瞑想と時の断絶 2014・7・4
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先回のブログで書いたように、
時間の流れは知覚的錯覚で起こるという
ことだったが、言い変えれば、時間を意識することは、
哲学的に“概念の始まり”ということもできるかもしれない。
時間は知覚的概念だからだ。
本質の中には時間の流れは存在しない。
私たちの本質が空、くう、永遠の一点であるのと同様、
私たちが生きているということは、この今の一点でしか
生きられないからだ。
今の延長線上なのだ。
今とは無限に続くのだと大師はいう。
この考え方は少々、飛躍的に聞こえるので
ここで詳細の解釈はしないが、
私たちの本質アートマが永遠の生命であるのと同様、
私たちの体験する今という瞬間は 永遠 という概念に
つながっているといえるだろう。
永遠とは概念ではないのだが、言葉で表すと
こうなってしまう。
“永遠に続く現在の点、その今”しか私たちには無いのだ。
“はっと息をのむほど美しく、その瞬間、時間が止まったかのようだった”
と劇的な美との出会いに詩人は 時間が止まった瞬間と表現する。
時間という概念がなくなると、何が起こるのだろう?
先日NHKの教育テレビ(昔の)で、ミャンマーの山奥に籠って
座禅三昧を3年間続けて、自分の本質が青空のように、
雲のない状態であることを悟ったという 僧侶のインタヴューを流していた。
仕事をしながら、チラチラと引き付けられる言葉に耳を傾けていたので
残念ながらその御坊様のお名前も記憶にない。
もしかしたら、番組をご覧になった方もいるかもしれない。
その御坊様が語るには、私たち心の、本質は青空だから、
いろいろな雲が流れて行くのをじっとみていれば、
自然に雲は流れ去り、こだわりなく、あるがままで
いられるというような内容で、悟りの境地も斯く有らんと共感した。
雲とは、ここでは、肉体的コンディション、感情、様々な現世的・物質的な
ものや事象をさすのだろう。
それもこれも、生きて普通の生活の日常には誰もが面とむかわなければ
ならないものだ。
しかし、観想して、静かなひととき、自分の本質である青空を観じて、
深い瞑想に入って行けば、少なくてもその時はそうしたわずらわしさに
振り回される自分もいないし、必ず現れても去っていくものだと
わかっているから、たとえ煩わされる自分がいても、
達観することができるという。
まさに、時空のない点、空の点がここにあると思った。
時間の流れのない、
不生不滅、不増不減、の世界。
無色、無受想行識 の世界。
それらをあると勘違いさせる感覚機能も
無眼耳鼻舌身意 と否定できる 般若心経の世界は
決して空事でも絵に描いた餅でもない。
実存の世界なのだ。
世界というと何か広がりのある空間を想いださせるが
実際はその、永遠の空の点(今)しか実在していないのだ。
インドの大師は言う。
“人が年を取って、死ぬ理由は一つある。
他の人が年取って死んでいくのを見ているからだ。“
言い変えれば、もし、私たちが死は肉体の死であって、魂は
生き通しであることを知れば、死ぬ という概念が全く違うもの
になるだろう。
そして、生の価値観も今とははるかに変わるだろう。
仏教でいう、唯心所現 は、私たちの心と体でも当てはまる。
私たちの今の姿は私たちの心の現れにすぎない。
老いていると思う人は老いた容貌になるし、人は魂だから、肉体が
勝手に老いることはないと思う人は、アンチエージングに成功するだろう。
物質的な世界と言葉で言っても、実際は一人ひとりの主観の
反映にしか過ぎない。
前出の 医師は次のように述べている。
“人間の心と体は意識の一部、共に考える知性の場である。
心と体は私たちの存在の毎秒ごとに、非局在的な表現である宇宙と
エネルギーと情報を交換しているのだ。
私たちはそれを無意識に行っている。
人は一日に平均6万の考えを持つ。
そして、今日考えたことの95%は昨日考えたことと同じと言われる。
つまり、無意識のうちに同じエネルギーのパターンを私たちは
創りだしているから体にも同様な身体変化を引き起こしていると思われる。“
”自分は体が弱い”ということを分析結論している人は
今日も 明日も、その考えを持ち続けるだろう。
何か劇的な変化を与えるインパクトが与えられ 魂がそれを受け入れない限り
その人は 体が弱いという現実をなかなかうちこわすことはないだろう。
しかも時間はあると信じているから、昨日も10年前もこうだったから、
自分は変わりようはないと未来に否定的な想いを起こす。
その想いは知性の場を通して体に司令塔からの情報のように隅々の細胞に
流されるからその人の肉体も、弱いと刻印を押されたままにとどまるだろう。
こうした想念を持っている限り、溌剌、活き活きした活力みなぎる細胞に
変わっていくということはあり得ないだろう。
今 しかない。
今、変わる、
今、想いを入れ替える。
そして、今、新しい自分を創る。
それが 生きているということの創造性にもつながる。
時空は無い。
時間は相対的であり、想いは主体性があるから 環境と自分の肉体を
創りだす。