生き通しの命の実感 平成25年3月12日
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途中2日間にわたり、飛び入りのクリシュナ神のお話しに転じて
しまったが、飯田教条のお話しに戻る。(3月9日のブログの続き)
こうして、飯田教授は、姿の見えない、謎の波動が心に語りかける
~’彼’~の与える情報と、ヴィジョンに従って ’彼’の、残された親に
会いに出かける決心をするのである。
しかし、その前に、自殺した’彼’は、自分の置かれている状況を、
話し出す。
死後、この世を去ってから、さまざまな、生きているときには
忘れていた事実を想いだしたというのだ。
興味深い点でもある。その思い出した事実は以下:
①人は決して死なない。
死んでしまおうと思い、自殺したが、決して’死ねない’存在。
②真っ暗闇の中に放り出されて、自分自身で
人生の猛反省を促した。
③真っ暗闇は自分の意思で、牢獄みたいなところに
飛び込んだ。
④その暗闇はさみしいところである、さびしくて仕方なく、
光を求め ひたすらさまよう。
といっても、決して怖いところではなく、愛に満ちている。
ここで興味深い点は、この’彼’の語る、愛の定義である。
’彼’の言葉を引用する。
” ここが、どんなに、真っ暗なところであっても、その暗闇は
愛で満たされている・・・そういう感じ・・
感謝の念 とでもいいますか・・・そういう確信があるんです。
ここは真っ暗だけど、心底猛反省すれば、必ず、光が射してくる、
っていう確信が・・そう確信させてくれる何か・・・
絶望のどん底にいても、確かな 希望 を与えてくれる何か・・・
その何かのことを愛だと感じるのです”
愛は、感謝、光、希望を与えてくれるもの
今現在、彼の魂は、その 愛 につつまれていることも意識している。
それはまた、
”真っ暗闇の中に身を落として、猛反省したからこそ、かえって、
自分は確かに誰かに愛されている と確信できた” のだ。
そこで、教授は問う。
”一体、誰に 愛されているんですか?”
すると、’彼’は
”すべてに”
と答える。 さらに、こう続ける。
”神様でもなんでも、どんな名前で呼んでもかまいませんが、
わざと名前をつけなければ、’すべて’としか言いようがないんです・・・
だって、その’すべて’には、自分自身も含まれて
いるんですから・・’
自分自身を含んだ、あらゆる存在が、自分を愛してくれているんです。”
この答えは、当然、教授を混乱させた。
そこで、’彼’は続けて言うのだ。
”そちらの世界で生きているうちは、(そのことは)理解でき
なかったことなんです・・・
体を離れてから、ようやく、’すべて’のことを理解できたのでです。
というか、理解できたというよりも、ただ、忘れてしまっていた
事を、思い出した という感じです。”
教授は こうした対話を’彼’と続けながらも、まだ、釈然としない。
人間の脳は、素晴らしい機能があり、内部で複数の人物を造りだし、
使い分け、正反対の価値観を持つ複数の人格として、脳内部で対話
も可能なのかもしれない、
この’彼’との現象も、脳のいたずらかもしれないと、合理的に考
えようとする。
なぜなら、教授自身が、
”人は死んだらおしまいよ、死んだら、死体が残るだけ・・・そして、
肺と骨になって、お墓の中に保存されて、運がよければ子孫が
お参りにきてもらえるぐらいだ” と 当時、信じていたから。
教授のこうした 不確実な心持と、お構いなしに’彼’は言葉を
続ける。
”自分は真っ暗闇の中にいて、この暗闇から抜け出すためには、
自分が犯してしまった、一番重い罪、…両親をあれほど、
悲しませてしまったという罪を、自分自身で納得できるまで
償わなければなりません。”
さらに、”魂の存在など信じていない?・・
そのお気持ちはよくわかります。
だって、自分も、そうでしたから。
自分も死んだあとに、ようやく思い出したんですから・・・”
教授は、ついに、突き放したように’彼’に言葉を投げかける。
教授: もう、そろそろお付き合いもこのくらいにしましょう。
あなたは幻にすぎない。
僕の脳が創作した、幻覚なんだ。 魂など存在するはずがない。
彼: 自分には体が無いので、父と母に伝言を伝えることは
できません・・
自分はこのまま永遠に、この暗闇から抜け出せないのですね・・・
教授: おかしなことを言うな!
さっき、そちらの世界では、時間の感覚がないって言った
じゃないか。
それなら、永遠に、なんていうのは、おかしいぞ。
時間がないのなら、永遠 なんていう 時間表現をすることも
できないはずだぞ。
彼: 自分はまだ完全に死に切っていないのです。
この暗闇にいる限りは完全に死に切ることはできないんです。
だから、まだ、そちらの世界にいたころの時間の感覚が
ぼんやり残っているんですよ・・
自分にとっての 時間 といのは、 死に切ることが
できるかどうか ということなんです。
あなたが、自分の伝言を父と母に伝えてくださって、
父と母を心の暗闇から救うことができたとき、
自分も、この暗闇から抜け出すことができるんです。
こういう会話をつづけた後、’彼’の悲しみの深さが
理屈ぬきに、ひしひしと、教授に伝わってきた。
そして、これから 繰り広がれる ”偶然を超えた奇蹟” を
味わうために、教授は、ついに、彼が送ってきたのであろう、
心に、テレパシーのように、ヴィジョンとして受け取った、地図を
頼りに、’彼’の言葉を信じて、山手線に飛び乗るのだ。
大体どのあたりの地図か、駅か、具体的な住所がなかったものの、
直観と、’彼’の送るヴィジョンでついに、’彼’の家を探し当てるのだ。
続く・・・・
引用箇所:”生きがいの創造” PHP研究所出版 飯田史彦著 2005年
飯田文彦氏紹介:1962年広島県生まれ。 福島大学教授、経営学博士。
London City University Business School(大学院)客員研究員
筑波大学大学院、東北大学大学院講師
IOU(International Open University)より、日本人として初めて
総合医学部名誉教授称号の授与。
”生きがいメディカル・ネットワーク“顧問。
あらゆる、思想、宗教団体からの中立を宣言。
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