラストは心地よいけれど、ちょっと物足りなさは残るかなぁ。


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ワンダー 君は太陽

2018-06-16 | 映画(わ行)

■「ワンダー 君は太陽/Wonder」(2017年・アメリカ)

監督=スティーブン・チョボスキー
主演=ジュリア・ロバーツ ジェイコブ・トレンブレイ オーウェン・ウィルソン 

冒頭で子供がジャンプする映画ってなんか期待できる・・・
と思うのは大好きな「リトルダンサー」のせいなのかww。

少年オギーは生まれつきの頭蓋骨異常で手術を繰り返し、他の子供とは違う顔をしている。
そのせいで母親と自宅学習を続けてきたが、10歳で初めて学校へ通い始める。
容姿のせいで周囲の反応を気にするオギーだが、やがて彼に親しみを感じる子が現れるようになる。
陰口やいじめ、困難に遭いながらも家族や友達、先生の支えで学校生活を続ける。
その勇気は次第に周りの生徒たちを変えていく。

いい人しか出てこないとか、性善説な映画、とかいろんな感想はあるだろう。
だけど子供目線を貫いた潔さは、
オギーの特殊な状況を越えて誰でも直面するであろう人間関係が描かれることで共感できる。
友人たちの視点が挿入されるのもナイスだけど、
いわゆる難病もの映画で"手のかからない"存在として描かれる兄弟姉妹を、
姉ヴィアの心情が綴られる中盤できっちりすくいあげているのが好感。

これに両親の目線が入っていたら、ここまで爽やかな印象では終わらなかっただろう。
特にジュリア・ロバーツ演ずる母イザベルはオギーに向き合う為にいろんな犠牲を払ってきたはず。
書きかけた論文データがフロッピーディスクに入ってる演出で、
それがいかに長い期間なのかをスマートに見せる。
「うちの家族は息子(サン)を中心した太陽系」は、家族の関係をうまく表現した台詞で印象的だ。
難病の現実的厳しさが描きたい映画ではなく、あくまでも主眼は少年と周囲の人々の成長物語。
多くの人に受け入れられる映画となればと思う。

子役の魅力に頼った映画と毛嫌いする方もあるかもしれないが、
爽やかな感動作を撮るに値する子役が今いることが幸せなことだと思うべきだと思うのね。
だって、子供が可愛らしい時期なんてあっという間。
映画ファンとしてそれを見守るのも、親目線みたいな幸せなんではないだろか。
「スターウォーズ」の小ネタも楽しい。
あと、姉の理解者として登場するおばあちゃん。
「蜘蛛女のキス」で知られるブラジルの名女優ソニア・ブラガを久々に見られたのも嬉しい。

映画『ワンダー 君は太陽』本予告編




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若き人妻の秘密

2018-06-10 | 映画(わ行)

■「若き人妻の秘密/Le Roman De Ma Femme」(2011年・フランス)

監督=ジャムシェド・ウスマノフ
主演=レア・セドゥ オリヴィエ・グルメ ジル・コーエン ティボー・ヴァンソン

お気に入りレア・セドゥ嬢主演作。
思わせ振りな邦題で、近所のTSUTAYAでは「エロティック」の棚に置いてあるもんだから、
レアちゃんが大変なことに!?と心配になって思わず手にしたww。
内容から考えてもズルイよ、この邦題。
いっそ「秘密」くらいの方がいろんな意味を含んで意味深で良いと思うのだけど。

弁護士の夫ポールがジョギングに出たまま行方不明になってしまい、
やがて多額の借金があったことも発覚。妻イヴは途方に暮れる。
そこへ夫の恩師で弁護士の先輩でもあるショレ先生が、
借金の肩代わりや当座の生活費まで支援をしてくれた。
「先生は見返りを求めるわ」と一度は断ったイヴだが、
ショレ先生の優しさに次第に心を許すようになる。
ところが、そのショレ先生に疑惑が…。

ひと言で言うなら、レア・セドゥを愛でる映画。
ニコリともしない役だけど、その強い眼差しに引き込まれてしまう。
その表情は真意を観客に見せないことにもなってる訳だ。
ダンスフロアで踊る姿が素敵。

結局、ショレ先生は金で愛を買おうとしたと言われても仕方がないけれど、
持病の薬を切らしてしまったのは故意だったのか、観客に判断を委ねてくる。
結末も歯切れが悪いけれど、まあフランス映画らしい雰囲気に浸るのがよし。
無音の長回しシーンが多いから、苦手な人な睡魔に負けませんように。

「若き人妻の秘密」予告


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嗤う分身

2015-03-07 | 映画(わ行)

■「嗤う分身/The Double」(2013年・イギリス)

監督=リチャード・アイオアディ
主演=ジェシー・アイゼンバーグ ミア・ワシコウスカ ウォーレス・ショーン ノア・テイラー

※結末に触れる部分があります。

ドストエフスキーの原作を映画化した英国製スリラー。舞台となる時代も場所も特定できない風変わりな世界が展開する不思議な映画だ。主人公サイモンは、ガチガチに管理された会社で黙々と仕事をこなす地味な男。楽しみは密かに憧れている女性ハナの姿を望遠鏡で見つめること。ハナがダストシュートに捨てた絵を密かに持ち帰るストーカーまがいな行動もとるが、彼女に声をかけるのすらままならない。だがハナの誰にも知られることのない一面を自分だけは知っている。そんなプラトニックな人物だ。ある日、会社に同じ容姿をしたジェームズが現れる。性格は正反対で、要領もよく上司にすぐに認められていく。その一方でサイモンは立場を失っていき、愛しのハナまでもがジェームズに思いを寄せ始めた。思うがままのジェームズはサイモンに行動を強要するようになり、ついにサイモンはジェームズに対抗しようと行動に出る・・・。

同じ容姿で正反対の二人。ヒロインであるハナがコピー(複写)係であること。会社のIDカード失ったサイモンが何度も繰り返す守衛とのやりとりや、オンボロエレベーターに乗ったときの反応違い。常にこの映画が示すのは"対比"。自分と同じ人間がもうひとり存在する"ドッペルゲンガー"をスリリングな要素として描きながら、この映画は冴えない主人公サイモンが"こうありたい自分"としてのジェームズを乗り越えていこうとする成長物語になっている。相手を傷つけると自分も傷ついていることに気づいたサイモンが挑んだ行動がこの映画のクライマックスなのだが、それは乗り越えるべき自分をまさに殺そうとすること。結果としてサイモンは自分を取り戻す。しかも前よりも少しだけ積極的である自分を。前編暗い画面で陰気な映画だが、サイモンを見つめるハナの笑顔ですべてが救われた気持ちにさせてくれる。

特筆すべきは国籍不明な"管理社会"の描かれ方。僕ら世代だとテリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」やジョージ・オーウェル原作の「1984」を思い浮かべるし、最近なら独裁者がいる管理社会へのクーデターを描いた「Vフォー・ベンデッタ」もある。「1984」のような体制の怖さこそ描かれないが、ジェームズの登場でサイモンが社会から疎ましく思われる存在として孤立し、追い詰められていく怖さと重なる。これは自分への内なる革命の物語。そう思うとラストのミア・ワシコウスカの笑顔に、青春映画を見終わった後のような気持ちにさせられる。ただ全編に漂う暗い雰囲気は、好き嫌いがハッキリするところだろう。同じドッペルゲンガーを描いた作品である「複製された男」よりも好き。突然ニッポンの昭和歌謡(ブルーコメッツ!)が流れるのには驚いた。

もう一人の自分が自分を追い詰めていくスリラー!映画『嗤う分身』予告編


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私の男

2014-08-03 | 映画(わ行)

■「私の男」(2013年・日本)

監督=熊切和嘉
主演=浅野忠信 二階堂ふみ 高良健吾 藤竜也

●2014年モスクワ国際映画祭 最優秀作品賞・最優秀男優賞

北海道奥尻島の津波で親を亡くした10歳の少女花は、避難所で遠縁の親戚だという男性淳悟と出会う。淳悟は「家族を持ちたい」と言い、花を引き連れ帰り養女として一緒に暮らすことになる。数年後、成長した花は高校生。淳悟には小町という恋人がいたが、小町は、淳悟と花の間に踏み込みがたい何かがあることを感じていた。二人の禁断の関係はやがて、地元の世話役をしている親類大塩に知られることとなってしまう。しかも、二人の間には養父と養女以上のつながりがあった。二人を引き離そうとする大塩を、花は流氷の上に置き去りにして殺害してしまう。二人は北海道を離れ東京で暮らし始めるが、それも心安らかに暮らせる日々ではなかった。

エンドロールを眺めながら感じたどんよりとした気持ちは何だろう。この二人の関係を愛情と称していいのか。二人の世界を守るために他人の命を奪ってまでの逃避行。近親相姦が倫理的によくないことはもちろんだけど、表沙汰になってないだけで実は密かに愛し合ってる人は世間にはいるだろう。だが、淳悟と花の関係は、「ホテル・ニューハンプシャー」の姉弟みたいな一時的な恋心程度じゃない。もっと深い。それはお互いがいないと生きられない依存の関係あってのことだ。流氷の海で「私の男だ!」と叫ぶ花、花と付き合う男性に「あんたじゃ無理だよ」と言い放つ淳悟。二人だけの閉ざされた世界があってこそ、響く言葉だ。でもそれは愛なのか。それを言い表す言葉が見つからない。二人にしかわからない感覚なのかもしれない。

二人の関係が観客に明確に示されてから、冒頭から花を引き取るまでの会話にそういう意味があったのか、と気付かされる。
「俺は家族を持ちたいんです」「お前に家族が持てるものか」
「俺はおばさんのこと好きだったな」
「俺はお前のものだ」
映画の構成は原作とは時系列が異なるそうだ。原作を読んでスクリーンに向かった人には印象が大きく違うことだろう。ただ二人の関係をミステリーの謎解きのように示されると期待していた人には、映画中盤でその楽しみは終わってしまっているのも確かだ。東京に舞台を移してから、映像に緊張感が一気に抜けてしまったような印象もある。

しかしこの映画が最後まで引きつけて離さないのは、不思議な臨場感があるからだ。淳悟の指をしゃぶる花とそれを無言で見つめる小町。指に残る匂い。メガネを曇らせた高校時代の花。スクリーンのこっち側では感じないはずの感覚を刺激されるかのような細かな描写。こういうディティールを面白いと感じられることは、外国映画ではなかなかない。抱き合う二人に血が滴る場面の鮮烈なイメージ。まさに"血のつながり"をおどろおどろしく見せる印象的な場面だ。ジャンルにとらわれない活動で知られる音楽家ジム・オルークのスコアが地味ながらも心に残る。

映画『私の男』予告編


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ワンダフルライフ

2013-06-05 | 映画(わ行)

■「ワンダフルライフ」(1998年・日本)

●1998年ナント三大陸映画祭 グランプリ
●1998年サンセバスチャン国際映画祭 国際映画批評家連盟賞
●1999年ブエノスアイレス映画祭 グランプリ・脚本賞
●1999年毎日映画コンクール 美術賞
●1999年東スポ映画大賞 作品賞・助演女優賞・新人賞

監督=是枝裕和
主演=ARATA 小田エリカ 寺島進 内藤剛志 谷啓

 「ワンダフルライフ」は素晴らしいファンタジー。死者たちがあの世に召されるまで7日間。彼らは生涯でひとつだけ幸せを感じた思い出を選ぶ。舞台となる 施設ではそれをスタッフが映像として再現し、それを観て幸せな記憶がよみがえった者はその瞬間に天に召される。実社会と同様にいろんな人がいる。スタッフ は彼らとカウンセリングして思い出を選ばせ、映像化の段取りをする。しかしそのスタッフたちは思い出を選ぶことができなかった者たち。

 所詮は虚構である映画が人の魂を昇華させる・・・なんて素敵じゃないですか。クライマックスの再現映像を撮る場面はなんかジンとくる。人々の手が一人の幸 せを支えようとする暖かさを感じる場面だけど、それが映画全体からも伝わってくるようだ。本編には他の映画にあるような、感情を高める音楽はない。カメラ はじっと思い出を語り続ける人々を追う。ARATAや小田エリカら主人公たちの内面にも深く入り込むような説明くさい場面もなく、カメラの視線はどこか距 離を置いて彼らを見つめているようだ。そこで思い出すのは、是枝監督のデビュー作「幻の光」で感じた距離感。ものすごいロングショットも交えて主人公二人 の姿を追うカメラに、僕は淡々とした冷静さを感じた。しかし「ワンダフルライフ」の視線は暖かい。真っ正面から見据えて、人々が語る人生を肯定してくれる ようではないか。土曜日に試写室へ向かう人々を先導するのは、主人公たちによって奏でられる行進曲。これらも実際に役者自身が演奏したっていうから、ます ます暖かさを感じてしまう。

 エンドクレジット を観た後で、ふと自分の事を考えてみた。僕は昔から人を笑顔にしたい、こんないい物事があるよっていろんな人に伝えたい、そんな事ができたら・・・そう望 んできた。そのことを20歳前後の僕は、カッコつけて”人に影響を与える仕事がしたい”という言葉で表現してきた。例えばマスコミや情報産業の仕事を通じ て提供する情報で誰かの役に立ったり、紹介する音楽で誰かがハッピーになったり。でもそれは”影響を与える”ことではなくて、”人の幸せを手助けする”こ となんだよね。どんな仕事をしていようとそれは様々な形でできるんだ。僕はこの映画を観て、”誰かの幸せの場面に僕がいたら嬉しいな”と心から思った。そ れは僕がずっと思っていたことだけど、うまく表現できなかったこと。当たり前のことなんだろうけどね。そして今自分が死んで、幸せな思い出をひとつ選べと 言われたら・・・選ぶことができるだろうか?。いやいや、選びたくなるような事をまだまだいっぱいしなくちゃね!。

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