自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

順調に回復をみせていたが、体力転落の始まり

2022年11月24日 | 介護と自然治癒力

夫の集団感染、コロナに 感染:安寧を味わう不思議    

2022年11月24日 

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夫の感染後2日めに、高熱が出始め、共に
寝ながら、夫に水分補給していたときの私
と夫
*******************

ここからはまだ記憶が生々しく、正直、詳しく、回想する

のは、少々、困難なところもあります。


が、ここを通過しないと、その後の記事も滞りそうなので、

介護記録をみながら・・・お伝えしていきます。

 

サブタイトルの 至福とは、大げさな表現かもしれません。

でも、なぜ、この写真の二人が、なぜ 至福感を感じて

いたかは 今日のブログの最後に書かれています。

 

さて、施設で集団感染にかかった、夫のコロナの経過から

始めましょう。

*****************

① 7月20日 熱が施設で38.5度。

17:45に自宅に戻り、計測、38度。夕食可能。


ごはん一膳、生姜につけたカツオ3切れ、

シラス干し小さじ2杯、大根おろし。

レモンハチミツ水150㏄

 

この時の夕食が、発症してから、亡くなるまでの 

約2か月間で、彼が取った、最後の食事となるとは、

その時、誰が予測できたでしょう。


救急車で運ばれ、入院して、退院して、亡くなるまでの

2か月間は、おじやを数さじほど、わずかに、口にする

のみ。 点滴を含めて、水分補給のみ。


この日を境に、固形食は食べれなくなってしまいました。

 

前日の7月19日まで、体温36度代で、普通に本を読んで

過ごしていたヒトが、風呂に入りに、施設に行って、

その翌日は急変しました。


すでに、施設では 他の 利用者さんたちも熱が出て、

クラスター発生は確実ということが伝えられ、その後

閉鎖されました。


そこで、医院に電話いれると、熱だけなら自宅療養で

お願いしたい、ということで、自宅療養にはいりました。

 

其の後の、介護記録には、夫の熱とリハパン交換回数、

水分や補給食をどのくらい取ったかなどが 7月23日まで

記されています。

 

水分だけは、熱が高いので、不可欠。


しかし、吸い口で吸う力もなかったので、スプーンで

ひとさじずつ、口に入れていました。


7月23日土曜日の記録に、半時間かけて、口に運び、

やっと、100㏄飲んたと、記されています。

 

そして、ついに、翌日24日の日曜日は、私が発症しました。


記録ノートには、

”ぼーっとしながら、介護。

記録つける元気がない

と書かれ、

 

”14:30に浩康さん39度9分、私、38度2分・・彼は

お水、50㏄飲む”・・と、薄い字で元気なく殴られ、

そのあと、間もなく、友人が救急車を呼んで、彼だけ

病院に運ばれました。


冒頭で述べた”至福の写真”。

二人で熱を出して、シングルの介護ベッドに寝ているところを、

自撮りしました。


彼は、40度近い高熱

時折、唸るので、’大丈夫?意識ある?’ 

と声をかけると、

”うん、大丈夫だよ” と答える 夫の声のクリアーさと

その背後の、生命力を感じて、私は、良くなることを、

信頼していました。

 

それほど、高熱にもかかわらず、身体が辛そうでなく、

恐怖心もなく、現状を淡々と受け入れていた様は

高熱さえ引いていけば、良くなっていくだろう、という

確信めいた実感が、あったからです。


 こうして、介護される人も、する人も、枕並べて、

コロナの真っ最中の時間は、二日ほど続いたのでしょうか・・

今でも、現実味があるようで同時に無かったように

思えます。


それは、二人の表情が、どこか、安堵感を覚えているような

顔つきをしているからです。

 

至福という言葉に近い、平和な満ち足りた、不安のない

心持だったのを、覚えています。


私さえ倒れていなければ、自然治癒力で癒されていくと

いう確信が心の奥に、あったのでしょう。

 

時々、寝ていた私は、起き上がって、彼に水を飲ませたり、

リハパンのバッドを交換したりしました


いつも、決まった時間に、訪れ手助けしてくださる

専門スタッフやヘルパーさんから、隔離された空間で、

私は、睡眠不足でそのうえに、介護の責任で、横たわ

って、います。


要介護4の夫は 免疫力が衰え、コロナから、重篤になる

可能性を秘めていました。



なぜか、このときの、写真をみると、優しい感情を呼び戻して

くれます。

”え、コロナにかかった? なら、共倒れになるまでよ!

と、覚悟を決めた私でした。


そこには、悲壮感もなく、なぜか、味わったことがない、

温かい気持ちで満たされていたことを、思い出します。

 

次回から、”二人離れてのコロナ養生のその後”について、

記したいと思います。


これからも、コロナに関する薬は、多く開発されていく

でしょうが、残念ながら、私は病院での、治療後の夫の

激変ぶりを見て、コロナ新薬への信頼より、恐怖心が、

強くなったというのが本音です。

この写真をとって、数日後、友人が家に訪れ、なんの
返答もなく、ラインも通じないのを心配して、救急車
を呼んでくれ、夫だけが、病院へ運ばれました。

入院してすぐ、担当医から、新薬を投与するが、その
承諾をお願いしたいとの電話があり、その時、まさに
コロナ症状が最大に出ていて、頭が朦朧としながら
寝込んでいた私。

”はいはい”と返答がやっとでした。

その薬には、後日、あらためて、説明の表示をみて
”副作用・死にいたる危険性も否めない”とあり、
驚愕したのでした。


 

 

 

 

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