◼️「ルックバック」(2024年・日本)
監督=押山清高
声の出演=河合優美 吉田美月喜
私ごとだが、小学生の頃、自由帳に少年誌の真似をしたマンガを描いてたら、友人たちから読者が広がっていった時期がある。純粋に楽しんで描いたものもあれば、日頃の鬱憤を白いページに向かって晴らしていたものもある。好きな女の子をモデルにしたヒロインを讃美したり、イジメまがいのチョッカイ出してくる男子を悪役にしてコテンパンにしたりw。多少の絵心はあったかもしれないが、画力上げるために努力した訳でもない。要するにちょっとしたお絵描きが得意だっただけだ。大した実力もないくせに。
「ルックバック」の主人公藤野は、学年通信に4コママンガを連載して、周りからチヤホヤされている。目が腫れているくせに短時間で描いたとか言っちゃう見栄っ張り。ある日、不登校の京本の作品も載せると先生に言われ、「学校にも来れない人が」と見下した態度をとる。自分本位のちょっと嫌なヤツ。ところが、京本の作品の描き込まれた絵の巧さに驚愕。「藤野の絵は上手いと思ってたけど、こうして見ると普通だな」と隣の男子に言われてショックを受ける。負けまいと描きまくるのだが、画力では全く追いつかない。6年生の途中で連載を断念してしまう。
この冒頭数分間だけで完全に心を掴まれてしまった。なんて濃密なアニメなんだろ。確かに冒頭の机に向かう場面、鏡の使い方が上手いなぁとは思った。でもそれ以上に引き込まれた理由は、自分自身だった。
藤野は小学生の頃の自分じゃねえか😳
でも僕が藤野と違うのは、京本みたいな存在がいなかったことだ。だから興味の対象がどんどん変わってしまった。藤野は京本という存在がいたことで、負けまいと躍起になれたり、タッグを組んだり。切磋琢磨ってよく言うけれど、同じベクトルで競い合って認め合える存在がいるからできること。一方で、都合よく京本を利用してるようにしか見えない部分もある。それは藤野が基本自分本位のズルさを持っているからだ。最初に「藤野先生」と呼ばれる場面だって、自分も京本の絵を認めているくせに、それは全く口にしない。また描き始めたとか見栄を張る。嫌なヤツだな。
しかし。そこから続く、藤野があぜ道をスキップする場面に再び心が掴まれた。映像から伝わる高揚感。すごい。気持ちがわかる。認められた嬉しさと思わぬ同士を得た喜び。上手いなぁ。
コンビを組んだ2人はプロになって、少年漫画雑誌に連載をもつことになる。しかし、京本は背景画の世界に自分の道を見いだして、絵を学びたいと言い出す。コンビの解消だ。ここでもまた藤野は自分本位の嫌な面を見せる。頼れる存在を失いたくないくせに、「アタシと一緒ならうまくいく。美大生の就職なんて…」と京本を責め立てる。嫌なヤツだな。
そこからの喪失感と事件。起承転結が短い上映時間の中できちんと構成されている。これで58分だって?なんて濃密な。観る前は特別料金と上映時間に文句言ってた自分が恥ずかしくなる。クライマックスで示されるのは、別な流れの2人の道筋。嫌なヤツだと思いながら見ていた藤野が自分を責める場面。そこにあるのは後悔の念。そんな彼女をのもとに扉の向こうから4コマのメッセージが届く。前半との呼応。上手いなぁ。多くの人の感想にあるように涙を誘う。
このアニメ、若い世代もだけどそれなりに年齢層いってる人たちにも共感を呼んでいる。
それは生きてきた時間だけ、いろんな後悔の味を知っているから。
どんな分野でも、創作は結局孤独な作業だ。そこに打ち込める表現者を僕はカッコいいと思う。再び机に向かったラストシーンの藤野。彼女の後ろ姿が、とんでもなくカッコよく見えた。
「ルックバック」の主人公藤野は、学年通信に4コママンガを連載して、周りからチヤホヤされている。目が腫れているくせに短時間で描いたとか言っちゃう見栄っ張り。ある日、不登校の京本の作品も載せると先生に言われ、「学校にも来れない人が」と見下した態度をとる。自分本位のちょっと嫌なヤツ。ところが、京本の作品の描き込まれた絵の巧さに驚愕。「藤野の絵は上手いと思ってたけど、こうして見ると普通だな」と隣の男子に言われてショックを受ける。負けまいと描きまくるのだが、画力では全く追いつかない。6年生の途中で連載を断念してしまう。
この冒頭数分間だけで完全に心を掴まれてしまった。なんて濃密なアニメなんだろ。確かに冒頭の机に向かう場面、鏡の使い方が上手いなぁとは思った。でもそれ以上に引き込まれた理由は、自分自身だった。
藤野は小学生の頃の自分じゃねえか😳
でも僕が藤野と違うのは、京本みたいな存在がいなかったことだ。だから興味の対象がどんどん変わってしまった。藤野は京本という存在がいたことで、負けまいと躍起になれたり、タッグを組んだり。切磋琢磨ってよく言うけれど、同じベクトルで競い合って認め合える存在がいるからできること。一方で、都合よく京本を利用してるようにしか見えない部分もある。それは藤野が基本自分本位のズルさを持っているからだ。最初に「藤野先生」と呼ばれる場面だって、自分も京本の絵を認めているくせに、それは全く口にしない。また描き始めたとか見栄を張る。嫌なヤツだな。
しかし。そこから続く、藤野があぜ道をスキップする場面に再び心が掴まれた。映像から伝わる高揚感。すごい。気持ちがわかる。認められた嬉しさと思わぬ同士を得た喜び。上手いなぁ。
コンビを組んだ2人はプロになって、少年漫画雑誌に連載をもつことになる。しかし、京本は背景画の世界に自分の道を見いだして、絵を学びたいと言い出す。コンビの解消だ。ここでもまた藤野は自分本位の嫌な面を見せる。頼れる存在を失いたくないくせに、「アタシと一緒ならうまくいく。美大生の就職なんて…」と京本を責め立てる。嫌なヤツだな。
そこからの喪失感と事件。起承転結が短い上映時間の中できちんと構成されている。これで58分だって?なんて濃密な。観る前は特別料金と上映時間に文句言ってた自分が恥ずかしくなる。クライマックスで示されるのは、別な流れの2人の道筋。嫌なヤツだと思いながら見ていた藤野が自分を責める場面。そこにあるのは後悔の念。そんな彼女をのもとに扉の向こうから4コマのメッセージが届く。前半との呼応。上手いなぁ。多くの人の感想にあるように涙を誘う。
このアニメ、若い世代もだけどそれなりに年齢層いってる人たちにも共感を呼んでいる。
それは生きてきた時間だけ、いろんな後悔の味を知っているから。
どんな分野でも、創作は結局孤独な作業だ。そこに打ち込める表現者を僕はカッコいいと思う。再び机に向かったラストシーンの藤野。彼女の後ろ姿が、とんでもなくカッコよく見えた。