自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

イスラムと愛 

2015年03月15日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

形而上的癒しの根源~イスラム教から(1)   2015・3・15

************************

前書き)

30代の初めからインド生活においてのほとんどの期間、私はイスラム

教に入信していた。

(あるきっかけがあり、イスラムの宗教的行事に参加することはなく

なった。)

その間、メッカに行き、ラマダンには、断食をし、5回の祈りを捧げ

ていた。

数年かけて 中東に各地に残されたイスラム教の五大聖地といわれる

場所(モスク)にはイスラエル・シリアを含め巡礼をした。

 

こうして、キリスト教、仏教、神道、ヒンズー教など様々な宗教の門

をたたいてみたが結局 どのような宗教も、一つの心の宗教、に帰一

するのだということを学びから得た現在だ。 

 

イスラム教はヒンズー教同様、国内にいてはなかなか理解できない

のかもしれない。

外地でよりその真髄を体感出来うる宗教のひとつかもしれない。

イスラム教の愛、倫理、人生哲学、智慧、信仰と運命などを

これから数回に分けて簡単だがお伝えしたい。

そして、最期に 自然治癒力との関連に触れられればと思う。

**********************************************

 

今年に入って、イスラム国の日本人 人質問題で日本にあるモスク

からその解放を求めて祈りがささげられていた。

イスラム教はテロ組織の行動を容認するものではないというメッセージ

も同時に発信された。

 

私は過去、イスラム教に入信して10年以上 イスラムの心を学ぶ機会

を得た。

インドのイスラム教はス―フィー派が多くその割合を占めている。

もともとは、トルコに端を発するが、トルコの中世のイスラムの

スーフィー派 で特に有名な聖人、メヴァラーナの教えをとりあげて

みたい。

 

彼は 愛がすべての徳のうちもっとも上位を占めると考えていた。

何事をなすのにも、まず、愛が前提になっているかどうかを自ら

問いたという。

ムハンマド(モハメッド)の伝承的言葉(ハディース)の中に

“お前がいなくて、どうして、私が天空を創造しただろう” 

という言葉がある。

 

お前とは、ムハンマドのことであるといわれる。

が、もっと、拡張して考えれば、神の資質を持って生まれた人間の

すべてに個々に語りかけている言葉ともとれるだろう。

神はこうして、他者、自分の資質を受け継ぐ人間の為に、天空を創造

した。

 

イスラムではだから、神の創造の動機は  であると説く。

愛に基づき、天地は創造され、それを統括する責任者として、人間が

造られた。

神の愛は創造のはじめの初めに存在しているからこそ、我々人間も

のある生活を送る意味と意義があるとされる。

 

私は以前、イエルサレムの黄金の寺院に黒いアバヤを着て、一人で

巡礼に出かけたことがある。

道すがら、要所にはイスラエル兵士達が立ちはだかっていた。

門前につくと、警備の兵士が銃をもって筆者の道を遮った。

 

ここから先は 信者以外立ち入り禁止だ。 パスポートを見せなさい。”

しかし、パスポートには日本人としての、戸籍の名前そのままが

載っていた。それを見た兵士の一人が、私に踵を返して、立ち去るよう

要求した。

”日本人で、しかも、モスリム名もなく、さあ、帰りなさい。”

 

その時、一人のイマーム(イスラム教の聖職者)が現れた。

状況を知ると、その兵士の前で、私にクルアーンの中の言葉を唱える

よう促した。

そこで、私は、必ず信者なら祈りに唱える言葉を何節か暗唱した。

それによって、私がイスラム信者であることを納得したイマームは

兵士に説明を加えると、手招きして、その黄金の寺院の門戸内に入る

ことを赦してくれた


そこには ムハンマドが昇天した場所とされる一画があった。

クルアーン17章の見出しの名前にもなっている、ミウラージュ

いわれる神秘体験が行われた場所でもある、聖なる領域だった。

 

ミウラージュとは夜の旅を意味する。

預言者ムハンマドは ある時、メッカからイエルサレムに幽体離脱

した。そして、第七層の天空の世界へと昇った。

その時 ムハンマドが乗った馬は天馬ブラークと呼ばれ、この旅の

案内役が天使ガブリエルであり、最も高い天空の層、いわゆるスイドラ

までガブリエルは、ムハンマドをいざなった。


その時天使ガブリエルは言う。

 “この先に行けば私は焼け焦げてしまいます。”

そこで、ムハンマドは一人でその先へ一人で進み、神の領域の世界へ

入っていった。

この物語は、イスラムスーフィー派では 象徴的な意味として解釈

される。

預言者の騎乗した天馬ブラークは 人の内側に秘められている

愛の翼”であるという。

天使ガブリエルはクルアーン(イスラム教聖典)の中ではジブリール

と呼ばれ、キリスト教で聖母マリアにイエス受胎を告知した天使と

しても知られる。

さらに 預言者ムハンマドに、イスラム教の聖典となる、クルアーンの

啓示を伝えた天使とされている。                            


一方スーフィー派にとって、この物語における 天使 ガブリエルは。

一つの象徴的意味に解釈されている。

それは、人間の持つ、創造力、智恵、の象徴であり、預言者は 愛の

象徴として描かれているという。


だから、メヴァラーナは次のように詠う。

 “人間の理解しえることのみを 頼みの杖としたときは理性と知性は

瞬く間に 使い物にならなくなるだろう。

それらはガブリエルがそうしたように、こうささやくのだ。

もうこれ以上は無理だ、

私は燃えつけてしまう。

私を置いて、先に進むが良い。私はこれが限界だ。

おお、魂の王よ!“ {メスネヴィー 1巻1112-4}

 

ムハンマドは愛の象徴だ。

彼は弱音を吐く、知性と理性の象徴、ガブリエルを置いて、一人で

更なる先の段階に進んでいった。

愛に満ちた心、それこそが、神へと引き寄せられる術であると

メヴァラーナは考えた。

高尚だろうと、欲望の勝った愛であろうと、とにかく愛は昇華して、

いつか必ず、純粋な愛へと高揚する性質をもっているものなのだ。

 

最後の純粋な愛、それは 自意識を消耗しつくした愛であるのだろう。

メヴァラーナはそれを、

本来そうあるべき姿であり、ゆえに美しく貴重である”と詠い、

【“メスネヴィー 1巻―1853】

そうした愛を自己の中から掘り出すことが大切とした。

 

天使ガブリエルに象徴される知性や理性では神には、近づきえない。

神について知ることはできても、最後の歩みを進めること、つまり、

神を至近距離で感じることはできないということなのだろう。

 

だから、メヴァラーナの次の詩がそれを補う;

“神と人間との間を分かつものを海に例えるのならば、知性とは水泳の

達人のようなもの。

愛とは海を走る帆掛け舟。

海の中を泳ぎまわり、つかの間の楽しみを得ても、長続きはしない。

泳ぎ手はいつか疲れ果てて 海の底深く溺れて沈むだろう。

航海を成功させた人達は、帆掛け舟の乗船客だけだ。“

 

愛の重要性はここで言われ、その根本には当然のこととして神への

厚い信仰がある。

 

ハディースに寄れば ムハンマドは次のようにも語っている;

“神がアブーバグルを、誰よりも優れたものと定められたのは、彼の心

にある強い信仰(イーマーン)によるものであり、彼の斎戒や喜捨と

いった行為がその理由ではない“

ここで言う愛とはm無我の愛、神への愛、それが信仰の強さに繋がり、

神へ近づくための、唯一の行為である、とムハンマドは言う。

 

礼拝や断食など、イスラム教で定められた戒律をすべて守っても、

この信仰の強さを抜きにしては、意味がないということでもある。

愛は言葉で説明できない。

神との交流も然り。

甘い果実の蜜にも似て、味わったことがなければ、その価値を知ること

ができない。

 

メヴァラーナは繰り返し詩篇で詠う。

“愛【神】を知り、探し、愛そのものに(神そのものになる)・・・

’なる’という最後のスパイスは、愛にいよってのみなしえるのだ”と。

 

次の簡単なフレーズにその心を知る。

“問うた、: 愛とは何か? 応えた; 知りたくば愛せ“

 

 

参考;“JALAL AL-DIN AL RUMI’  A Muslim Saint, Mystic and Poet 

Original title; Mevlana Celaleddin Rumi

Written by Prof.Dr.Emine Yeniterzi

Translated to English by Prof.Dr.A.Bulent Baloglu

日本語版 神秘と詩の思想家 メヴァラーナ 

トルコ・イスラームの心と愛

2006年 丸善プラネット株式会社 訳 西田今日子

 

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ボースと新宿中村屋、父の恩人

2015年03月12日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

I was a fighter.... 12th March 2015***********

**************************************

 前回からの続きです;

命を救われたボース、その時29歳。 彼らを命がけで、匿(かく)

まった相馬愛蔵氏(新宿’中村屋’創設者)(写真上左)の心意気も

さることながら、妻の黒光氏の勇気も、中島氏の著書から知ること

ができた。

当時の黒光氏の感慨が記されている;

”(相馬1963;181) 

とにかくこのインド人を匿ったということは、政府がしないことを

こちらがあえてしたのであるから発覚すれば問題は大きい。

我々は何らかの処置に服さねばならないだろう。

その時は当の責任者として私が出頭しよう。

何故といって、二人を匿う部屋のこと、食事のこと、

その他一切の身辺わきまえるのは主婦なのだから、

それに私が捕らえられて家に居なくても、子供たちの

世話をしてくれるあるし、商売は本郷以来

【須田注;中村屋一号店は文京区本郷にあった】

私の名義のままで、それはちょうど、私が勝手な

振る舞いをできるという証拠にもなる。

相馬は’どうも、家内が出すぎたことをして’

そう言っていればすむ。

そうすれば商売にも影響はない。”

 

この言葉から、黒光女史の覚悟が伺える。

一般主婦でありながら、相馬黒光氏妻としての女傑ぶりを感じる。

政府にいわば抵抗する形で インドからの亡命者を命がけで守ろうと

するのだ。

ボース氏も命がけなら、匿うほうも命がけの覚悟が必要だっただろう。

 

日の当たらない 店の裏の、離れの6畳と4畳半二間の狭いれ家

ボースたちは数ヶ月の間、公の場に姿を見せず、外出もせず、

屋内生活を余儀なくされていた。 

銭湯にも行けないから、台所で湯を沸かし、せまい勝手場で

体を拭くのみだった。

ただ唯一の楽しみが、小さな台所で材料を買い求めて運んで

もらい、自ら創る郷土のカレー料理だったというボースだった。


それが 後の中村屋の代表的メニューとなった、

インドカリーの原型なった。

 

当時、多くの文士や文化人たちが中村屋のサロンに集まっていた。

井伏鱒二(いぶせますじ)は次のように記している;


”中村パン屋は新宿街におけるヌシみたいなものである。

いかなる意味からしても、立派な貫禄が具わっている”

 

'新宿’と題されたエッセイの一節だ。中村屋サロンには 

日本を代表する彫刻家・萩原守衛を初めとして高村光太郎や、

岩波書店の岩波茂雄、女優の松井須磨子など、大正期芸術文化

を担う人たちが集まってきていた。


そうした固定客の間には、喫茶部を要望する声もあり、

それから12年後にはボースの発案したカレーが、中村屋の

店内で一般向けに出されるようになり、好評を博すようになった。


文化人たちのみならず、新宿で中村屋のカリーとお茶を楽しむ。

それがハイカラな時間の過ごし方にもなったようだ。

 

後にボース氏は 相馬夫妻の長女 俊子と結ばれた。

頭山満氏の たっての頼みだったという。

相馬夫妻の長女俊子を、この革命の志士に嫁がせるのが、ボースの

身の安泰を計るベストな策だと考えた。

ボース氏と俊子にとっても 頭山氏が間に入ったこの結婚話を受け

入れないことはなかなか難しかった。


たとえ、ボース氏が日本女性と結婚すれば、ますますインド

に戻ることの難しさを容認せざる得ないと自覚していても・・・

だ。

 

そして、俊子にとっては、波乱万丈のボース氏の人生をともに

歩むことは、時には、命の危険を覚悟することを考慮しなけれ

ならないとしても・・・と双方命をかけての選択をせまられた。

 

しかし、俊子は決断した。

二人はこうして、頭山満氏の邸宅内で誰にも知られずにひっそり

と式挙げた。

俊子はインド革命家と結ばれた後も ひそかにボース氏を

捕らえようするイギリスに雇われた探偵たちに悩まされた。

ボースをインド政府に付きだそうとする探偵たちの目を

逃れるため短い間に、点々と住居を変えざる得なかった。

 

その場所も、普通の住宅地と異なり崖下の地や、日の当たらない

など、周囲に怪しまれることが少ない立地で、人気のない所が

だったという。


それでも、二人の子供に恵まれ、仲睦まじく暮らしていたが、

そうした日の当たらない陰気な家での長い生活は、恵まれた

生活を送ってきた俊子にとっては、不慣れで、過酷であったに

違いない。

肺炎を引き起こし、わずか28歳の若さでこの世を去ってしまった。


臨終の床では、夫のボースは、俊子のそばにつききりになり、

ボースが俊子の枕元で、懸命に唱える、ヴェーダのマントラ

を 聞きながら、かすかに口を動かし、一緒に唱和して、

最後の息を引き取ったという。

 

その後 再三にわたり、周囲から 再婚を進められたボース氏

だったどんなに、条件の良い相手であっても断った。


”あれだけの愛情を他の女性に持てると思わないし、

相馬夫妻を未だに父母と慕っている” というのがボース氏の

答えであり、心情でもあった。

 

’あれだけの愛情は持てない’と語った裏には、ある小さな事件を

さしていた。

頭山氏からの押し付け的な結婚で結ばれた俊子に対し、ボース氏

は自分への愛情を疑っていた。


仕方なく無理やり一緒にさせられた可哀そうな日本女性と

いう想いが、彼の心に残っていたのかもしれない

 

ある日、その思いはついに極点に達し、俊子にこんな質問

をした。

ほんとうに貴女は私を愛しているのか?

愛しているのなら、この欄干から下に飛び降りて死んで証明

できるのか?”


すると、俊子は口をつむぎ、まじめな視線を前に向けて

欄干めがけ走り、そこによじ登った。

まさに、今にも下に飛び降りようとしたという。

あわてて、それを引きとめたボースは、彼女の生真面目な

ひたむきの愛を納得したという逸話が残っている。

 

さて、こうした時代的背景を考え、ボース氏と中村屋の

相馬夫妻との係わり合いを改めて考えた。

さらに、私の想いは、若かりし青年だった私の実父の、

中村屋の相馬氏への崇拝と重なった。(写真上右が父)


若き青年で、夢と希望にあふれた父が、相馬愛蔵氏に初めて

会った時は、すでに戦後の平和な時代

父は相馬氏の著書を読み、ひたむきな、実直で誠実な、商業道

に感銘を受けた。

父は、相馬氏に、たびたび、連絡を取り、教えを乞いた。

その熱意を買われ、相馬氏から、父に中村屋で働くことを勧められた

が、次のように答えてお断りしたと、父から聞いた。


”自分は、お客様に頭を下げるのは良しとしますが、上司に頭

を下げる人生を送りたくないのです。

私のような人間は、会社には不向きなので、お断りいたします

と返答したそうだ。


そして、東京で、最も老舗の薬屋の娘だった、母と見合いし、

その仲人を相馬氏が務めてくださった。

上の写真は、その時の、当時の中村屋サロンである。

そこで、両親は、結婚式と披露宴をした。

 

父は人生の師として 心から相馬氏を尊敬し、心の

よりどころにしていた。

相馬氏を支えた妻黒光氏とともに、時代の潮流に逆らい、

自分たちの信念で危険を覚悟に、一人のインドからの

独立自由運動の、亡命者をかくまい、娘を捧げて、護り

ぬいた中村屋創立者の両人。

 

歴史に翻弄されたかのように、お嬢様と、ご両親とボース氏

の繰り広げた、一連の人間臭いドラマと、その後の父と相馬氏

とのかかわりあいの中に、私は生まれた。


不思議なことに、今現在、インド・ニューデリーの、

ボース氏と志を同じくする、独立運動志士たちの、隠れ家的

たまり場だった地区に気に入ったアパートを見つけ、そこで

生活をしている。


住所は、まさに、freedom fighters' colony

【自由の戦士たちのコロニー)とついている。

広いこのコロニーの一角には インドで、最も有名で尊敬を

集める独立の戦士チャンドラボースの銅像もある。


こうして考えていくと、人とのつながり、運命的な回り合わせ、

すべてがつながっている実感を覚え、しみじみと、相馬氏

ご夫妻の人生を回顧するきっかけにもなった。


さて、最後に、ここに、ボース氏が残した言葉がある。

I was a fighter.  One fight more. The last and the best."

(須田訳;私は闘志だった。 

もう一つの戦いを今。人生最後で最高の闘いを。 )


私たちもこの平和な時代、結局 人生のファイターなのだろう。

自分の中に潜んでいる最大の敵と戦う事も、一つのfreedom fighter

の姿なのかもしれない。



 

*******************

 

 

参考;"中村屋のボース“ 中島 岳志(たけし) 白水社 2008年

 

 

 

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デリーから投稿;革命家のインドカリーと私との接点

2015年03月09日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

上の写真)インドのアパートから見た景色
*********
ここを買った歴史的背景  3月9日 .2015

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今日の話題はカレー。 

そのカレーも、ただのカレーではない‥私が今、こうして記事を書いている
この場所にちなんだ、カレーのお話・・さらに、私の出生にも関係している
カレーのお話である。


 

話は少し飛ぶが、今回、部屋を整理していたら古い写真が出てきた。

両親の簡素な結婚式の写真だ。 

父は簡素な式を望んだため、母に花嫁衣裳を諦めさせスーツ姿で並んでいる。

 

"派手な格好がよいのなら、花嫁らしく装えばいい。

でも、そうしたら、自分は褌(ふんどし)一丁で式に出る・・・”

と父は、母に言って、質素な結婚式を求めたという。

母は、花嫁衣裳を諦めたという。


横には仲人役の新宿中村屋創始者 相馬愛蔵氏が威風堂々、

威厳ある風情で写っている。

式場は新宿中村屋の2階。 そこでカレーが振舞われたかどうか

不明だが、当時は既にメニューにあった筈だ。 

 

結婚した当初、父は相馬氏を師として慕い、相馬氏の商売道

を自分の指針として地道な小売商として新宿に自分の店

茶の香取や”を出したばかりの頃だった。

 

さて、この相馬氏と父とのご縁は、娘の私にも及んでいるのでは

ないかと考えさせられた、

そのきっかけが 中島岳志氏の著書 ”中村屋のボース” 

という本だった。

 

ボース氏とはラース ビハリー ボース。

1910年時代、当時、イギリスの植民地下にあったインドを

独立させんと独立運動の気運が高まっていた中、今でいう

テロリスト的な過激な独立運動派の主導者であった人だ。


この人こそ、中村屋のカレーの考案者であり、実際自ら、

味を吟味して商品として、店に出したということは、

父から聞いてはいた。 


しかし、その辺りの詳しいいきさつは、父も知らなかっただろう

まだ、父が生まれる前、あるいは、幼いときの話でもある。

 

ここで中島氏の著書から引用してみると;

"インド独立運動はこの後、1915年のマハーアートマー・ガンジーの

帰国によって新たな時代を迎えるのだが、それまでの数年間は

'運動の低迷期’が続く。 


その期間、間欠的に起きたのが、爆弾を用いた過激なテロ事件

だった。 

特に、時のインド総督ハーディングに爆弾を投げつけて負傷させた'

ハーディング総督爆殺未遂事件’は、この時期最大の事件だった。


この事件を引き起こした張本人こそが、他ならない 

ラース・ビハリー・ボース、その人である”

 

こうして、イギリスからマークされたボースはインドに

留まることは命の危険にさらされることを感知して、

日本に逃亡する。 

 

武力革命を目的として、資金と武器の調達のために日本へ

向かった。 

その頃の日本は 日露戦争に勝利、国力を高めつつあった。


1915年 ボースは ノーベル賞作家であるタゴールの親戚

いつわり、偽名を使い、国外脱出に成功、日本へ向かう

船上の人となる。

 

来日に成功したのもつかの間、疑惑のインド革命家として、

イギリス大使館を通して、日本外務省はイギリス本国からの

要請を受けて、国外退去命令をボース氏に出す事になった。

 

国外退去といっても、行く先は香港。 

結局、そこでつかまり、極刑を受けることになることは

明白の理であった。

この窮地を救ったのが 中村屋の相馬氏の一言だった。


ドラマティックな場面の展開は、その一言から、始まった。

 

”12月1日

とうとう国外退去期限の前日を迎えた。

警視総監は 二人のインド人【須田注。ボース氏とグプタ氏】


12月2日午前10時に横浜港を出航する上海行きの船に、

なんとしてでも乗船させることを発表し、もし、2日、

午前7時までに東京を発(た)たなければ、強制執行に

とりかかることを宣言した。


猶予は、もはや、丸一日しかない。 

相馬愛蔵はこのような事態に気を揉みながら

いつもどおりに店を開けた。”

 

気を揉みながら~とここに、ある。

というのも、その数日前 中村屋主人相馬氏は妻黒光と

こんな話を交わしていたからだ。

【相馬1963;175~176】

 

"大英帝国の申し入れに、おびえて亡命客を追い出すなんて、

何と言う恥さらしな政府だろうと、主人も私も憤慨した。 


政府が無能なら、国民の手でどうにかならんものか、

もっと興論を高めなくてはと、顔を見合わせて気を

揉んでいた”

 

中村屋の店に、日本移民協会幹事長である常連客が、

ボースたちの日本滞在の最終期限日にやってきた。


相馬氏は、その客から注文をとりながら、印度人国外

退去問題について話題を向けた。

そして、状況が、いまだ打開策の無い事を知ると、相馬氏は


'かえって、私のようなものの所なら、どうにか

匿(かくま)えるのじゃないでしょうかねえ’と切り出した。

 

すると、その常連客は、その案を名案と考え、まじめに

取り上げた。

そして、主要な人たちを通して、当時の国粋主義者の

筆頭~頭山満(とうやま まん)氏に、その案が伝えられた。 


ボース氏はすでに、頭山氏と面会したことがあり、知己であり、

今回の国外退去に関し、頭山氏に助けを懇願していた

 

そのため、頭山氏は、石井外相にボース氏の出国期限を

延期するように働きかけた。

しかし、ボース氏に対し、ドイツのスパイ容疑がかかっており、

そのため、国外退去というイギリスの圧力を、日本政府は

かわす事ができなかった。

 

名案がないまま、とうとう、出国日の前日になった。


その朝、中村屋の主人が、ボース氏をかくまうという案は、

その日のうちに頭山氏に伝わった。

頭山氏は、それを聞き、それなら上手く行きそうだと

合点したという。


ボース氏の、出国期限まであと数時間に迫ったとき、 

頭山氏の屋敷に招かれたボース氏とグプタ氏【革命志士】は 

ひそかなこの雲隠れの案を聞かされた。

そして、それしか、命を守る方法はないと知って、同意した。

 

頭山邸では、周囲の監視の目から、この逃亡を、

カムフラージュするために、二人のインドの革命家の’お別れ会’

という名目で盛大な宴会が開かれた。

会もたけなわになった頃、静かに、二人は 変装して脱出する

という作戦をとった。

 

こうして、何とか追随の車に、付けられることなく中村屋の

敷地内に到着した二人の革命家。


まさに、国外退去前日の朝の相馬愛蔵氏の一言が、ボース氏

運命を180度転換させたといえるだろう。

尾行の警察官を尻目に見て、無事に '神隠し的失踪’が成功した。

続く

 

 

参考;"中村屋のボース“ 中島 岳志(たけし) 白水社 2008年

Pictures; TATA Docomo Image

 

 

 

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”AUM”と”ナム・阿弥陀仏”

2015年03月06日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

AUMの言霊の意味 2015・3・6

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オーム真理教の裁判のニュースは いまだに、時々マスコミで聞かれる。

多くの人達の心の中にはサリン事件や教団にかかわる理不尽な思いは

解決していない。


一方、この教団の名前のもとになっている、”オーム+真理”の合成語である

オーム真理教 という呼び方に違和感を感じる人達がいるのも確かだ。

インドのガンジス河の流れる岸部に隣接したアシュラム(精神道場)を昨年

訪れたときも、この教団の話題がインド人のスタッフから出た。


甚だ、遺憾なことだ~という想いは、昨今のイスラム国のテロに眉を

ひそめる敬虔なモスリム信者たちの反応と変わらないような気がする。

オームという聖音は、ヒンズー教教徒にとっては、神を代弁する言霊
であるから、日本で、この名前を語る宗教集団が起こしたテロ事件には
とても敏感に反応した。

私は当時 在インド生活を送っていたが、オームとか、グル などという

言葉を聞くだけでも、日本では周囲が引いてしまう時期が、この事件の

影響で、暫く続いていたとある新聞記者から聞いた。

 

さて、オームという言葉は、私たちが知らずに唱えている仏教の

真言(しんごん)にも組み込まれているほど、そして、世界中の宗教に

共通な聖なる音と認識されている。


”A、U、M”、の三つの音から成り立つ。

紀元前4万年前にはすでに記されていたといわれる太古の聖典、

ヴェーダの根本的哲学的教えは、”AUM”の聖なる音に凝縮されると

大師たちはいう。

 

Bhagavat Gita(ギータ)の813節ではオームの言葉の記述がある:


Uttering the monosyllable AUM, 

The eternal World of Brahman, 

One who depart leaving the body (at death) 

attains the superior goal”

須田訳:オウムという言葉は、ブラフマの造った永遠なる世界、

最終の目的へと((死によって))肉体を脱いだら行きつくところ)


としたうえで、クリシュナ神はアルジュナに次のように教える:

I am the father of this universe, the mother, 

the support and the grandsire. 

I am the object of knowledge, the purifier and 

the syllable AUM.I am also the Rig, 

the Sama and the Yajur Vedas.”

 

須田訳:私(クリシュナのこと)はこの宇宙の父であり、母であり、

宇宙を支えているものだ。

私は智慧の対象(つまり、智慧者)であり、AUMの言葉の純粋な

象徴であり、リグヴェーダ、サマヴェーダ、ヤジュルベーダ

に書かれている真理そのものである。

 

”AUM” という言葉や、ヴェーダ聖典を、ヒンズー教に限られた

ものと誤解している人は多い。

ヴェーダンダ(ヴェーダの最終章で、ヴェーダ哲学のエッセンスが要約

された章)を読むと、すべての宗教の大元である神(宇宙意思)の

存在、人は神の子として、父なる神から完全性を与えられていること、

そしてその完全性こそが、実存するものであること、それ以外の事象や

は 自由意思を与えられた人間の五感感覚機能が、妄想が生み出し

展開していること、などを説いている。


言い換えれば ヴェーダ哲学は、一元論に貫かれ、

”神という完全体”なる”宇宙意識”のみが存在して、この無常なる

現象世界は、ある意味、神のお遊びで(どのように、ヒトが本来の

神性を体現していくか、見たいという)ある。


サンスクリット語では、肉体次元の人生劇は、”リーラ”と呼ばれ、

夢幻(マーヤー)に満ちた、ダイナミックな”神の演出”する”舞台劇”

ということになる。


そして、それに気がつくこと、つまり、自分自身が五感感覚

(マーヤーを生み出すもと)に捉われなくなったとき、本当の

神の意思としてつくられた”自分”が見つかり、そのとき、津波も静かな

大海原に還元するように、人の心に平安と祝福で至福に包まれると説く。


キリストさまも、お釈迦様も、この真理を聖書や御経で解いておられる。

さて、話を元に戻すと、その宇宙創造の神の第一声が”AUM”といわれる。


私たちが、祈りの最初、もしくは最後に、唱える言霊(ことだま)の締め

には無意識に、オームを唱えているのをご存じだろうか?

キリスト教では AuMEN,

イスラム教では AuMIN、

小乗仏教、チベット仏教では HUM、

大乗仏教として漢字の音読の当て字で  ”南無(なあむ)”または、

(南無 妙法蓮華経~ナンミョウホウレンゲキョウ、或いは 

南無 阿弥陀仏 ~ ナムアミダブツ)


すべてAuMの(アム)の聖なる音が含まれている。

それではAUMの意味は具体的に何を指しているのだろう?


”Breath of Sai ”(*1)によると、

These three syllables represent the waking, 

dreaming and sleeping stages and also a fourth stage 

that is beyond these three. 

It represents also the flowering of one's individuality 

into a fruit and filling itself with sweet juice out of 

its own inner essence, and then the final release 

of the fruit from the tree.”

須田訳:このAUMの三つの音の意味は、覚醒、夢、眠りの

三つの段階の他にある、四つ目の段階、を示す。 

また、個性が開花して実がなり、各自の本質から出る甘い果汁に

満ちた状態、そして、最後には、その木から実が落ちるように、

べてから自由にな状態を指す。)

 

The entire Universe is vibrant with the sound of AUM. 

It is wrong to imagine that sound does not exist because we cannot hear it. 

Sound is a concomitant of all vibrations. Our hearing is not sensitive enough

 to register the subtle sounds produced by subtle vibrations. 

All movement is accompanied by vibrations 

and all vibrations are accompanied by sound.”

須田訳:全宇宙にはオウムの波動で満ち満ちている。

この音が聞こえないからと言って、存在しないと思うのは誤りだ。

この音はすべての存在の波動の中に生きていて、われわれの聴覚では

きわめて繊細な音であるため、キャッチできないだけなのだ。 


すべての動きには波動が伴う。そしてすべての波動にはオウムの

音が伴っているのだ。)

さらに

The Chandogya Upanishad(1.1.1-1)の記述には次のようにある:

 OM  ity etad akaram udgitam upasita.

 OM ity hy udgayati

Taxyopavykkyanam (サンスクリット音読み)

意味は

須田訳 OMのシラブルを唱えることによって、すべての本質の

最高の段階、最も高い段階、に到達して、最も高い心境に留まる。”

 

オウムと唱え続ける修行のことをOmkara(オームカーラ)と呼ぶが、

こうした行は太古から行われ、その言霊の波動によって、神や

宇宙の意思の波動と結びつくことを意図としていた。


今でもこの行法は受け継がれ、ヨガ修行中では静寂の中、この聖なる

音が聞こえてくることも稀ではなく、瞑想していると、実際に心身清浄

を超えた宇宙の波動と一致する心境と感動をもたらされることがある。

 

 

 

 

 

 *1)(Grace J. McMartin, Sathya Sai Books & Publications trust)

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AUM(オーム)の意味

2015年03月03日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

  OMの眼と深淵なる静寂と空観 2015・3・3

**********************************

 

筆者はかつて 南インドのサイババ師のもとへ何度か

旅をした。 

師に、ヴェーダの一元論について教えを乞うた。

講義集がまとめられ、そこにOMについての

記述がまとめられた。

引用すると;

”OM is the primeval sound, 

the sound caused by the vibrations of creation

through the Emergent Will of the Formless and 

Attributeless (the Nirakaara,Nirguna Brahman), 

and is refferred to as Shabda Brahman

(divine transcendental sound).

It is a composite of the sounds of AUM, 

just as G O D taken together is pronounced'GOD', 

so, too, the letters A U and M are uttered as OM,

 A emanates from the gullet,

U from the lips, But when OM is uttered, 

the sound emanates from the region of thenavel"

須田訳)

OMは根源的な音だ、

形無き属性のない意思の台頭が動いたとき、

創造物の振動する音として生じる。

それを称して シャブダ・ブラフマン

(聖なる超越的な音)という。 

それはA,U,Mの音から成立し 

神をGODと書いてGod(ゴッド)というように、

OM(オーム)と発音する。

Aは喉から発する咽喉音で、Uは、唇、

しかしOMと発音すると、

腹の底から響いてくる音になる。(*1)”

 

続いて同誌の第4章ではこう述べられる:

”In order to delve deep into the principle

 represented by the Pranava(OM)four steps 

have been demarcated in sadhana.

須田訳)

OMの聖音に現わされる意味にはその

修行段階に応じて4つのステージの範囲

が定められている

 

One may doubt how the eternal, unique, 

integral OM can be understood in stages!

The steps, however, are designed to help 

the identification of the principle itself.

Wakefulness, dream, deep sleep and

 'fourth' are the steps.

須田訳)

永劫で特異性かつ統一されている

OMを 段階に分けることに

疑問を呈する人もいるかもしれない。

こうした段階は、OMの独自な

主旨をわかりやすくするために

工夫された。

覚醒状態、夢想状態、熟睡状態

そして次の4番目の状態の4つがそれだ。

 

They are known, respectively, 

as Jagrat, swapna, susupti, 

and turiya in the sashtras."

須田訳)

サンスクリット語(ヴェーダの書かれた)

によれば、それぞれ、ジャグラット、

スワパナ、ススプティ、トゥリヤ 

の名前でシャーストラ(聖典)に記されている。”

 

これを個別に取り上げてさらに師の説明は続く:

"1)Jagrat means 'being awake', 'exterior alertness',

 'outward vision'.

The consciousness is gross while in this stage.

須田訳)

ジャグラットの意味は’起きている’、

’外に向かっての注意’’外部映像’と訳され

意識は拡大しているといえる。

 

2)In dreams(swapna), the impressions that impinge 

on the consciousness are reflections 

and images of the Truth.

須田訳)

スワパナという夢心地状態の中では、

意識へ及ぼす心象は真理の残像、

あるいはイメージなどである。

 

3)In sushupti or the deep sleep stage, 

the individual is not conscious at all;

he is just a witness, who acknowledges 

later(after awakening )that heslept well. 

The consciousness is not aware of itself. 

It is pure, unaffected prajna or awareness. 

It has no contact with the objective world 

or the senses,outer and inner.

須田訳)

スシュプティ、もしくは、深い眠りの

段階では、意識はなく、ただ、立会人的

存在として、目覚めたあとに良く眠った

という自覚をもつにとどまる。

意識はそれ自体の認識はない。

純粋で影響力の無い認識である。

その意識は世俗的対象物や感覚、

外へも内側に対しても、コンタクトを

持つことは無い。

It is pure Brahman-Consciousness(Prajnanam Brahman).

それは、純粋な神的意識

(プラジナナム ブラフマン)である。

 

4)The last stage is turiya. 

It is the stage when the consciousness is

 fully awareof itself. 

It cannot be identified, as such, by any 

means! 

We can try to clarifyit a little by saying 

that it is the silence that prevails after

 one OM and before another OM follows it

須田訳)

最後の段階をトゥリヤという。

それは、意識が完全にそれ自体を

知った状態である。

それはどんな手段をもってしても、

識別(独自性の)することはできない。

敢えてその状態を説明できるとすれば 

それはOMと次のOMの間に

訪れる静けさに似ているとでも

言えるだろう"

 

この最後の段階の説明は漠然と聞こえる。

OM とOMの間の静寂。

その静寂の中に最後の段階、私たちが

目指すそれがあるというのは

どういうことなのだろう?

OM、AUMは、創造神が創造物を

創り上げるときの響きでもある。

神は休むことないから、常に躍動

するエネルギー体である以上、

AUM音は永劫に引き続いて

押し寄せる波のように、

宇宙には響いているのだ。

老いた命は亡骸を残しあの世に

旅立つが、同時に新しい生命が

また赤子の身体に宿る。

その身体は新陳代謝を繰り返し、

老廃物を排斥しながら、常に栄養を

細胞隅々に運び、プラーナエネルギー

を吸収して成長していく。

木々は春になれば新芽を伸ばし、

冬には枝葉の葉っぱを落として未来に

栄養を蓄える。

こうした当たり前の自然の営みが一日、

一瞬たりともストップすることがないよう

に、宇宙に満ちる創造エネルギーも

止まることをしらない。

時間もない永遠無窮に見える宇宙の営みの

ほんのわずかな隙間、そこには

深淵な沈黙があると師は言う。

巨大なエネルギーの渦のちょうど

それは中心、台風の目のように、ただじっと

そこにあるだけの、周りに渦巻くヘクトバス

の風力にも影響されない静かな一点。

まさに、空 そのもの。

その沈黙こそ、第四のステージだと

いうのだ。

OMの修行をすることも、このステージを

見極めるという大切な目標があるという

ことなのだろう。

 

 

 

*1 Shri Sathya Sai Speaks, paragraph 14, Chap.3

 

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