自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

介護の扉:母と娘(1)

2012年07月06日 | 介護と自然治癒力

 

やっぱり、心に来ている。

 
”不信電波”が、ガンガン 相手(母)から送られて、

自分が責められる続けていると、

自分の防御態勢に入るためのエネルギーの発動がかかる。

私は母に聞く:

"お母さん、知っている?

テナントさんと裁判になったのよ、

お母さん、裁判所に行って、弁護士と打ち合わせする

気力なんてないでしょう? 


だから、お母さんに負担がかからないようね。良かれと

思って、成年後見人の資格を家庭裁判所からとって

がんばっているのに・・・


どうしてわかってくれないのかなあ? 

財産を狙っている? 

そんなわけないでしょう。


じゃあ、お母さんが、この書類を書いて頂戴。

まだ、元気だって? 

頭が働いているって? 

それはわかっているけど、できることとできない

こともあるんじゃない?”


一方、親せき中から、責められた私。

”あなたは親不孝ね”と声なき声で責められている気分に

なったこともある。


なぜなら、母は、きわめて、理路整然と、はっきりとした

滑舌で ”娘の不始末と責任のない行動、さらに、自分を

のけ者にして、勝手に口出す” などというような

愚痴を 知り合い、親戚を問わず、こぼす。

 

そんな、母の話を鵜呑みにして、同情する人も

多いからだ。

 自分が悪者になるのはかまわないから、特に、

反発も弁明もしなかった。


ただ、愚痴の回数が増えていくと、時間の感覚が

ない母は朝、4時、深夜1時 などに 誰彼となく、

電話のダイヤルを回すようになった。


明け方から、それで振り回される相手の人達からの

文句、

”朝6時から愚痴の電話はかなわない。 

あなた、なんとかして。お母さんに不満がでないように、

ちゃんと行動してくださいね”


 と 叔母から、直接、言われた時にはさすがに困ったと

感じた。 

迷惑行為の共犯になってしまっている。


というより、その迷惑行為の中に、私に対する、全く

身に覚えのない中傷を語られて、ますます、風当りが

強くなっていった。

 最近、ようやく、母が、介護認定を受けて、そうした

誤解は解けてきた。


”施設に入れたら?” と 助言をくださる方達も出てきた。

多くの方達に薦められ、施設の見学のアポをとり、

母と見学に行く機会があった。 


最寄り駅のそばで、今年5月に新築された施設

母と行った。

母は興味深そうに、案内してくださる施設の方の説明を

聞きながら、

”居心地がよさそうですね” などと 世間的な

お世辞を述べる。


露ほど母がそう思っていないのは後から私に、

投げ捨てるように言う言葉でわかる。

”私はまだ、姥捨て山になんか行かないよ。 

常だから。


そんな鋭い母の抵抗を受けて、矛盾しているが、どこかで

私は安堵した。


幸い自然治癒力セラピーを母は受けてくれ、

要介護2~3程度の進み具合だが、デーケア―では、

薬をとっていないのは母だけらしい。 


母の介護認定のために診察してくださった、

精神科の先生も 一時、最新の薬を薦めてくださったが、


”その薬を飲んで、おとなしくなるということは、

自発的行為をしようという意欲に、影響与えない

とは言えませんか?”

と私は、医師に聞くと、医師の答えは、Yes" だった。


その副作用があっても、何が利点があるのかと聞けば、

ご家族がたいへんそうだから・・・” と先生。


でもその薬をとったら、神経が抑えられて、

ぼーっとして、火の始末までもっと頭がまわらなく

なるかも・・・??? と 私。


先生、その言葉に、同調して ”そうですね”という。

そこで、いろいろ相談させていただき、私の信念

(生命力と自然治癒力の関係)もお話しして、

母は、幸いに、何も、薬は飲んでいない。


それでも、施設の方で、”薬の心配をしてください”

と言われたので、敢えて漢方薬を処方していただき、

施設の担当者の方たちが納得していただくように

現場にお届けしている

時々、アルツハイマーの姑の気配さながら

嫁はご飯もたべさせてくれない”式に、娘の悪口

妄想交えて話すようだが、論理的なため、誰も最初は、

母の思い込みだとは思わない。


時には、私が実の娘でなくて 嫁と間違える人が

多いのもそんな話を聞かされていれば、さもあらんと、

納得できる。


そんな時、私は、ただ、一つの事実を考え 感謝すること

にしている


それは、長谷川町子さんの描く意地悪ばあさんの愛嬌だ。


薬で自律神経をコントロールされて、箸が持てなく

なったり、食べ物を口に運ぶことができなくなる代わりに、

娘の悪口を言うことができる。

そのメリットは、何か?


悪口をいう事で”さみしさ”や 思い通りにいかない

人生の不満発散が、母なりにできていると 受け止める

ことにしている。

介護に携わっている方達は、年々増えていくだろう。

家族がエネルギーをとられて、疲れてしまうことが多い。


介護者が先に病気になり、傍らで何もケアーされない

要介護の母親が死に至る・・という悲劇的は話も

作り事ではない時代だ。


そして、自分(介護者)が、被介護者のためにすべてを

犠牲にして、追い込まれた境地にいたらないように

どうしたらいいかという話になる。


こうした問題は、行政もかかわる話である。

せめて私ができること
 

母の気まぐれと妄想と暴言(母の人権のために

申し上げるが、これは、あくまで頭の細胞の硬直化と

収縮によるもので本来の母の姿ではない]

を今後、どう、対処していけばよいのか?


母がハッピーになってもらえるには、何ができるのか・・・

を考え行動していくほかないのだろう。


この5年間で、やっと、精神的に、母と適当な距離を

置いて接することができるようになったが、母が

本来の優しさを取り戻す時間をどのようにしたら

やしていけるか?

アートマセラピー(本協会のセラピーの一つ)で、

いつまで、こうして 母が、’意地悪ばあさん’的要素を

保持しながらでも、’薬もなく自立している’という誇り

と感覚を持って、父の位牌のある住居で頑張って

生きていけるか?


それらの問題定義を、持ちながら、生きることに

対して、謙虚に、こうして母の世話をさせていただく

ことも、幸せなのだと、認識を忘れずに、生きて

いくことになるのだろう。









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2 コメント

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Unknown (ゆーこ)
2012-08-26 01:40:37
去年は私も経験した事のないような一年でした。こんなにあなたの事を思ってがんばっているのに、どうして?こんな人じゃなかったのにとか、悲しくて寂しくて辛くて、そして腹立たしかった!そんな経験を今は感謝にかえる事ができた。私の甘えがそんな悲しみを感じる気持ちを増幅させていたのだと思う、対等な一人の人間とつきあうという事もできていなかった。腹立たしくてたまらない時幼かった私に安心と温もりを感じさせてくれた愛情を思い出しながら、ハートから湧き上がる愛の感情をかみしめ、感謝を思い起こす。もし、反対の立場ならと・・・ガマンしてくれているんだなと、そのつどゴメンネ!日々そのくりかえしですが、今を生きる私の修行と納得しています。
がんばっていきましょう!!
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安心とぬくもり (サナトクマラ)
2012-08-26 07:01:45
ゆーこさん

貴重な体験に基づくご意見、
ありがとうございました。

幼いころ、安心と温もりを与えてくれた人に、今は自分が、同じものを与える役目をいただいている。

その人は老いの中で、コントロールできない無力さと
肉体的精神的に壊れていきつつあるのを自覚して、
やり場のない、さみしさと孤独に自分の感情を整理つきかねているのかもしれない。

かつて、自分が幼いころ、その人は恐る恐る垣間見ていた外の世界から自分を防御してくれ、そ安心を与えてくれていた。
それが温もりの感覚となり、心の豊かさを、育んでくれた。

老いた母は、最近、携帯電話をかけてきて、私が出るやいなや、
”もしもし、あ、いるの? 安心した。それだけ。じゃ、切るね” の安心確認コールが頻繁になってきた。

かつて、相手からの”不信電波と攻撃波動”を
防御していたときのトラウマにかかっていた自分は、
暴言が怖くて、母からの番号表示が出ると、拒否してしまうことが多かった。

今は、ゆうこさんのように、少しはゆとりが出てきたのかな~と感じています。

”介護する”という意識から”介護させていただく”の
気持ちに心底変わることができたなら、お互いにとって幸せだと思います。
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