孫がやってきた。もちろん、両親ともどもだが。でも、周りには一言も漏らしていない。
「お孫さんと一緒、楽しいでしょ。」とか、「いいですねぇ!」とか返されるのが、やり切れんからだ。会いたくないとか、来てほしくないなどと、そこまでひねくれちゃいないが、かと言って、ジジイなら孫との再会を心待ちにしている、とか、相好崩して頬ずりするもんだ、などと一方的に決めつけられるのはお断りだ。
当人の意識の中には、おじいちゃん、って認識パターンがほとんど存在しない。まっ、息子の子供だから孫だよな、程度の突き放した感覚でしかない。子どもか嫌いってことでもない。最近じゃ、幼い子供たちなど見つけると、知らず知らず微笑んでいる自分に驚いたりもする。笑顔だろうと、泣き顔だろうと、すまし顔だろうと、やんちゃ面だろうと、そこには大人、とりわけ老人にはない、生き生きとしたものがあって、いい人生送ってくれよな!と声援を送りたくなる。
こんな世間一般の常識からかけ離れたジジイだから、孫の方も当然戸惑い気味だ。いつまで経ってもはじかみが抜けない。微妙な距離感は今も縮まらない。年寄り側としちゃ、ただの偏屈ジジイでもかまわないのだが、なんとか繋がりを作りたい、あるいは、作るべきだと健気に感じているらしい孫娘には、ちょっと可哀そうな気がしないでもない。
まぁ、その罪滅ぼしってこともあって、来た時には必ずパンとか、お菓子とか、ピザなんかを一緒に作ることにしている。共同作業ってやつは、便利なもんで、少しくらいのわだかまりを消し去ってくれる。それも、子どもにゃ嬉しい食べ物作りだ。喜ばないわけはない。ああ、このちょっと変わったジイちゃんも私を大切に思ってくれてるんだ、ってしばし安心することができるだろう。それはやはりこちらにとっても望ましいことでもある。
と、言うことで、今日は、孫との絆な確認作業、久しぶりのパン作りだった。
まだまだ、幼稚園児、ただ、手を出しているだけのことで、手伝いには縁遠いのは言うまでもないが、それでも、少しずつ、作業への取り組みが広がってきている。あと数年もすれば、自分だけの手で、生地をこね、生地を分割し、形作って焼く、なんてことになることだろう。さらに成長し、パン作りが特技なの、なんて自慢するようになるかもしれない。おじいちゃんから教わったのよ、なんて、彼女の中に生き続けてくれれば、それは嬉しい。
その程度のつながりが、居心地がいい、なんて感じるのは、やっぱり、根っからの偏屈者なんだろうな。