自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

アトピー時代、怒りが半端でなかった・・

2014年07月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


光あり、ゆえに影ありきと、現実を受容  2014・7・22

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マイナス面があるからプラス面がわかるし、プラス面があれば、

そこにマイナス面も生まれる。

マイナス面を必要以上に取り上げて、自分を責める人がいる。

自分を責めるタイプの人は、一般的に完全主義者だ。


繊細であり、芸術的であり、かつ、神経質なところがあるから

アレルギーという形になって、抵抗力や反発力の心が体に現れと

心身症の診断で言われることも多い。

 

私自身もアトピー性湿疹で、頭、首、膝の内側、

肱(ひじ)の内側、などなど症状が 数十年続いた。 

痒くてたまらないから、赤くなるまでかきむしり、

ガサガサの肌は、いっこうに、良くなる気配もなく、それが

私にとっては、普通の肌となっていた。

10代を想いだすと、怒り それも自分への’赦し難き思い’が

半端ではなかったようだ。

その感性が、アトピー性皮膚炎を助長していたし、それが、原因
であったのかもしれない。

自殺も頭によぎるほど、自分はダメだと思い、鬱状態になったり、

悶々と自分の欠点を数え上げて、悩んでいたころは、症状は一番

頭の表皮に出た。

かさぶたが、できたが、それを掻いて取ると、中からジュクジュク
した汁がでてきて、頭を覆った。そして、固まれば、白いふけの
粉のようなものが、肩に無数に落ちた。。


当時の心境。

理想と現実のギャップに、自分を許すことができず、鏡をみて

自分の頬を平手打ちに思い切りたたいて、自己嫌悪にも陥いった

ことを思い出す。。


家族の誰もそんな私の影の部分は知らないだろう。


学校ではおとなしくて謙虚な生徒を演じていたし、

家庭では良い子を演じていた。

爆発しそうなほどの鬱屈した感情は中に籠って、

原因がわからない、頭痛と、吐き気に週に一度、保健室で

寝込む状態が3年間続き、医師に診てもらったところ、

自律神経失調症と診断された。


さらに、腎臓は機能が弱く、”遊走腎” と診断された。

その症状はというと、所定の所に腎臓が落ち着いておらず、

腎臓が勝手に、自律神経が行き届かないせいか、動くと

いうことだった。


そういうときの身体の反応は、尿漏れが起きたり、足が

むくんだり、耐久性がなく疲れやすかった。

遠足では、いつも一番びりをトボトボ歩き、運動会は

大嫌いだった

 

光りがあるから影がある。

頭でわかっていても心で納得できない分、余計イライラした。

真理の言葉を探し、宗教の門をたたき、哲学者の格言集を

読み漁ったのもこのころだった。

 

神を信じていても、自分の体に現れてくる不健康という、

その影が許せなかった。

時々ヒステリックになったり、感情的になって、家族に対して、

悪態をつくときもあった。


自分で抑えることができないほど、高ぶる感情の波を

持て余した。

 

こういう歳月はしばらく、たぶん、20年ほど、続いたが、

どうにかこうにか、自分の本質を静かに見つめるゆとりが

できたとき、その影をようやく、受け入れ始めた。

(追記・これは、今(2024年現在/推敲時)思うに、”魂”
レベルの過去生からしょってきたお荷物(カルマ)が、
思春期に、心身に、出てきていたのだと思う。

カルマ というのは、厄介だが、出してしまえば、生まれ
変われる。

生まれ変わるための浄化作用だと思って、受け入れていれば、
苦しさも違っていたかもしれない)

 

とは言っても、いまだに、自分の負の部分を見つめて、

打ちのめされるような悔悛の情にひたることもある。

こうして人生は流れていくのだ。

 

自然治癒力はどのような時に発動するのか?


それは 体も心も 十分に、”愛”に 充たされたときだろう。

愛というのはとても大きな言葉なので簡単に使われるし

曖昧に使われることもあるようだ。

 

愛に満たされるというのは、対象となる、人やモノ、動物や

状態、すべて、自分の身の回りの存在を、そのままで、

批判や審判なしに、受容するやさしい気持ちに満たされた

時だと思う。

 

それは自分自身に対しても同様で、

自分の長所、短所、それらは、すべて、対岸の土壌の質だ

とわきまえて 受け入れる。

そして、自分自身は河の流れの 水そのものなのだから、

こちらの岸に近づけば、長所のように見え

あちらの岸に水の流れが傾けば、短所のように

見えるだけだと、思えば気が楽だ。

所詮、短所も長所も 根源を同一にするものが

ほとんどなのだから。

 

 

アトピー性や、神経症、あるいは、鬱病の人にもっとも

効果的な言葉は何か?というと、精神学者が次の3つの

言葉を挙げた。


ぼちぼち、ほどほど、まあまあ


というような言葉だったと記憶している。

”ぼちぼち行きましょう、ゆっくり行きましょうよ。”

”ほどほどに、そんなに魂(こん)つめないで。”

”まあまあ、そんなところで良いでしょう。”

という具合に考えると、緩やかに、自分を見つめることが

確かにできそうだ。

 

完璧主義者、相手にどうみられるか気にしすぎる人、

迷惑は 絶対かけたくないという人、

急がなければ 何か損しそうと思う人、

何事も全力疾走しなければ気が済まない人、

こういう人達、いわゆる、善良で優秀といわれる人達が、

実は、うつ病になりやすいタイプであるという。

 

自分に対して、あるがままを受け入れる、そして、

自然に流れにそって、自分と思う資質が、変化していくの

見つめるゆとり、長い目て見ることが大切、そして、

それが、自分自身への愛の基本なのかもしれない。

 

そうすることで、自然治癒力が発動できる体制も 

整うだろう。

怒り、悲しみ、責める、攻撃的な心は、自然治癒力を

抑止する大きな力になってしまう。

ストレスの要因でもあり、病気の素にもなる。

 

ご自愛ください~と、だから、手紙の末文に書く言葉は、

的を得ている気がする。

自分を愛してください、自分を許容してください

自分を許してください、自分を裁かずに、自分を愛して

ください。

という意味合いがこの 短いあいさつ文に含まれている。

 

融通の利かない人。

一つの側面を観て、それがすべてを顕わしていると

勘違いしたり

他の面を否定してしまったり、一度こう言ったのだから、

それは何が何でも、替えることができないとかたくなに

なったり、すべてが変化し流れていくということをあまり、

認めたくない人。

 

もちろん、すべてが変化しても流れないものは在る。

確実にある。

自分の中に、ある。

ところがこの”核なる自分”を信じることができれば頑なに

なるどころか 周囲への理解も深まるだろう。

 

たとえば、あなたは会社では、部下であり、上司であり、

家庭では、夫(妻)であり、親であり、プライベートの時間

では、恋人であったり、幼なじみの友人であったりするだろう。


それぞれの立場立場があるから、人は その役割に相応した

態度をとる。 

態度も言葉づかいも、変化せざる得ないだろう。

状況によって、優しくなったり、頑固になったり、

声高になったり、様々な ”あなたの顔”が いろいろな

場面で、表現されていることだろう。

 

覚者はこのことをこう表現している。

”あなたは、自分の社会や家庭で演じている役割の

仮面をかぶったどれでもありません。

あなたは、永遠の魂、これらのたくさんの役割を 

演じているのをじっと見つめている 平穏の心持の

目撃者にすぎないのです”

 

自分自身の必要に応じた、演技を受容する。

時には失敗し、失態を演じるかもしれない。

それも許容する。

ほんとうの私は、”あ、また、失態を演じた”と観ている演出家で

あるはずだからだ。

同時に、そのとき、相手への 理解も生まれるだろう。

相手の一見、矛盾に満ちた態度、あるいは、下手な演技を、

”愛” をこめて観てあげられる。

そして 腹立つこと、イライラすることも減るに違いない。


それがアトピー湿疹をなおす一つの秘法であるような気がする。

私の体験からいけば、子供時代(11歳ぐらいまで)

のアトピー疾患は母親の ”失敗や現状を受け入れられない”

完全主義からくる、イライラ感が反映していることも

多いようだ。

 

 

 

コメント
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