自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

自分が自分を苦しめる

2014年07月10日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

エゴからの解放~真の自由  2014・7・10

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自由になりたいという。

 

持病が改善されれば、借金が返済されれば、子供が大学まで

行ってくれれば、など、自分を縛る責務や負債から解放されれば

人は自由感を味わえると思う。

一方、覚者はほんとうの自由は、詰まる所、自分のエゴ意識からの

解放以外にはないと教える。

 

霊的に言えば、肉体意識に近い心の反応感情が エゴという

粗雑な波動のもので、それがほんとうの自分を覆う外壁に

なっているから、何か閉塞感を感じながら生活しているのが

普通なのかもしれない。

 

エゴとは、ホ・オポノポノのヒューレン博士やモナ女史も述べて

いたように、実は、自分自身が時間をかけてゆっくり構築して

きた、自分自身のイメージに他ならない。

それが自分だと信じているイメージが、仮面として自分の

アートマを覆う。

体の不調や精神的不快感なども、原因を探れば

自分のエゴ意識が自分の活き活きした真の生命体を

隠していることであることも多いのだ。

言い換えれば、生き生きした自分に戻れば、新陳代謝をはじめ

とする自然治癒力が十分に機能する生体、生命力に満ちた

細胞にたちどころに戻る弾力性を人の体は秘めているのだ

と信じたい。

精神的不調や不快感、も、自分の内外に満ちている

いろいろな想念の波動、周波数の違うエゴ意識の中から

何かが自分の心の波動に引っかかってきてしまったか、

引っかかってきそうだから、不快感を感じていることも

あるだろう。

”あそこへ何となく行きたくない”、”あんな話をして、落ち込んだ”

”あの人とは今は距離を置いておきたい”と感じるのも、自然と

こうした防御作業が働いているのかもしれない。

 

どうしたらこうしたエゴ意識から解放されることができるのだろう?

自覚して行動する ことだろう。

どのように自覚したらよいのか?

 

①  自分は今誰かをコントロールしたいと無意識に思っていないだろうか?

②  自分が居場所の良いところに(物心両面で)いることを自認しているように

   相手が居場所が良いところにいることを認めてあげているだろうか?

③  固定観念で”~しなければならない”と思っていないかどうか?

④  誰かと話すとき、その場所にいるとき、理由なく、怒りや恐れの感情が

   湧いてくるのなら、普段よりより、謙虚に話し、注意深く行動し、責めたり

   質問攻めにせずに、愛 を、思い出すことができるだろうか?

 

自分の信じる安寧な精神状態を持つ場を設けて、①から④まで静かに

反芻してみると、何が今起こっているのか、エゴ意識がどのように、自分を

駆り立てているのか、きっと、現状が良く見えてくると思う。

 

昨日、筆者は以前 ブログでも登場した、”デニーズで会ったAさん”

(トラの咆哮~詩編~)と久しぶりに会話した。

彼女と話すと いつも、その時起きている体験が相手の体験と

シンクロナイズされて、彼女の話を聞きながらそのまま自分の

体験に型押しできるような不思議な錯覚を起こす。

その電話の内容も例外ではなく、

”最近、機械のみならず、人の心も誤作動を起こすことが

多いみたいね。”

という話から

イエスの返事のつもりが、ノーと受け止められたり、真逆の

ことも最近起きているので”

とAさんが語った。

そういうときは

アクセルとブレーキを両方かけながら運転

しているようなもので、結局 車は進行できないのよね”

と言う。

 

まさに、エゴ意識とエゴ意識がぶつかるとき、引くにも、進むにも、

お互いエネルギーを失われるだけで、どんどん、アクセルをかけても

沼地に車輪が喰いこんでいくような状態になる。

Aさんが出した結論は、静かな時の中に、本当の愛ある自分を

みつめ、周りで流れていく、エゴ意識の潮流を眺めていようと

いうことだった。

それは自分のエゴ意識も含めて、その渦巻きに奔流されないよう

感情の、エネルギーの放出を観察していれば、きっと、

自然消滅していくだろうということでもあった。

 

ヴェーダの世界ではエゴの世界をこう見ている。

”時間の制約があり、一時的。

分裂(矛盾)していて、恐れに満ち、個人的、

自己中心的、自分のことばかり考えて、物事に

執着する。

快楽には飛びつくが、忍耐や苦痛には、きわめて弱い

 

一方、エゴ意識を超越している本来の自分の生命体は

”時間の制約がなく、永遠の時を知っていて、過去や未来から

束縛されることなく、全体的に観て、開放的。

無限供給世界だから、欲しいものは自然と手に入るし、

無限の愛に満たされているから、与えることに悦びを感じる。

活動的で、創造的、期待や執着はそこにはない”

 

パワフルな人と言う時2種類の意味が込められているだろう。

一つは、自分のことを中心に考えるエゴ意識が、パワーを持つ

ことで周囲から認められ、周囲に影響力を及ぼすことに快感

をもつために、パワフルにパワーを収得しようとした人。

そして、

エゴ意識から離れた人のパワフルと言う時の意味は、

創造力があり、人を癒すため、幸せにするためのパワーを持ち、

自分をエゴ意識から解放できたときの自由というパワーを

さす。

 

そんな人達は本来の自分と繋がることが、自由を得るという

ことだと知っているから、むやみに他者の意見に同調したり

非難に心を悩まされたり、賞賛に得意げになったりすることもなく

淡々と自分のするべきことをして、自分自身を信頼しながら、

外側のイメージに振り回されることが無いのだと思う。

 

こうして人はすこしずつ、エゴ意識を意識したときから

エゴ意識を消去する術(すべ)を 学んでいくのだろう。

 

 

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