うひゃ!階段教室だよ、会場。それも急傾斜!上の方なんか、天井桟敷席って感じだぜ。あっ、やばっ、かつての同僚、あっちにもこっちにも。世話になった人、よく話ししてた人、一悶着?あった人、息子の担任、あらら、置賜ばかりか、山形地区で演劇部顧問だっ人の顔も。数えるほどの余裕はなかったが、まず10人は下らない。こりゃ、うっかりで口滑らせたりできないぞ。
人前で一方的に話しするなんて、ほんと、久しぶりのことだ。かなりビビってる。落ち着くために、事前に考えてきたつかみ、飲み物と龍角散のど飴とティッシュを演台に並べて、風邪ひき3点セット!まずすべる。慌ててくり出した大学国文科中退カミングアウトネタ、これまた無反応。お、おい、どうしよう、導入は完全に失敗だぜ。
だいたい、詳細に書いて送っておいたプロフィルが配布されていない、なんてこっちや!こっちとしちゃ、一部省略はされても、大方は印刷、配布されると思って準備してたんだ。まさか、校長の紹介で触れるだけなんて!これは大いに誤算!動揺に震えた。力作のプロフィル、いろんなネタが仕込んであったのよぉ。
導入の自己紹介部分は完全に支離滅裂。ほぼ上の空状態で、菜の花座の紹介に入る。プロフィルとは別に講演概要資料作って配ったのに、当人にそれを見る余裕なし。いかん、何言ってんだ、口から出まかせ。このままじゃ訳わからんことなるぞ。ようやく、資料を目にしつつ話をする形になってちょっと落ち着いた。そうか、菜の花座のこれまでの作品紹介じゃ、スライド映像とかあればよかったなぁ、なんて思うも後の祭り。拙い言葉で、数々の作品を紹介した。国語の先生たちだ、言葉から興味関心掻き立ててくれるよな。
しどろもどろながら、本題、「自分を発見する」にたどり着く。KさんとHさんを例に上げながら、演劇で新しい自分と出会えた貴重な体験を話した。聴衆の中に、ダンス振り付けしてくれているRさんもいたので、ここは感謝の言葉捧げねば、と、名前持ち出したはいいが、またまた、結婚後の苗字を間違えてしまった。ごめん。
先生方の反応は、今一、今二、だなぁ。頷きつつ聞いてくれてるのは数人のみ、あとの数十人は面接官のように冷たく鋭く見据えている。上から目線で。だって、階段教室だもの。ほとんど飽き飽きしてる人も何人か!たしか、あの人、運動部の顧問だったよな、ってそりゃ見做し差別だろ。話題をあっち跳び、こっちに走りしながら、支離滅裂な話しを続ける。もっと、論理的に的確に表現せえよ!と心の声が叱咤するが、聞いて欲しい一心で、気を引けそうな話題につい走ってしまう。もう、これは、すべり続けてるお笑い芸人の心境だぞ。
時計を見れば、1時間経過、残り10分!ヤ、ヤバい、演劇の授業活用、2点提案することにしてたんだ。一つ、言葉の多義性。書いてしまえば、言葉は一つだが、話し言葉で発せられれば、多種多様。例えば、「愛してる」って言葉だって、熱愛から蔑み、侮蔑までいろんな感情をまとうことができる。これを生徒たちに、実際に話させてみるってワークだ。感情語に限らず、固有名詞と抽象語だって話手の思いがこめられる。そんなことを理解させるのは、このSNS全盛の時代にとても大切なコミュニケーション教育になるだろう。
さらに、説得のコミュニケーション。ディベートではない。言い負かすのが目的でなく、雑談風に言葉をやり取りしながら、決定にたどり着く、そんな話し合いを生徒同士で作ってみる。例えば、夕飯、ラーメン屋か回転寿司かみたいな。それを当事者の事情を様々考えつつ対話をつなげていく。これがコミュニケーションの基本だ。やり取りのセリフを記録すれば、それが台本になる。それを元に動きや表情も加えれば、これはもう立派芝居になるじゃないか、そんな提案を行った。
こんなこと、もうすでにやってるかもしれないよなぁ、甘く見るなよ国語の教師!ってことだったかもしれない。そうだよなぁ、あっちだって言葉のプロなんだものな。
まっ、良いでしょ。菜の花座公演『予兆 女たちの昭和序奏』の宣伝だけは、くどいくらいに出来たから。
チラシは全員に配ったし、ポスターを校内に貼ってもらうお願いもできた。米沢中央の演劇部の先生なんか、終了後、わざわざ寄って来て、生徒全員で見に行きます、って言ってくれたから、それだけだって、効果ありってことか。まっ、講演中、眠そうな人はいなかったから、それなりに刺激はあったってことなんだろう。
あ、恐れてた、講演途中の咳き込み発作、出なくて良かった!これが一番の不安だったんだ。