自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

介護される人の願い

2013年05月24日 | 介護と自然治癒力

介護・心・欲求   平成255月24

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(よろしければ、コメントも合わせてご覧ください。)

 

要介護の方達の心の欲求   919日水曜日

わたし達の心の願いはなんだろう?

欲求あるいは、本能的に備わっている要求だ。 

まず、

第一に 生理的欲求。 

三大欲求といわれるもの、つまり、性欲、睡眠欲、食欲。

 

二番目の欲求は安全欲求 

不安を回避した安全な環境や場所 

を必要とする欲求である。

 

三番目は人間交流関係への欲求 

他者との交流をはかるため、組織に所属する。

愛情、友情 をわかちあいたいという要求。

 

四番目は、自尊欲。 

誰でも、軽んじられたり馬鹿にされたりすることは 耐え難い。 

尊重されたい と願う気持ちである。

 

五番目は、認識欲求。 

自分を理解してもらいたい、あるいは他者を理解したい、

そして、もっと、探究してみたいという好奇心を含む、

自分の世界を広げ て、認識されたいという要求。

 

六番目は美的欲求

といわれ、

美しいものに対する意識を満足させたいという要求だ。 

対象物は無形有形に限らない。 

一般的には、芸術鑑賞で満たされる。

あるいは、倫理や秩序あるものへの美と憧憬につながる。

 

最後の7番目の欲求は 自己実現 

自分が一番自分らしく満足できる状態、

その自分を実現したいという要求。 

それは作品の創造につながる。 

自分を表現したいという内面の要求。

この7つの要求は我々が生きているなかで

必要不可欠な基本的要求だ。

それでは、要介護の方達のそれは どこが同じでどこが異なるのだろう?

 

Naomi Feil女史はその著”The Validation Breakthrough " 

のなかでいくつかの特徴をあげている。

三大本能欲求と安全に対する要求は変わらない。

 

ただ、三番目から認知症の特徴的欲求が出てくる。 

人間交流の要求が、認知症患者の場合、愛されたい 欲求、

または、一緒にいてほしい要求に、変化してくる。

相手とのコミュニケーションを楽しむという相互関係ではなく、

むしろ、一方的に、愛されることを要求する、

病院や施設に 家族と離されて、一人置き去りにされるのが怖いのも、

この愛されたい要求が満たされなくなるからだ。

周りのスタッフの方達が一緒にそばにいて、安全が確保され、

一人ぼっちにはならないと理解できれば、次第に心は落ち着く。 

老人は幼児化するというが、まさに、そばから離れないでほしいという、

幼児が母親に愛情を求めるような、形が三番目の要求だ。

 

四番目の自尊欲

は、認知症の方の場合 自分の言うことや動機などを

承認して、認めてもらいたいという要求に微妙に変化はする。

根本的には、自尊欲を満足させるという意味では変わらないが、

話の途中で 相手から、否定的な反応を受け取ると、

とたんに心を閉ざしたり、怒り出したり、感情的になるのも、

承認してほしいという心が否定されたように感じるからだ。

 

五番目は 現実逃避欲求

一般者が自分の世界を広げたい望む代わりに、 認知症の方は、

自分の安全な居心地のいいところを探す。

その結果 現実の非快適さから逃れたいという要求に変わる。

 

六番目は平常心に戻る要求。 

体の機能が低下していく事を自覚している認知症の方は、将来に、

言い知れない恐怖心を感じるものだ。 

自分はどうなっていくのだろう? このまま、どこまで、

身心が崩壊してのだろう?~と。

私の母の場合、電話をまともにかけられなくなった時、

イライラの極限に陥ったことがあった。

何度か間違い電話をかけた。

それは、視力の低下で電話番号を識別できないことと、

せっかちのあまり、番号の押し間違いが原因であったが、

冷静さを失って、自分の無能力さに匙を投げたと言って 怒り始めた。

私が代わりに番号を押して、一段落したことがあった。

 

最後の七番目の要求

安心した心持で死をむかえたいという要求。

思い残しや やり残しがないように、また、長患いで周りに余計な負担を

かけないように死ねたらという欲求だ。

寝たきりにならないで ぽっくり行きたい という言葉を 母からも よく聞く。

万が一、寝たきりになっても、自分は見放されないこと、十分ケアーされること、

寂しい境遇にはならないこと、いつも、

誰かがそばにいることを日頃から話して、母の潜在意識に残っていれば有難い。

何より大事な事は、母の周囲の人たちは家族も含めて、

あなたに、長生きしていただきたいと願っている 

ことを、理解してもらうことだと思う。

 

以上おおざっぱな見方ではあるが、人間の欲求の基礎は 

健常者も認知症の方達もあまり、変わりはないと感じる。

あるとすれば、自分自身の今後の不安と身心ともに、

コントロールがきかなくなるという恐れの増大。

 

そのため、介護人や家族の愛情を

これまで以上に欲しているということかもしれない。

決して相手の言葉を否定をしないこと~と母のケアマネージャーの方に、

認知の母と向き合う時の不文律を教えていただいた。

相手から受け入れられたい という 

4番目の要求を満足させてあげるためである。

 

抗鬱薬や、テンションを下げる薬を飲んでいる方達の場合 

自律神経が薬でコントロールされているので、

自然治癒力の発動は難しい場合もある。

だが、それでも、やはり、魂が生きている以上、上記の要求はいつでも、

稼働する状態であることも確かだ。

具体的に言えば、植物人間になったことのある人の証言だ。

自分の身体が全く融通が効かず、寝たきりのいわゆる植物人間

のような状態で入院していた。

その際、周りで看護してくれている人たちの話の内容は理解していた

ということであった。

看護婦さんたちの噂話、お見舞いに来てくれた知人と家族との会話を、

記憶までされていた。

 

3 コメント

コメント日が 古い順 | 新しい順

Unknown (姫バラ)

2012-09-20 00:22:34

認知症の人の介護はとても難しいですね。

人それぞれ認知症の表れ方が違うので、対応の仕方が違ってきます。

デイサービスを利用されている方の話ですが、

その方をお迎えにご自宅へ行った時、

「あなたの元気な顔を見られて嬉しいわ。」

と言われました。

また、車に乗っている時、咲いている花を見ながら

「このような美しい花を見たことない。ありがとう。ありがとう。」

「お天気も良くて素晴らしい。ありがとう。ありがとう。」 

デイサービスへ着くと

「このような所は初めてだ。素晴らしい。ありがとう。ありがとう。」

「みんな優しくしてくれる。ありがとう。ありがとう。」

とひとりごとのように言っている方がいます。

 
この方は(認知症)、デイサービスには週2回来ているのですが

、いつも「ここは初めてだ」と言っています。

そして、いつも「ここは良い所だ。ずっといたい。」

と言って下さいます。


私達スタッフにとって、その言葉はとても嬉しく、私達の力にもなります。

このように、認知症になっても、周りの人を幸せにする方もいらっしゃいます。

このような素晴らしい方にお会い出来て幸せに思っています。

 

天使の心 (サナ・トクマラ)

2012-09-20 08:32:31

姫バラさん
とても素敵なお話しです。

認知症で施設に入られていても
天使の心で 周囲の美しさに共鳴できる
素敵な方がいらっしゃるのですね!
だとしたら、私たちはもっと意識して、
天使の心を引き出す努力ができますね。
自分の心から・・・・・

 

Unknown (そよ風)

2012-09-20 12:26:10

とても心があたたまるお話ありがとう御座いました。


私も意識して天使の心を引き出す努力をしていきたいと思いました。


ありがとうございました。

 

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