未知なる古代史・聖書にない話: 平成25年11月7日
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著者はしがきから
わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを,実証されるのを実際に見るために、
大師がたの生活の中に親しく入り込むことを許してくれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”
と題して、発表するが、そこに盛られた内容を,そのまま受け入れるか、
否認するかは、読者の自由である。
かつて、サイババ師が、欧州からの信徒の質問に中途半端な答えで終わって
しまったことがある。
それは、”イエスが、インドで修行したというのは本当かどうか?”
という質問だった。
師は、”その通り。その詳細はとても長い話しになるので限られた
時間では無理なので、後程、機会を設けよう”
筆者は、その続きを、その後 知る機会はなかった。
アメリカ調査団の5冊にわたる ヒマラヤの大師たちの生活記録
を読むとヒマラヤの大師の言葉として、その続きが記されていた。
それをご紹介したい。
”貴方がたはもう一年以上の間,私たちと一緒に旅をし、暮らしていたので、
きっと私たちを信頼してくれていると思います。
皆さんはこの4月か5月までは、私たちと一緒に居られるだろうから
みなさんもご覧になった村はずれの崖の岩を掘りぬいて造って在る大T字廟
(*1)へご案内しようと思います。”
と ヒマラヤの大師が調査隊の前に姿を顕わし言った。
そこは、高さ6百メートル以上ある,垂直な崖岩をくりぬき
穴をつくり、部屋としている。
採鉱や換気のために、窓を必要とするところは,南向きに壁の外壁
をくりぬいてある。
部屋は約8メートル平方。この坑道の入り口は 巨大な丸石の下に
隠されていたという。
窓には底の戸道にぴったり合う大きな平らな石がはめてあり、一旦
ピシャと閉まると 村にたっている者からは、そのような出入り口
があろうとは全然気づかれない。
この廟に関する記録が村に残っていて、古いものは人類がこの地上
に到来したころまでさかのぼるものがあるらしい。
これらの記録は ナアカル(*2)といわれる、聖なる兄弟と
呼ばれる種族が書いたもので、彼らは ”人間の母国”(*3)
と称されるところから直接ここにやってきた。
この人たちの先祖が スリヤ・シッドハンタ(*4) と
初期のヴェーダを記した
人たちであると考えられると調査団は書いている。
スリヤ・シッドハンタは、天文学について書いており、
記録によれば、2万5千年以上も前の著作とされる。
初期ヴェーダは 4万5千年前の著作と記されている。
原本がすべて残っているわけではなく、副本はバビロニア記録
の底本(複製)の写しとされ、それらの底本は、オシリア(*5)、
およびアトランティス(*6)の記録の原本の写しということだ。
廟の部屋と部屋との行き来きには固い岩に刻まれた石段があり、
階段の傾斜は45度。
上り詰めるまで7階あり、真ん中の部屋を中心にして、両側に
部屋が二つずつあり、全体が巨大なT字形となっているため、
このような名前がついた。
崖は柔らかい花崗岩で、工事は粗製の手道具で行われたのだろう。
木材は使用されていない。
長い間、この廟の窓を閉めたこともなく,入り口は戸をたてた
ことがないにもかかわらず、大師たちが使用するように
なってから、本当の霊的悟りを得た人や、悟道の心得がある人たち
以外は訪れてくる人もいないという。
さて、ここでヒマラヤの大師はアメリカ人調査団に対して
彼らの一般的信仰対象であるイエスキリストをとりあげて
以下のような話に入っていく。
以下引用させていただく:
”キリスト思想の指導者たちは、イエスの信徒たちと
イエスの教えとを、実地に適用することや神の力を研究する
ことから、そらしてしまいました。
彼らは、イエスの教えの基礎となっている法則が,すべての
人々の日常生活を通じてよく納得もゆき経験もされる、
精密科学であると教えようとはしないで、イエスの
死後の使徒たちの経験と見放すように教えてきているのです。
仏教にしろ、キリスト教にしろ、隠退、禁欲、遁世の僧院
生活は必要でもなければ、霊的発達を成就する真の方法では
なくまた、イエスの説く智慧と力との完全なる生活の
実現でもありません。
こういう僧院生活は数千年も存続してきているがイエスが
この地上での短い一生の間にその教えを持って、庶民の
向上の尽くしたほどのことも、決してないのです。
イエスはイニシエイション(*7)をたびたび受け、いわゆる
神聖なる秘教(*8)や種々の儀式を研究して,後にオシリス
の教えを受け、受けてきたものを、全部抱擁したことは
良く知られています。(*9)
これら秘教や儀式は自分自らは一切の人為の儀式や僧院儀式
および、唯物的な礼拝形式から超越したある僧侶 が
イエスに解き明かした物なのです。
その僧 というのは、エジプト第一王朝のトス大王(*10)
の 侍従でした。
トス大王は人民の権利を返上せしめ、そのうえに君臨する
独裁者として、エジプトの帝国化を宣言した。
その数百年前は 国民はオシリスとその信奉者たちの指導
の下に、融和と同胞愛の輝かしい文明を築き上げていました。
この国民は純粋な白人種でイスラエル人と唱えられ、
へプライジンはその分かれなのです。
トスはそれでも賢明なる統治をし、オシリスの教えを
保とうとしたが、彼の治世のあと、トスを王位につけた
南エジプト人、即ち色の黒い遊牧民の群が勢力を得るとともに、
暗黒思想が忍び込み、その後の歴代の王朝は オシリス
の教えから離れ去り次第に黒色人種の暗黒思想を採用して、
ついには全くの黒魔術が横行するに至り、帝国は間もなく
崩れるべくして崩れ去りました。
イエスはこの僧侶の教えに傾聴し、その深い内的意味を
良く把握した。
また、仏教の教えによって、得た洞察力によって、
この僧侶の教えと 仏教の底には大きな同似性があること
をに気が付きました。
それで イエスはその自分に整っていた隊商路でインド
に行くことを決心したのです。”
注
*1~ T字形はムー大陸時代は”再生。再現”を象徴した。
*2~ 元来は超古代に太平洋にあった、ムー大陸の言葉。
すでに超文明を築き上げていたムー大陸人が
世界各地に,植民し、それぞれの植民地において、
正しい宗教,人間の本質を神性であると教えるそれや、
当時の’宇宙科学’を教えた指導者たちを ナーカルと呼んだ。
当時に合って宗教と科学は一つの分野であった。
中米のユカタン、南米、インド、メソポタミヤ、
カルデア、エジプト等はムー大陸の
代表的植民地であった。
(Churchward著、”Chuldren of Mu" 参照)
*3~ ムー大陸のこと
*4~ サンスクリット語による古代の天文学
*5~ オシリスは古代エジプトの最大の神、第一原因者、
同時に天上の火、原初物質、無限の空間を象徴する。
*6~ アトランティスは現在の大西洋上にあった大陸。
ムー大陸と同様の超文明を築いた。
*7~ 霊性の道を進み始めるうえでの得度式。
霊性が向上するにつれて、意識が漸次拡大して、或る段階まで
達したとき、万物の進化を指導する高級霊の集団に入る。
段階としては 肉体人間としては第三階位が最高で
第五段階に達すると、”大師”(master adept)"
第10段階まであるが、地球上では第8段階まで
とも言われる。
(竜王文庫発行、”至上我の光” 仲里誠吉訳 参照)
*8~ヨーロッパにおける密教系の教え。
*9~この事実は現在に至る伝統的なキリスト教の教えと
しては全く受け入れていない。
*10~ギリシャ神話の ヘルメス神に相当する
参考)ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道
全5巻
S54年6月5日第五版
ベアード・T・スポールディング著
仲里誠吉訳 霞が関書房
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