自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

新しい年に、禊(みそぎ)の意味

2023年01月09日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム
合気道創始者-植芝氏の禊(みそぎ)2023年1月9日
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昭和34年1月15日、鏡開きの日に合気道本部道場で
植芝氏は、次のような話を遺している。
その筆記があるのでご紹介していきたい。
ここには禊(みそぎ)と合気道の関係性が語られている。

“合気道とは宇宙内をことごとく、禊(みそ)ぎ、
森羅万象の罪障、邪気邪念を祓い清め処理するところの
大道であります。”

ここに”禊”という言葉が出てくる。
浄化するという意味だとすれば、合気道は世界の邪気邪念
を浄化する手段だと、いう。
合気道は武道の一つと思っていたので、ここは印象的だった。
合気道創始者の植芝氏の言葉はさらに続く:

”合気の道は愛を守る道であります。 
愛なくば、この世の一切は成り立たないのです。
ゆえに合気の真の働きがなければ、この世はつぶれる
と私は信じているのであります。“

“合気とは宇宙の中心にたって、漂える世を建ち直す
役目を持っているところの一つの道です。
自己をみそぎ、人を国を宇宙をみそぎ、神の名によって、
進むのであります。” 

ところで、自然治癒力や病を無くすことに興味をもって
このブログを開いていてくださっている方は多いと思う。

病とはどこから生じるのか? 
植芝氏の考え方を借りれば、禊(みそぎ)が不十分だから
となるだろう。
禊が不十分だと、生命力が隠される。
病気は、生命力が十分発揮されていない状態なら
病気とは、生命力の隠ぺいが原因だといえるだろう。

隠ぺいすることは、包み隠すことだから、その状態
を別言葉で、罪(つみ~つつむ)ともいう。
そして、禊は、その罪穢れを祓うために、行われる。
冒頭の引用文の中にあるように、植芝氏は、禊(みそぎ)
の大切さ、自分を清めることで回りが清まっていき、
しいては、世間の穢れを落とすことができると述べている。
ある意味、とても宗教的な雰囲気のある言葉にも聞こえる。
が、植芝翁はこう語る。

“私の合気は、宗教から出てきたのかというと
そうではない。 
真の武産(たけむす)から、宗教を照らすのです。 
未完の宗教を完成へと、導く案内でもあります。”

“そのために、大地のけがれ、地球上における今までの
誤った武によってなされた戦争やけがれ、また、戦争
によって、亡くなった人々の想念を清めて、大地の
浄め、人類の浄めを慰霊のために、神の意を対して、
この植芝は合気道を以てするのです。
他の方法でそれをする人々もいるでしょう。“

植芝氏のこの”清める”という言葉と同意の”禊”する
ことへの目的は、”未来の宗教”のため、とも
ここで言っている。

これからの宗教は、まず、自分の浄化(禊)の意義を
知り、それに徹していくことが、世界を浄化することに
つながるのだろう。

世界の浄化とは、戦争や争い、人間の自然に対する
横柄さや傲慢さを自然と鎮圧していく、ことに
なっていくのだろう。
その過程において、合気道の本領がある。

“合気道とは、すべてを自己に吸収して、相手もなく
敵もなく、それらはすべて自分の中に吸い込まれて、
自己に同化させてしまう”
“悪を悪として切らず、悪を祓い浄めて、和合してゆく
のが合気道じゃ”

病に対しては、
“病を敵対するものとして対処せず、自分の
心を祓い清めて病を受け入れていく”うちに病が
緩和していくとも言う。

どのように、自分の中に一切合切を吸収して自己同化させ
られるのか?
そしてそれがいかに、平和に貢献するのか?
といえば、次の答えがある。
本当の自分は、“空っぽ”だからだという。

植芝氏は、本当の自分の中には、

“小我で動く想念が無い”として、
“人間の真実は神そのものであるのに、
小我の想い(業や執念)に邪魔されて、その姿を
深く奥に隠しているのです。
そして、小我の想念で常に動いて、迷い迷っている
のが、凡夫なる通常の肉体人間の姿であります。 
その邪魔していた想いがなくなってしまえば、
神そのままが現れてくるのです。
通常の肉体人間はいわば、宇宙分の一です。 
分霊分母が宇宙であり、分子の一が肉体人間です。 
ところが 分母分子に分けている棒(業や執念)が
なくなると、分母も分子も宇宙になってしまうのです。
いいかえれば、空(くう)になると、今までの人間観
はくるりと逆になります。 
すると宇宙分の一だった人間が一分の宇宙、即ち宇宙
そのものとなるのです。“

ここにいたって、禊の本当の意味がわかる。
私たちの本質は、神であるのだから、小我にくっつく、
業(カルマ)やマイナス想念などが、禊で祓えられれば、
ちり芥(あくた)が落とされ、本来の清らかな自分が
現れるのだ。

”神そのものの姿が現れる”と植芝氏は言う。
この姿が未来の宗教の真の目的であると植芝氏は教える。
合気道はそのための手段。

そして、私たちはそれぞれの手段を持っている。
その手段を遺憾なく発揮させるためにただ一つ、自分の
中心には、清らかな”神”が座しているという自覚だけが、
あれば、その自分と一体化するために禊(みそぎ)
の意味がますます大きくなってくるだろう。


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引用箇所:
”武産合気(たけむすあいき)” 
植芝盛平先生口述 高橋英雄 編  
青年合気道同好会発行 
昭和57年 第9版

 

 

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