◾️「ひまわり/I Girasoli」(1970年・イタリア)
監督=ヴィットリオ・デ・シーカ
主演=ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ リッドミラ・サベーリエワ
高校時代、NHK-FMで土曜の夜に放送していた「夜のスクリーンミュージック」という番組が大好きだった。初めて自分が出したリクエストカードが読まれたラジオ番組ってこれだったな。映画音楽というくくりで音楽を聴くと、あらゆるジャンルに触れることになる。ジョン・ウィリアムズ、ジェリー・ゴールドスミスを聴いた後で、ブルース・ブラザース、レイ・チャールズ、ステッペンウルフ、ルイ・アームストロング、マイルス・デイビス、モーリス・ラヴェル、ローリング・ストーンズを聴く。雑食性の音楽ファンになったのは、おそらくこれがルーツだ。
その中にもちろん、ヘンリー・マンシーニもいた。「ピンクパンサー」が大好きでぬいぐるみも持ってた僕は、この流れでもはやスタンダードであるマンシーニ楽曲も耳にしていた。だからソフィア・ローレン主演の「ひまわり」は、ストーリーや役者の知識がどうこういう前に、音楽が先行していた。初めて観たのは、多分1986年。NHK教育(現Eテレ)の「世界名画劇場」だったと記憶している。今回、小倉昭和館が「シェルブールの雨傘」と二本立てで上映すると聞き、参戦。あの曲をスクリーンを前にして聴けるのだ。
どちらも戦争が男女を引き裂く共通の筋書き。二本続けて観ると、反戦のメッセージがすごく心に響く。アルジェリアに行ったフランス人、ロシアに行ったイタリア人。国がそれぞれ違っても、もたらす悲劇は何も変わらない。しかも引き裂かれた思いをどちらも子供に託すというラストが待っている。初めて観たのは学生だったからか、ロシアで再会するところまでが強烈なイメージで残っていた。その後のストーリーはおぼろげな印象しかなかったみたい。子供がいる立場になった今だから、再会後の場面が地味な印象なのに染みる。「シェルブールの雨傘」も実は同じで、第1幕の強烈な色彩と繰り返されるジュテーム、ジュテーム、モナムールの印象が強く残っていたから、こちらも今回改めて結末の切なさが心に染みた。
広大なひまわり畑の風景と、マンシーニ作のメロディが合わさった場面の美しさ。冒頭だけでなく、エンディングで再びこの映像と音楽が流れる。ロシアの戦地が奪い去ったものは、取り戻すことができない。それを思うと、エンディングで映されるひまわり畑が延々と続く迷路のように思われて、いっそう切なくなるのでございました。
その中にもちろん、ヘンリー・マンシーニもいた。「ピンクパンサー」が大好きでぬいぐるみも持ってた僕は、この流れでもはやスタンダードであるマンシーニ楽曲も耳にしていた。だからソフィア・ローレン主演の「ひまわり」は、ストーリーや役者の知識がどうこういう前に、音楽が先行していた。初めて観たのは、多分1986年。NHK教育(現Eテレ)の「世界名画劇場」だったと記憶している。今回、小倉昭和館が「シェルブールの雨傘」と二本立てで上映すると聞き、参戦。あの曲をスクリーンを前にして聴けるのだ。
どちらも戦争が男女を引き裂く共通の筋書き。二本続けて観ると、反戦のメッセージがすごく心に響く。アルジェリアに行ったフランス人、ロシアに行ったイタリア人。国がそれぞれ違っても、もたらす悲劇は何も変わらない。しかも引き裂かれた思いをどちらも子供に託すというラストが待っている。初めて観たのは学生だったからか、ロシアで再会するところまでが強烈なイメージで残っていた。その後のストーリーはおぼろげな印象しかなかったみたい。子供がいる立場になった今だから、再会後の場面が地味な印象なのに染みる。「シェルブールの雨傘」も実は同じで、第1幕の強烈な色彩と繰り返されるジュテーム、ジュテーム、モナムールの印象が強く残っていたから、こちらも今回改めて結末の切なさが心に染みた。
広大なひまわり畑の風景と、マンシーニ作のメロディが合わさった場面の美しさ。冒頭だけでなく、エンディングで再びこの映像と音楽が流れる。ロシアの戦地が奪い去ったものは、取り戻すことができない。それを思うと、エンディングで映されるひまわり畑が延々と続く迷路のように思われて、いっそう切なくなるのでございました。