自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

528Hz:自律神経が整う療法

2014年08月15日 | 健康のための心の波動

音楽療法:愛の波動と癒し                 2014・8・15

**********************

 

先回のお話しの続きです。 

528Hz(ヘルツ)の音の波動が愛の波動であるということでしたが、今日は

それが どのように体に影響を与えるかというお話し。

もっと、深く528Hzについて、知りたい方は、

例えば、科学的分析数学的計算をもとに、どのような意味合いがあるのかを

お知りになりたいかたはぜひ 原著を参照していただきたい。(*1)

 

同著によると、ドッグ・チルドリー氏が創立した ハートマス財団では

1980年代に’心臓の力’を使ってストレスの悪循環を断ち切る

ことを実証したという。

チルドリー氏は、心拍変動と心拍リズムの一貫性(コヒーレンス)

のメカニズムを研究。

さらに、精神生理学、神経心臓学、分子生物学などの分野から

心臓の研究を続けることで 自然治癒力についても一つの

指標を出している。

つまり、感情(心)が生体の波動に影響を与えるということを

立証させて、生理現象とさまざまな感情との

関連性についても研究した。

チルドリー氏は、”さまざまな感情により、体内で生成される

振動リズムが導き出される”という興味深い証拠”を得た。

 

同氏は言う。

”愛や感謝というポジティヴな感情は一貫性(コヒーレンス)

を持ち、心臓血管や神経系、免疫系、ホルモン系を

リラックスさせる”と。

 

さらにその理論をすすめて、健康を増進させるための音楽

や感情気分を鎮め、自律神経系を通して、ストレスを

調整する音楽の研究もすすめていった。

 

音楽の周波数(Hz) を 生体の振動数を理想的に保持する

ためにどのように利用したのだろう?

それは、それぞれの身体各所の生理現象に

合わせて 音楽の中に取り入れた理想的波動を流すことによって

だった。

その効果は、

”心拍が正弦波のようなパターンになり自律神経の

バランスが副交感神経優位になり、心臓と脳のシンクロや

さまざまな生理学系の同調が高まる状態’

を保つことだった。

この状態で体を保つこと、それは、自然治癒力が

もっとも効率よく期待されるところでもある。

チルドリー氏は言う。

この状態では、身体の各部が効率よく調和して、機能する。

そこで自然回復が促進される。”

 

この状態が人間本来の姿であるともチルドリーは考える。

そしてこの状態に保つことを”生理的一貫性(コヒーレンス)”

と呼んでいる。

 

生理的コヒーレンス、つまり生体に生理的な一貫性を持たせて

身体の各部が効率よく調和した機能を発揮させる状態に置く。

こうして、自然回復が促進される状態に重点を置いた

同氏は、その利点を以下のようにまとめているので

引用したい。

生理的コヒーレンスの状態では、認知や感情と、生理的な

部分とのシンクロや調和が高まる。

結果として、全体の機能が向上し、調和する…精神生理学的

コヒーレンスの状態を自在に作りだし、維持する能力には

数多くの利点があることが、さまざまな群を対象に行われた

研究からわかる

確認された効果は、ストレス/不安/抑うつの軽減、

燃え尽き症候群/倦怠感の減少、免疫機能/ホルモンバランス

の向上、認知/学習能力の向上、組織効率の向上、そして、

多くの臨床例での健康状態の改善がある。”

 

チルドリー氏はこのように生体に与える音の波動影響を研究したが

具体的に 528Hzの振動数を持つ音楽と 心 が同調すると

何が起こるのだろう?

身体の生理的一貫性が保たれるばかりでなく、

マイナス思考が跳ね返される。

愛し、癒し、のプロセスが始まる。”

と言う。

 

この考え方をヨガのチャクラに応用した人がいる。

音楽療法の先駆者、マイケル・ウォルトン氏だ。

彼は、チャクラ・チューニング と呼ばれる方法で、チルドリー氏の

研究成果を取り入れた。

どのようにかと言えば、

C=528Hzを 基本の尾てい骨にあるチャクラ(第一チャクラ)に流す。

順じ、7つのチャクラに上昇するにつれて、第二チャクラには、D=285、

第三チャクラには、E=639、第四チャクラにはF=174、

第五チャクラに茶G=396、第六チャクラには、A=852、

そして、B=963Hzを 頭の頂点にある第七チャクラに流した。

 

科学的論証はまだ十分とは言い難いが、マイケルウオルトン氏は

さまざまな音響機器で このように、各チャクラを刺激して治療効果を

見出したと発表している。

 

日本でも こうした音楽療法は行われている。

筆者の知人は楽器(ライヤー)をハートのチャクラなどに置いて、

特定のバイブレーションを響かせることで、クライアントに 音楽療法を

を行って、効果を得ていると聞いている。(*2)

リラ研究グループでは 山波 言太郎氏指導のもと、長年にわたって、

音楽と心身健康の相関バランスの研究と実践を行っている。(*3)

 

このように、音楽の持つ波動が、癒し効果を上げているが、

528Hzとの関係があるのかもしれない。

 

今日取り上げた、音楽療法の理論など詳しく知りたい方、

興味のあるかたは、SomaMagic.com

528Records.com

のサイトを参照にしていただきたい。

それぞれ、マイケル・ウォルトン、ホロウイッツ氏の研究サイトが

開かれるはずである。

 

 

 

*1~"ジョン・レノンを殺した凶器の調律A-440Hz” レオナルド・G・ホロウイッツ 渡辺亜矢訳 徳間書房、2012

*2~京都 ”癒しの森” 

*3~山波言太郎著 ”自然音楽療法” でくのぼう出版社 1998年

 

 

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528Hz(ヘルツ)と愛の深呼吸

2014年08月12日 | 健康のための心の波動

数字(波動数)は体を顕わす     2014・8・12

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数字の持つ力に こだわる人はこだわる。

無頓着な人もいるし、数の持つ数霊など、信じない方もいるだろう。

今日のお話しは 数字の持つ意味合いをとことん突き詰めたベストセラー

作家の本から少しご紹介したいと思う。

 

わかりやすいのでそのまま著書(*1)から引用してみたい。

”主流メディアは この情報(生体エネルギー療法や電磁気学との関連)

を隠しているのだが、物理学や形而上学、分子生物学における

歴史的は発見により、パラダイムシフトが起ころうとしている。

そして、数千年にわたって隠されてきたものが明かされようとしている”

 

主流メディアが隠しているというのは、いろいろな資本主義社会の利益が

交錯して、単純で明解な真理による療法や、電磁気学を応用した情報が

地球規模のマスメディアも絡む戦略に対し 負の効果を生むと判断されて

いるからだろう。

バラダイム・シフト、いわゆる、いろいろな各分野でこうした今までの

常識を覆す、価値観の転換が行われようとしているのが

まさに、今現在 進行中である。

 

たとえば、エネルギー波動が物質ならば、癒される、病が癒えるということは

どういうことだろうか?

癒されるためには 波動そのものが変わらなければ

あまり意味がないということだろう。

そうした考え方を基にして、メタ・フィジカル ヒーリング(形而上学的癒し)

を提唱した先駆者、エディ夫人や、インドヒマラヤのヨギ大師たちの

超越意識と癒しの関係などが 改めて取り上げられる意味合いがあるだろう。

今日のお話しは こうした波動と波動の振動数の関係をつきとめようと

した著者の意見を紹介したい。

 

 

著者は、その関連性に関して、以下のように述べる。

”物理化学は実はすべてエネルギー的に規定されている。

健康であるが、、病気になるか、それは血液のPH値がきわめて

重要であることを考えてみてほしい。

PHは酸性/アルカリ性の度合いを示す指数であり、基本的

には、電子量やエネルギーレベルを反映している。”

 

エネルギーレベル というのは、新しい言葉かもしれない。

生体を生かしている原動力のエネルギー、プラスエネルギー、生命力エネルギー

と言い換えられるかもしれない。

こうしたエネルギーが高いとき、PH値も当然 良い値が期待される。

 

次に、著者は、PH値について次のような表現をしている。

”それは宇宙の陰陽のようなものである。

ストレスは酸性、休息はアルカリ性である。”

 

さて、ここで今日の副題になっている”数字は体を表す”ということに

触れたい。

著者は ”ヘルツ”、つまり、一分間の振動数、Hzに触れ、528Hzが一番

リラックスできる波長数だと結論づけている。

それと対極なのが 741Hz、この数字の詳細はまた、改めて

ブログで取り上げるが、これは、避けたい周波数ということだ。

 

何故、528Hzが もっともリラックスできる波長をつくるのだろう?

”人体の有機構造の基礎である 528Hzはおそらく宇宙でも

もっとも癒し効果のあるものだろう。

人体の有機構造は現在では エネルギー体の振動が

分子を形づくる 聖なる幾何学が発現 もしくは 析出したもの

と考えられている。”

 

エネルギー体の振動。

聖なる幾何学。

あまり聞きなれない言葉だが、その例として、地球で最も重要なエネルギーの変換体

として、”クロロフィルとヘモグロビン” を著者は挙げている。

 

聖なる幾何学模様とは、円形配列かつ、六角環だ。

 

ここで著者は こうした”エネルギー波動体、Hz”、が

物質を変化させることが可能であることも述べている・

どのように?

たとえば、音楽を通してだろう。

 

”分子生物学により、音のエネルギーが周波数の形で

測定され、水を伝わって波のように動き、音響的に物理的実体

を変化させるプロセスの説明がつく。

化学的な構造や、働きの制御も同様である”

 

として、波動となったエネルギーは 周りに確実に影響を与えると

言う。

カプラー博士の言葉を過去、取り上げてみたことがあるが、

例えば、物理学者の先入観や視点(観察者の)が測定結果に

影響しうることも 最近では知られるところだ。

 

著者は言う。

”物理学者らは、私たちが生きるこの世界は影響を

受けやすく、’意図や考え方、信念’などがエネルギー的に

現実を変容させてしまうという”

 

人は本来、自然界に生きる動物たちと同様、予知能力や

不可思議な伝達手段を持ち、無防備な自然界でも十分

生きられる本能的知恵を身に着けていたのに違いない。

その本能的知恵はスピリチュアルな次元にもかぶさって

いたのだろう。

スピリチュアルな次元というのは、エネルギー体に変容

させた宇宙の言葉を直に感じることができる能力を持っている

次元になる。

宇宙といえども 惑星や太陽、物質として現れていても

その実はエネルギーの表現体であるということだ。

そのエネルギー体で交わされるコミュニケーションを敏感に

察知できる能力、これが スピリチュアルな次元の力とも

いえよう。

 

この本の著者はこれに関して次のように述べている。

”エネルギーの宇宙は、誰も見たことはないがアクセスは可能だ。

エネルギーは物理的実態に影響するだけではなく、プラシーボ効果

を生み出す。[須田注:患者の信念によって、偽薬でも、体に効くと

信じれば、効果を顕わす現象)

頭にある信念が 心の琴線にふれ、治療効果がエネルギー的に

顕れる。

精神神経や免役系に魔法のような作用が起こり、信じることが

ポジティブな結果を生む。

創造のすべては愛からくる。

そして破壊のすべては信頼不足からくる恐れに伴うものだ。”

 

そして、著者はこの愛の波動に共振する ヘルツが ”528Hz”

と結論する。

そして 上記の言葉の最後にある、破壊のすべては恐れに伴う

という その 信頼不足の不安定な波動が これと対極の741Hzに

あるという。

”愛、信頼、喜び、共感、そして勇気の性質を持つ

528Hzの周波数。”、

これに付け加えれば生命力、サンスクリット語でいうところ

生命力=”気” を意味する、”プラーナ” を取り込むための

効率性も振動数と大きくかかわっているという。

プラーナを取り込むために 細胞の”電子” は ”528Hz”

で もっとも強く共振するクロロフィル分子によって呼吸された酸素” 

を取り込むのだ。

葉緑素、植物が酸素を発する際、言い換えれば、528Hzの

振動に対して最も強く反応するのだということかもしれない。

こうして、クロロフィルによって、呼吸された酸素を取り込む度に 

生かす愛”の振動を取り入れてもいると言えるかもしれない。

私たちが静かに呼吸法を行じて、深呼吸を繰り返し、生命力が

身体の細胞隅々に行きわたると観じるとき、まさに、この生かす愛

もともに吸収されていると、思念するのも 理にかなっているようだ。

数字は体を表す、つまり、その物質の放つ波動数は その物質そのものを

形成するエネルギーであるのみでならず、周囲に十分影響し、共振できる

力をもつものであることをしみじみと感じた。

 

 

*1~"ジョン・レノンを殺した凶器の調律A-440Hz” レオナルド・G・ホロウイッツ 

渡辺亜矢訳 徳間書房、2012

 

 

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純粋意識は絵に描いた餅ではない

2014年08月09日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自然治癒力は純粋意識から   2014・8・9

*************************************

自然治癒力が活性化するためには何をしたらよいのか?

という質問を時々受ける。

”私のアートマがこうだと言われても、ピントこないし・・”

”生体の能力を信じたいけど、やはり、薬に頼りたくなる”

”人の話はなるほどと思うけど、自分が同じようにできるかと

言えば、自信はない。”

など、自然治癒力 という言葉は知っていても、それが果たして

何ぞや?となると意外とピント来ない方も多いようだ。

 

 

絵に描いた餅 は 食べられないよ~と生前の父は、20代の私に

よく言っていた。

理想的な世界や心の領域を話していると、観念的だと捉えられることが

多かった。

 

観念的なのだろうか?

現実とは程遠い話なのだろうか?

と当時はまだまだ体験が不足していて、自信を持って

それ以上そのこと(自然治癒力やアートマについて)

を父と論じる気にもなれなかった。

しかし、それから何十年もたって、自分自身の余命宣告や、

友人知人に施術させていただいたアートマセラピーの臨床的

結果から、決して、観念的ではないと言えるようになってきた。

これまでずいぶんといろいろな体験を踏ませていただいたものだ。

 

話しを戻すと、”本来の生体の持つ力”を発揮させるには

私たちの心がけることはまず、純粋意識に還る事と

いえるだろう。

 

純粋意識を、スーパー超越意識、とか、無の境地とか

いろいろな言葉で表現することができるのかもしれないが

それぞれの言葉への理解は人それぞれなので

ここではあえて、純粋意識=アートマ意識と言う言葉で

統一してみたい。

 

この意識は、これまで クリスチャンサイエンスや ハワイの

ホ・オポノポノメソッドなどで取り上げたことがあると思う。

 

自分を含めて、

人を責めない、分析しない、原因追究をしない、決めつけない、

ということを心して、たとえば、瞑想に入る・・・・

いろいろな感情が雲のように流れていくのを、ただ

見つめる・・・その客観的な眼、そして、雲が流れ去って見せる太陽の

光りと青い空、それを認識する眼、さらに 深く入ると、

その何もない大空と太陽の世界が”自分自身の心”であるという

ことが忽然とわかる。

その無限の拡がりの中に溶けていく~そうした境地が純粋意識の

領域だということは以前にもブログに書いたように思う。

 そこには常識的な価値判断基準値は存在せず、

人類が数千年の間築き上げた共通社会通念も存在しないだろう。

ただ、アル、存在する、そこに晴れやかな空間が広がっているという

意識のみだ。

だから、誰がどうだ、こうだ、問題がああだこうだ、という 日常的な

私たちの意思活動からはかなり次元の違うところに入り込む。

その時 体の生命力も 本来備わっている活力を知るだろう。

 

自然と、今の体の状況に何が必要か、コンピューターより精密に

即座に体が対応しようと動き始めるに違いない。

それが、”自然治癒力”と 呼ばれるものだと私は理解している。

 

瞑想が苦手な人もいるだろう。

そうしたら、魔法の言葉(言霊)を唱えればよいかもしれない。

南無阿弥陀仏 と念仏すれば救われるといった高僧がいらしたが

無心でとなえれば、”自分の中の仏性”に触れ得るのだろう。

インドでは 念仏などの唱える言霊をマントラという。

以前ご紹介した ソーハム などの短い言葉から、オームという聖音、

羯諦羯諦(ぎゃーてーぎゃーてー)から始まる般若心経のマントラ部分、

あるいは、神道でいうところの”お祓い”の言葉、など、

その人が一番心になじむ”言霊”を一心不乱に唱えることは

とても効果的だと思う。

 

純粋意識 というのは 絵に描いた餅でない。

だから、自分では意識していなくても、その資質を十分持っている

人たちは少なくない。

そういう人達の共通点は、

静寂を愛し、柔軟性で寛容、包容力があり、相手に決して嫌な思いを

与えず、それでいて自然に振る舞っているから表裏がない。

一緒にいて、何とも心が安らいだり、不思議と力を与えられたり

やさしい気持ちになったりするものだ。

~ねばならないという気負いがないから、一緒にいて楽だし

気負いがなくてもやることは何となく自然にこなしている。

 

そんな人になりたいと筆者も想うものの、なかなか、我(エゴ)が

顔出しそうになって、反省の毎日だ。

だから その週のテーマなどを決めている。

たとえば、”~しなければいけない”という想いを見つめなおす週と決める。

”朝起きてまず、これこれ、”と 毎朝の日課を”せねばならぬ”から

”気が向いたらする”程度の気楽さでかまえる。

すると、神棚にお榊や水などを備えるときも今までは、

”これをまずしなければ、始まらない”と、無意識に自分を縛るところが

あったのだが、少々遅れても・・と気がむくよう そこそこ進めていくと

自然のペースで楽しみながら?のんびりとできる。

それでいて、決して、一日の朝の時間の有効性が少なくなっているわけではない。

まず、~ねばならぬを 解きほぐす。

すると、5時から8時までの 3時間に、今まで気張ってしていたから

できなければ、イラついたり自己嫌悪になっていたことなどが

不自然に思えるほど、自然の気の向くままの流れに任せて

終わっていく。

いろいろなことが 順不同ではあっても、意外に能率よく達せられて

”この方法で良いのだ”という感じがしてくる。

 

たとえば、

朝の瞑想、ヨガエクササイズ、神棚のお供え、般若心経、祝詞、犬の散歩、

ごみ出し、カメの餌やりと洗濯、金魚の水替えと植木の水遣り 朝食準備 などなどを

3時間の間でこなすことは 気張っている分、ストレスになりがちだったが

何となく気張らなくなった分だけ、余裕が生まれている。

 

こんな気張らない朝の体験でも、それなりの意味があるという充足感につながる。

充足感が ”こうして、毎日同じことを繰り返すことができて、

生きているんだなあ” という感謝を呼びおこして

結局 自然治癒力には、やさしい心持で、”細胞の活性化”につながっていく

ような気がする。

 

ネバならぬ~から ”今を味わう”~ということがこんなことから

始まるのかもしれない。

”今を味わう”ことが なかなかできないほど、いつも どことなく、

せわしない想いと (心の)&(実際の肉)眼をつぶっていてもできるような、”習慣性”で

日々のルーティーンに向かっていることを省みることもできる。

 

 

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癒し、癒され、の第一歩

2014年08月06日 | 健康のための心の波動

癒しの条件    2014・8・6

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癒し という言葉。

癒されるということはどういうことだろう?

それに必要な条件はなんだろう?

表面的な癒しから,深い意味合いのそれまで さまざまな段階が

あることだろう。

癒されたと感じるとき、それは、

ホットして、緊張がとれ、希望とかプラス思考に向かう

エネルギーを与えられた時かもしれない。

自然治癒力セラピー協会で 癒されるというとき、それは、

日常生活の中の感情や執着から離れて味わう解放感と

軽快感とともに、心身が本来の 健全な状況に近づくときを

さす。

スーパーコンシャスネス(超越意識状態)に

入って抜け出てきたときの実感だ。

 


超越的意識状態というと、何か、意識が朦朧(もうろう)として、

夢見心地のようにぼーっとしているときの心持のように、

聞こえるが、実際は 感覚がとてもシャープになる一方、意識は

冴えわたった感じがするものだ。

その意識になったときの特徴といえば、明白に善悪が理解できる

ようで、それを使って裁こうという感覚が起こらない。

受容的であり、包括的、かつ、喜びと調和の静かな平常心が

そこにある。

むしろ、愛と一体感 というような、言葉ではなかなか表せにくい

空気に包まれている自分を感じる。

 

チョープラ博士(前出)は、その時、つまり、超越意識段階に

入ったときこそ、自分の本源と繋がっているのだという。

その状態がどういうものかといえば:

 

1) 心配事を超越している。

現実には色々な難問が残っていても、魂の源と繋がっているときは

’時の流れのままに任せる’ことがベストであること、一度、心の奥底で

”こうなりますように”と理想の状態を描き、願ったら

あとは、くよくよしない。

必ず、一番良い具合に 宇宙が動いて行くと

信じて時を待つことがベストであると知っていること。

だから ”心は軽意”状況でいられる。

 

2) 押しも引きもしないで自然体でいられる。

他人がいろいろ意見してきても、冷静に聞く耳をもてる状況。

反対意見に対しては、決してそれを強く否定しないまでも、

相手に影響されず、かといって、自分の考え方が正しいと

押し通すことも無く、それも良し、これも良しと在るがままの状態

を受け入れることができる。

 

自然にしているうちに、事が一番良い方向に流れていくことを

知っているからだ。

だから、”何かに強く抵抗することもなく 執着がない”状況

といえる。

 

3) 宇宙意思(無限の叡智)の発動が起こる

必要な人、、会うべく人、そのタイミング、言うべきこと、

するべき行いすべてがバランスよく、無理なく難なく 御膳

だてされたように現実に自然と整う。

人は偶然というけれど、これこそ、宇宙の叡智、人が思いも

つかない”細部のタイミング”をすべて熟知している叡智の業(わざ)、

空間と時間を超えてそうした運命的にみえるほど、良い方向に

はかどっていく。

 

勿論そうさせているのは、自分が自分の魂、アートマ=宇宙意思と

繋がっているからで、それによって、奇蹟のように、見える

”偶然の一致”もたびたび、起こり得るということになる。

 

それを人は気づかないことが多いから、せっかくの偶然の一致

にみせかけた大きなチャンスを 意識せずに、逃すこともある

という。

心が その時何かを囁きかけたら、恐れずに、その偶然の一致

のチャンスを利用することが、宇宙の心、自分の魂の願いに

かなうことなのかもしれない。

 

何となく、ここに来た(来なければならないような気がして)~

それを喜んで受け入れることで 必要な情報が得られるかも

しれないし、必要な人と出会うことができるかもしれない。

何となく、この人に会いたくなった~それを喜んで受け入れる

ことで、その人が”魂の友人” になるかもしれない。

 

何となく~偶然で~というときに与えられている 幸運の

チャンスはもしかしたら人生の転機になるかもしれないのだ。

そこで、三番目の指標は ”偶然の一致と片づけないでその時の

何か重要なメッセ―ジを考えたことがありますか?”

 

4) そして最後は、自分の主体性モードを変えることなく、

決して犠牲者モードにしないことだ

先のブログでも話題にしたように、自分の周りのものは、善き

にせよ悪しきにせよ、それは、自分の心の反映であるという

ことを知る。

 

何か問題が起きたとき、大概は第三者が関与しているのだが、

”相手と同レベルでものを見て 解決しようとしても無理”

ということを体験している方は多いだろう。

その問題が解決できるとしたら、

”超越意識、宇宙意識、あるいは、アートマレベル、の意識”

で当たるほかないのだろう。

 

或いは、自分の信じる、守護霊や守護神への敬虔な祈りの中で

信仰をベースに、”大いなる力に守られている”と自覚したときの

意識であるかもしれない。

守られているのなら、お任せしてしまえばよい。

神様は丸投げされたものに対して、受け取ってくださるのだという

信念がそうさせるだろう。

 

あるいは、その意識は、深い瞑想の中で 現実意識を超えて、

沈黙の宇宙に広がる平穏と至福の意識であるかもしれない。

最後の指標はこうだ。

”自分の内側で何を変化させればこの問題は起きなくなるだろう?”

問題に直面したときに 問うことができるかどうか?ということ。

 

いかなる問題でも… たとえ、それば自分とは関係のない世界で

起きている問題でも、一旦 自分が知った以上は、何らかの関与が

自分にもある。

 

”私は関係ない” という言葉は、たぶん、世界中で起きている

悲劇や事件に対して、通用できないのが真理の眼から見たときの

現実だと覚者は言う。

そういう意味では、この4番目の指標の持つ意味は ”そんな自分

でも何かができるはずだ”と積極的に関与しようとすることと

教える。

たとえば、自分の浄化や癒しから始めてみる。

 

癒しというのは、単に健康になったり、慰められたりすること

だけではないだろう。

癒し、癒されるというのは、相手の本領と本髄を引き出すという

ことだとすれば、自分を癒すことが、相手を癒し、相手が癒され

れば、その癒しは連鎖的に拡がって行くに違いない

 

\                                   

 

 

 

 

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エゴイズムの効用ここに有り

2014年08月03日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

心の蟻地獄にひきずられないために    2014・8・3

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いつも、自信に満ちているように見える人でも、

迷いのない人などいないはずだ。


男性は理性的と、一般に言われているが、

それは、社会の中で生き延びるための手段として、

感情を出さずに、理性的に自己を抑圧して生きているためで

あるのかもしれない。


私のインドの師は

”男性も女性も、同様に弱いものだ。

感情的でないかどうかというのが、弱さの基準ではない。


感情的でないように見えても、一皮めくれば、人間皆、

不安のブラックホールに引き込まれるような弱い自分を

自覚しているはずだ。

真に強いというのは、自分の本質と繋がったときだ”

と言った。

 

先日、友人が海を越えた恋人とスカイプして、

”近頃の彼は、なぜかやけに涙もろくなって、あんなに

不安定な感情を人に見せることはなかったのに、

どうしたのだろう?”

と心配していた。


”互いに真理の道を研鑽して、旺盛な探究心と 

活き活きした創造的生活を

送ることが何よりの取り柄だった人が、いったい、

どうして、こんなに変わるのかと

思うほど、変わってきてしまった”

と溜息をついた。


”なんていって、励ましてあげたの?”

と聞くと、

”’そんなに落ち込んでいるあなたは本物の貴方

ではないから、

暗い気持ちに甘んじればそれだけ、蟻地獄の

砂の中に引き込まれていくだけだから’

と言ったのだけど。

わかってくれたかどうか・・・”

と言葉少なげに語った。

 

彼女が彼に問いかけた ”本物のあなたは?”という質問。


確かに、これは 蟻地獄のような、心の暗い渦の中に

引き込まれないための、重要なカギかもしれない。

 

今、このブログを ”あなた” は読んでいてくださる。


あなたの時計は今何時ですか?

というのも、拙ブログの読者解析報告を見ると、読者は

24時間にわたって分散して いる。


多い時間帯としては、朝9時前後、夕方7時前後は

わかるのだが、意外にも、一般的に多くの人達が

安眠をとっている、午前2~4時の時間帯に 

十ページ 近く、開いて読んでくださる方達が

数人、記録されている。

 

眠りに誘うというより、堅苦しい内容のこのブログを

読んでくださる あなた”は、ご飯を食べているときの

あなた仕事に没頭しているときの’あなた’、 とは 

何か一線を画しているかもしれない。


ご飯を食べながら、心身一如 について語り合えば

消化不良を起こしそうだし、

仕事をしながら、”不生不滅” という意味を考えて

いれば、能率が悪くなることだろう。


先の話で、友人が 恋人に、”思い出してほしい

と言ったのは、日常生活に没頭している”あなた

ではなくて、一線を画したもう一人の

あなた”、を思い出して・・と、その指していたのだと思う。

 

昨日と今日の私は、物理的に言えば同一人物

ではない。

古い細胞は死に、新しい細胞が どんどんと

新陳代謝して、入れ替わっている。

子供時代の自分の写真で見ると、面影はあっても、

今の私と同一ではことはわかる。


しかし、誰でも、その写真を見れば、

”あ、須田さんの子供時代?”と気が付いてくれる。

何かが、変わらない自分の存在” であり、

どんな時代を経ても、その人に宿っていることを

皆知っているからだろう。


とはいうものの、”変わらない自分” をここで示して

ください~

と言われても、困惑する。


自分=実存の私 は、今も過去も、未来も、そして

死んだあともきっと、

そこに居続けるに違いない・・・・と思うし、

そう願う。

でなければ、魂の輪廻説も、生まれ変わりも

死後の世界の存在でさえ、実態がないものになってしまう。


さらには、インドの大師たちが語る、転生や実際、

幽体を肉眼の前に現わしたという話も、全くの想像物

になってしまう。


先の一線を画した自分というのは、たぶん、higher self 

(より高次元の意識を持つ自分自身)をさすのだろう。


そして、人は誰もが、そのhigher self(ハイヤーセルフ)

を多かれ少なかれ意識しているはずだ。

伸びよう、改善しよう、よりよく生きよう、

幸せになろう、発展しよう、

などの希望は、自分がハイヤーセルフにもっと

到達できるはずだという心持と裏腹のような気がする。

 

そう願っている人でさえ、ハイヤーセルフを拒む要因、

エゴ(利己主義)からの脱却が なかなかできないのは

何故だろう?


友人の恋人のように、ちょっとした事ですら 

エゴを揺さぶられ、不安を掻き立てられる悪循環に

陥るのが常の人生だ。

あたかも、じたばたして余計溺れてしまう人のように、

悩みと悲しみ、怒りと憎しみ、イライラと焦燥の中で

魂(ソウル)が焦げ付いていくような苦々しい

体験を重ねているのが、人生の常なのだ。


そうこうして、目的地に 所詮、泳ぎ着けないと

あきらめて 一度の人生快楽を求めて、

苦しさを忘れようとする。

 

そんな 煩悩に焼かれる私たちに、大師はこう教える。

自然の元素、火と水、土と風、これらに共通した

ことが一つある。


それは、その元素自身、自分自身の強さを知らず、

火は火で焼き尽くされることなく、水は水で

溺れることなく、土は土で崩すことはできず、風は

風によって、乾かすことができない。


つまり、人のアートマ[魂]は日々の物質的生活の

中に見え隠れしているものの、それ自身姿を現すには 

もう一人の自分(エゴ)がいる。”

 

矛盾した言い方なように思う。


”私はなんて、ダメなんだろう!”とため息をつく前に 

エゴ意識の役割を認めてあげたら?~ と覚者は言う。


なぜなら、

エゴを取り去りたいとおもっているのに、

エゴがなければアートマが見えないというのだ。

 

~その前に、エゴ意識ってなんですか?

 自分中心主義の人を エゴ意識の強い人というが、

ではエゴは何か?

といえば、ごくごく簡単に要約すれば、心の中の無限にわく 

独り言はエゴ に端を発している。


一言でいえば、エゴはおしゃべりだ。

たわいのないことを、次々と思いださせる。


それを一喝して、

座禅を組んでも頭の中はいろいろな想いや感情を止める

ことはまずできない。

次々と連想ゲームのように、最初の想いが次の想いを生み、

次第に枝葉を伸ばして、気が付いてみると、最初の想いから

はるか離れたところまで、妄想している自意識に気が付いて、

また、ハット 瞑想に集中しようと喝を入れる。


追い払おうとしても余計気になるうるさい ハエのようだ。


ハエはハエで顏の周りを飛ばしておけと覚者は言う。

魂との対話を求めるのなら、このエゴのおしゃべりを

利用すれば良いと言うのだ。


つまり、 エゴ意識に、十分話させて、それを、

じっと、聞き流している自分を

意識するという方法だ。


聞き流している自分を意識することだ。

聞き流している自分、が 一銭を画した 

ハイヤーセルフに繋がるというのだ。


おしゃべりに耳を貸さず、ただ、流れていく雲を

みるように

そのおしゃべりが疲れて口を閉ざすまで、話させるのだ。


そうこうしているうちに、雲が途切れて青空が

心に広がるように静かな時が訪れるだろう~と覚者は

教える。

 

 

雲の合間のひと時、それは、超意識的、超時間的、、

超空間的でもある。


ここに、アートマ意識~higher self が見えてくる。

誰も裁かず、何も選ばず、そこに意識を置く点は、

限りなく小さな点であると同時に


限りなく深淵で宇宙大にも広がる、

収縮可能なスポットでもあり、時空を超えている

世界観が広がる。

 

もう一つの方法は、他者のエゴを知ることによって

自分のエゴを抑制し、アートマを顕わす方法だ。


誰でも、人生道中、馬が合う人 合わない人、と

いう判断を 対する人に下した

ことがあるだろう。

何となく、傍にいて、心が落ち着くという人もいれば、

妙にイライラさせられるという人もいるものだ。


何か特別、その人にいじめられたとか、直接的な原因が

ある場を除いては、何となく~、漠然と抱く理由なき

感情にすぎない

 

性(しょう)が合わない~といわれるが、その性とは

何なのだろう?


たぶん、相手のエゴ意識をさすのかもしれない。

相手の性分の何かが、何とも気になってカチンとくるのだ。


それも、結局は、自分の中に そのカチンとくる要素と

同質のものがあるからこそ、相手の中のそれを見出す

ことができる仕組みになっている。


同じ周波数の波動を持っているからこそ、自分の内部で、

共振する。

そのカチンとくる性分は、自分自身の中にあって、

自分に対しても許せない

からこそ、 今更、相手からも見せつけられたくない

という想いになるのかもしれない。

 

こうして考えれば、相手の嫌な面、それが、

自分の気づいていない自分自身のエゴの投影

あるかもしれないと気づけば、相手を責める前に

自分を見つめるという謙虚さが生まれる。


さらに、他の誰かにも同じような想いを 

気づかないうちに、させていたかも

しれないと省みる余裕が出てくるだろう。

 

エゴ意識はこう考えてみると、自他ともにとって、

決して意味のないものではなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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