自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヴァカバッド・ギータの死

2013年03月11日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

西欧的か東洋的か? 平成25年3月11日

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クリシュナ神が、アルジュナに、死について語る場面があった。

般若心経の一節 を彷彿とさせる言葉。 


それは;

”死は、不死である自己に関係のないものである。

それは、生まれるものでもなく、死ぬものでもない

(筆者注:般若心経では’不生不滅’)

存在とか非存在とかいう次元で語れるものでもない

(筆者注:二元性の否定)

永劫にあってあるもの、命、生命、それが、根源的な我 

(筆者注:実相) だ。

だから、この戦場にあっても、肉体は死滅しても、自己は滅ぼされる

ことはない。

この不死なる自己は、闘いの場で どんな武器にも殺されることは

ないからだ。”という内容だ。

 

アルジュナは闘いの相手の中に、自分の敬愛する 叔父たちがいるのを、

見つけると、一瞬 闘うことを、たじろいだ。


その心持を、クリシュナは察して、さらに諭す。

”闘う本分を忘れることないように。 

何のために? 

同胞たちのために、真理を掲げる人たちのために、秩序のために、

正義のために、義務をつくすのだ。

成功・失敗という、結果を案じることなく、真理に、真理を与えてくれる、

神への敬意とともに、絶対の信頼をもって、汝の義務を遂行するのだ。”

 

そして、 クリシュナは 神の本分をこう説明する。

”あらゆる、人間の仕業も、神のリーラ(神が演出する芝居)だ。

こうしたリーラを楽しむのも 神だ。

 

そして、人間の魂を本来の、永遠性に帰してくれるのも、再生

(輪廻転生)の苦悩から解き放つのも神にほかならない。

結果を求めるな というのは、この意味でもある。

 

無我になって、自分の義務を遂行することによって、神に純粋行為を

捧げることによって、汝も本来の自己に帰ることができるのだ。

 

本来の自己こそ、神 である。

神は、決して外にいるのではない。

 

汝の心の内に、肉体の中に、空気の中に、あらゆるところに、

神の眼があり 心があり、意思があり、そして、汝自身が 

神の資質 を受け継いでいるのだ。

それ以上の真理はなく、それ以下の真理もない”

という内容を、とくとくと アルジュナに語る。

生にとらわれるな、死にもとらわれるな、なぜなら、生とか死という、

この世の観念はリアリティーをもっていない。

生きとおしの命があるのみであるのだから。


戦士というのは、闘い、相手を打ち、命がけの死闘で自分の命すら

失うこともいとわない。

それは、楽や苦、損や得、勝ち負けの二元的な価値観にとらわれなくなる

ということにつながる。

生きても死んでも同じであり、死すれば、また再生(輪廻する)という

事実にすら、風になびく枝のように 自然に構えて 受け止めさえすれば、

執着の罪 から解放されるだろう・・

執着からの解放された状態 とは、心理的、道義的、霊的に束縛されない

状態指す。

真の智慧ある者、それは、’バンニャー=般若(漢字の当て字)’の獲得者

であるということ。

恐れと無智によって、呪縛され、死への不当な想いで 自ら苦しんで

いるのだ。


目覚めよ、アルジュナ

勇士たれ、アルジュナ、

・・・・・

こうして、クリシュナは、人生の真実を 解き明かしながら、アルジュナ

を励まし闘いを勝利に導いた。

西欧の文化における 死の概念と どのくらいへだたりがあるかは、

こうしたクリシュナの言葉を前にして、明らかだ。 

”ローゼンクランツとギルダースターンは死んでいる”(*1)という

戯曲に登場する、ギルダーストーンのセリフが、一般的な西洋的死の概念

を物語っている。

”違う、ちがう。 

そんなんじゃないんだ。

死は ロマンチックじゃないんだ。

死は、或ることなんかじゃない・・・死は、…無なんだ。

それは、ここにいることの 欠如という意味なんだ。

 

もう、決して戻ってはこないという果てしない、時間・・

それ以上のものではないのだ・・”

西洋の小説、劇などに描かれる 死 は、絶望、終焉、という

イメージが多い。

死と生 は対立するもの。

死 は、近代的科学や医学の進歩により、ようやく、コントロール

可能になってきた、長年、人類を悩ませてきた、宿敵にすぎない。

 

そういう、観念を持った一般の西洋文化に浸った人たちにとって、

クリシュナの口を通して語られる、ギータの生と死の観念は、

理解しがたい神秘的な見方以なにものでもないだろう。

ところが、このギータの観念は、これまでみてきたように、

チベット死者の書 や 般若心にも説かれている、その神秘的な

とらえかた と同一でもあるのだ。


ウパニシャッドには、以下の点が掲げられている。

いわゆる、生命[魂)が、肉体から離れていく、その瞬間の

描写である。

”死が近づいたとき、肉体と心、感覚器官の働きとつながりが

個々になり、弱くなる。

死の直前、感覚はすでに機能がなくなってくる。

 

すると、外部世界との接触する観点がぼやけ、むしろ、

死に臨む人は意識が、自己の芯に坐するアートマへと向かう。

 

その集中が凝集されていくにつれ、さらに、感覚による肉体

の認知機能は、払われていき、最後に光の粒子となった、魂の結晶が、

心臓のチャクラに集まる。

やがて、自己は、生命の最期の息 とともに、肉体に開けた

開口部をとおり、肉体を去る。(*2)


人でも動物でも、最期の言葉は ”UNN”、うーん~の唸り声、

父と愛犬を看取ったとき知った。

最後の動作は 息をはききること でもある。


ウパニシャッドの言うように、体の内部で魂の結実 が行われ、

肉体のある経路からそれが体外に出ていくとしたら、こうした声と

動作の発動も、自然なことだと、うなづける話かもしれない。

 

* トム・スッパード

(1937生まれ・イギリスの劇作家)による戯曲、

1963年ごろの作品・翻訳:川口庄吉

* ウパニシャッド”ブリハッド・アーラニヤカ"( IV・4~)



 

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