■「WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~」(2014年・日本)
監督=矢口史靖
主演=染谷将太 長澤まさみ 伊藤英明 優香 西田尚美
伊丹十三が亡くなってから、新作が楽しみにな日本の映画監督がいなくなった。描かれるテーマには常に僕らの知らない世界があった。ものの見方をちょっと変えてくれて知的好奇心を満足させてくれたし、最後にはじんわりと感動を与えてくれる。でも毎年次に何を撮るのだろう、と気になる映画監督が一人だけいる。矢口史靖監督だ。ダメ男子(または女子、時に老人)が、懸命に頑張らざるを得ない状況に追い込まれるのだが、それを通じて成長する物語。映画が始まったときの主人公の印象と、終わったときの印象がガラリと変わるのは、成長物語だからこそ面白い。「マトリックス」のキアヌだって、「ウォーターボーイズ」の妻夫木クンだってそう。最初から主人公が"デキる奴"である「海猿」がどうも好きになれないのはそのせいかもしれない。
しかも、矢口監督が選ぶテーマは"そこにある日常"なんだけど、そこにダメダメな主人公が一歩踏み込むことで、とんでもなく奥深いものが目の前に広がってくる。そこが面白い。男子がシンクロナイズド・スイミング、今どき女子高生が古くさいスウィング・ジャズ、航空業界の裏側で頑張るパイロットやCA、独居老人とロボット開発。そのダメダメ主人公が、映画の終わりにはなんか好感をもてる存在に変わっている。その楽しさがある。周防政行監督の初期作品「ファンシイダンス」や「シコふんじゃった」も似たテイストで好きだったが、矢口監督は優しい目線で成長物語的作風を守り続けているだけに、なんか安心できてしまう。でもマンネリにならない題材の選び方が好きだ。
本作はオリジナルの脚本だった矢口監督にとって初めての原作ものである。三浦しをんの「神去なあなあ日常」。進路に迷っていた主人公勇気は、林業研修生募集のパンフを手にする。それは表紙に載っている女性の笑顔に心惹かれたからだ(原作とは改変されている)。三重県の神去村で林業研修の後に働き始めた勇気。今どきの男の子には驚くことばかり。過酷な仕事から逃げようとしたり、失敗したりを繰り返すが、次第に林業に携わる人々の心意気や村の人間関係にも慣れていく。そして小学校の先生をしているパンフの女性への恋心がモチベーションとなっていた。ある日、大学生をしている都会の友人たちが村に押しかけてくる。興味本位で、しかも田舎暮らしを見下すような態度をとる彼らに勇気は怒りを露わにする。そして山で小学生が迷子になる事件を経て、勇気は村に伝わる行事、大山祇祭(オオヤマヅミサイ)への参加を許される。
この映画が何より素晴らしいのは、都会の人間が山に囲まれた田舎で暮らすということを簡単に描いていないところだ。都会の友人たちスローライフ研究会の場面や、外からやって来た者はここには居着かないと語るエピソードで、都会の人と村人との大きな隔たりをきちんと描いている。特に祠祭や山の神様といった因習を色濃く描いて、その隔たりを観客にも感じさせる。スピリチュアルなものや言い伝え、忌み的感覚を、都会の人間は今の時代に・・と笑い飛ばしがちだ。そうしてわからないものは都市伝説とひとくくりにして、常に生活で意識することではないものとして、サマーシーズンの2時間ドラマのネタくらいにしてしまう。田舎に暮らすとは、そこにある因習、風習を、周りと同じように信じて守って暮らしていくことだと思うのだ。この映画が目指したのは、林業啓発でも山村の観光誘致でもなんでもない。ただ、隔てるものがある人間関係であっても、つながることができる素晴らしさが最後に感動を呼ぶ。親子三代100年の仕事である林業という仕事の尊さ。
飾らない魅力あふれるキャスティングが実にいい。優香と西田尚美はそういう人いるよねっ!と思わせる好助演。鼻くそを吹き飛ばすワイルドな伊藤英明は、海猿以上にハマリ役に思えるのだが。長澤まさみがふんどし姿の染谷クンをバイクの後ろに乗せて爆走する場面。まさみちゃんが「なんか当たってるんですけどー!」と言う台詞がある。まさみちゃんがバイクの後ろに乗って「胸当たってる?」という「セカチュー」の一場面を思い出さずにはいられなかった。これ、セルフパロディ?