Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

キネマの神様

2014-06-07 | 読書
 本屋でふと手にした原田マハの「キネマの神様」。山田洋次のあの映画「キネマの天地」のせいなのか、こういうタイトルがつくと映画の作り手側の愛と執念の物語のように思えがち。でもほんわかした雰囲気のイラストと紹介文を読んで、どこか感じるものがあり購入した。通勤中、昼休みに読んでいて、何度も何度も泣きそうになった。この本に書かれている登場人物の気持ちや信条は、多くの映画ファンにとって共感できることばかりに違いない。共感・・・、いやいや共鳴といった方が自分の気持ちにしっくりくる。

 主人公歩は都心にシネマコンプレックスをつくる事業を手掛けている会社のキャリアウーマン。しかし突然左遷され、シネコン事業から外されてしまう。会社を辞めた歩に待ち受けていたのは、ギャンブル依存症で借金まみれ、映画好きの父親とそれを支え続けた母親。マンションの管理人室で父が書き続けていた映画日記を見つけた歩は、そこに綴られた映画への愛情あふれる文章に感動する。自分と同じ気持ちで映画に向き合っていると思えた。そして父に健全な趣味として映画を見続けることだけは許す。ある日、父が映画ブログに歩の走り書きした映画の感想を書き込みした。すると歩の元にある映画雑誌の編集長から連絡が入る。歩は再就職を果たすのだが、それは映画と老舗映画館、そして世界を巻き込む大きな騒動に発展していく。



 中学3年で映画ファンを宣言(って映画雑誌を毎月買うという宣言だが)して以来、現在に至るまで、僕は映画館に行くことを宗教行事のように思っている。学生時代、映画に関係する仕事がしたくって、最終面接までこぎつけたものの「地方都市出身の地方大学出にうちで何ができんの?」とほぼハッキリと言われて泣いて帰った。しばらく落ち込んだ後で僕は、映画業界で作り手や宣伝する側の立場に立つよりも、受け手として誰よりも映画を愛し続けようと思った。そんな僕は地元の映画館に通い詰める。そこは、僕が中高生の頃は名画座として、多くのクラシックや秀作に触れさせてくれた。いわゆるミニシアターとして個性ある秀作をかけてくれた映画館として現在に至っている。そして僕は、相変わらず映画を愛し続けるミドルエイジとなって現在に至っている。もし、映画会社に入っていたら、主人公のようにシネコン事業にまさに関わっていた世代かもしれない。

 主人公やその父親が向き合う映画、映画館への思いは、いち映画ファンとして「そうだよ、そうだよ」とうなづきながら読んだ。父がブログで謎のブロガー"ローズバッド"と激論を交わすようになってからは、もう途中で本を伏せることができなくなり、一気に最後まで読んでしまった。感想というのは人それぞれだ。ほめる感想を述べるのは作り手の術中にはまるようなもの。だからバッサリと斬り捨てるローズバッドのが文章。対して、日本のハゲ頭のじいさんが書くのは、作品そのものや作り手そして映画の物語に自分自身の経験や考えを重ねる文章。その相容れない二人が次第に友情で結ばれていく様子が感動的で。

 小説は、シネコン文化が失わせていくもの、引きこもり青年が立ち直る姿、ギャンブル依存症、親子の関わり方を絡めて、よりスリリングにより情感豊かなものになっている。古きよき時代の映画館が育んだ文化と、インターネット文化をバランスよく共存させていることも好印象だ。映画も小説もしょせんは作り話。オーソン・ウェルズだって自作でそう言っている。ブログに書き込んだくらいで編集者の目に止まるはずがない、とか翻訳ボランティアをしてくれる後輩の存在が都合よすぎだとか感ずる方もあるかもしれない。でも、だ。そんな映画や小説を介して人の気持ちや現実の人間関係が繋がっていくことは、決して絵空事ではないだろう。「キネマの神様」はそれを思い出させてくれる。そしてエンニオ・モリコーネ作の、あの映画の音楽を再び聴きたくなることだろう。映画館にはきっと神様がいる。ヴィム・ヴェンダースがかつて"天使"と呼んだ3人の映画監督がそこには仕えており、我らが淀川長治先生はその使徒の一人に違いない。




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