Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

クライ・マッチョ

2022-12-24 | 映画(か行)

◼️「クライ・マッチョ/Cry Macho」(2021年・アメリカ)

監督=クリント・イーストウッド  
主演=クリント・イーストウッド  エドゥアルド・ミネット ドワイト・ヨーカム

クリント・イーストウッド翁の新作が公開されるたびに、"これが最後になるかもしれない"と覚悟にも似た気持ちでスクリーンやディスプレイに向かう。「グラン・トリノ」も「運び屋」もそうだった。監督に専念するのではなく、助演で若手をサポートするのでもない。あくまでスクリーンのど真ん中に立ち続ける。健康上難しいとか、老醜を晒したくない映画スターもいるだろう。しかし90歳を超える今でもイーストウッドは、男の生き方をスクリーンで演じ続ける。それだけで神々しい。

かつてロデオスターとして活躍した主人公マイクは、恩義のある元雇い主からメキシコにいる10代の息子ラフォを連れ帰って欲しいと頼まれる。ラフォは母親の親権下にあるため誘拐にもなる。ラフォは家を出て、闘鶏で生活費を稼ぎながらストリートで暮らしていた。カウボーイや強い男に憧れるラフォは、父親の元に行きたいとマイクに告げる。しかしアメリカ国境へと向かう旅は多難なものとなった。

男が本当に強いとはどういうことなのか。タイトルにもあり、ラフォが闘鶏にも名付けた"マッチョ"は肉体的な力強さをイメージしがちだ。ところがマイクはラフォに言う。
「マッチョは過大評価されすぎだ。」

イーストウッド監督作は異なるものを対比させながら、その変化や意味をにじませる演出がよくある。本作でもそれは発揮されている。ラフォにとっての父親と母親。彼が憧れる力強や富を持つ父と、男遊びに興じる母親。アメリカとメキシコ。父が持つ富がある国、アメ公マイクは経済的にも劣るメキシコにやって来た。少年と老人。少年が憧れる強さと、それがない老人。

追手から目立たないために、マイクがいかにもアメリカ人な服装からメキシコ庶民の服装に変える。そのあたりから対比は和らぎを見せ始める。ラフォが考えるマッチョでない老人マイクが、野生馬を馴らしたり、周囲の人々に優しさを見せながら、次々と生きる術を示す。老人だからこそ知っている生きる知恵と経験、人間力。それはイーストウッドのフィルモグラフィーにも重なって見える。50代の頃に一度主演のオファーがあった脚本だったと聞く。当時の自分にはまだ早いと断ったが、よりによって90歳を超えてその役を演ずるとは。

安らぎを感じるラストシーンにホッとする。人生の終わりが近づく中であんなふうに寄り添える人が現れるって素敵だ。

僕には男として憧れる伯父がいる。70代で再婚し、周りの人々の面倒まで看た。健康でボケてもせず、けっこうな年齢まで車を乗り回し、最期まで趣味を満喫し、人を楽しませ自分も楽しんでいた。90代で先日亡くなったのだが、借金も財産もきれいに残さなかった。見習いたいと思っている方だ。そんな気持ちがあったから「クライ・マッチョ」の老人が僕にはやたらカッコよく見えたのかもしれないな。




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